evolution

片思いのような、両思い。多分きっと。きっとそれは。
それはアイツが見せてくれないから。気持ちを、見せてくれないから。

何時も自分ばかりが好きでるような気がする。
何時も自分ばかりが…追いかけているような気がする。



「ホント、瀬戸口君は先輩の事好きなんだね」
速水のその一言で、瀬戸口ははっと我に返る。言われて改めて自分が来須の事を、穴が開くほどに見つめていた事に気が付く。
「…いいだろ、別に……」
照れ隠しの為か、ぷいっと速水から視線を外す。そんな瀬戸口の頬はほんのりと紅かかった。そんな彼の素の表情を見るのは、速水は初めてだった。どんな時でも巧みに仮面を被り、自分の素顔を見せることのない彼。どんな時でも口許だけで微笑って、見えない壁を作っている彼の本当の顔。そんな顔を見ることが出来る人間を速水は一人しか知らない。
「否定しないんだ。まあいいけど…まあそれだけでも前進、かな?」
くすくすと楽しそうに微笑って速水は瀬戸口の前に座り込んだ。こうする事で彼の表情を覗き込める。油断して晒された、本当の彼の顔を。
「―――何が前進なんだよ」
「君の本当の顔が見れたこと。君の本音が聞けたこと。先輩以外知らない君を、見れたこと」
「そんなもの見ても意味がないだろう?」
速水にはどんな言葉も飾りも嘘も無駄だと瀬戸口には分かっていた。彼は全てを見抜いている。他人には見抜かれないこの作り笑顔も、真っ先に見破ったのは速水だった。けれどもそれ以上彼は自分に詮索する事はなかったが。そして自分も、それ以上の関わりを彼に持つことはなかった。その時はもう…もう自分の意識はただ一人のみに向けられていたから。
「意味なくないよ、瀬戸口君。僕はね」
その言葉を告げられる前に、ふと瀬戸口の視線が移動した。速水には分かっていた。彼の視線が何を追って、何を見ているかを。イヤになるほどに分かっていたから。
視線は窓の外に向けられていた。彼の視線はずっと一点を見ていた。校庭を黙々と走るただ一人の人間を、飽きることなく見つめ続け、そして追い掛け続けていた。視線が移動したのはその影が校庭から消えたからだ。消えたから、その姿を探して視線がさ迷ったのだ。
「こっちに、来るね」
速水の言った言葉に、瀬戸口は何も答えなかった。答えていたら全てを肯定する事になるだけだから。否定する理由もないが、あえて全てを肯定することもない。少なくとも弱みを自ら相手に与える必要などないのだから。
これから彼は着替えをして、ここに戻って来るだろう。自分が待っていると言った以上、必ず来てくれる。彼はそう言う人間だ。どんなになろうとも約束だけは必ず護ってくれるから。


だから約束ばかりしていた。自分から、約束ばかりした。
そうする事で、確かめている自分に気が付く。
彼の気持ちを、そうやって確かめている自分に。
そんな事で確認して、安心している自分に。


「…ねえ…瀬戸口君」
速水の言葉が瀬戸口の思考を停止させる。何時の間にか自分の考えに落ちていたせいで、速水にまた無防備な自分を晒してしまう。それが何よりも情けなかった。どんな時でも常に仮面を被れるはずの自分が、彼という存在が絡まることでこんなにも無防備になってしまう事に。仮面を被ることよりも先に。先に彼のことばかり考えてしまう自分が。
「今先輩の事、考えていたでしょう?って何時も君はそうだよね」
「お前には関係ないだろう?」
言葉にしてみて失敗したと思った。それは速水の言葉を肯定しているだけでしかない。それでも一度口に零れてしまった言葉は元に戻ることはなかった。お陰で速水の笑みが益々深いものへと変わってゆく。
「本当に好きなんだね、先輩の事。君がこんなに隙だらけになる程に」
手が、そっと伸びてきた。その手が瀬戸口の頬に触れる。ひんやりと冷たい手だった。不思議だった、何となく速水の手は暖かいものだとばかり思っていたのに…こんなにも冷たい手を、していたことに。
「離せよ」
手を振り解こうとして上げたら、もう一方の手に掴まれた。その手の力が思いがけず強くて、瀬戸口の形良い眉が歪む。その表情がひどく速水には魅惑的に映った。
綺麗だと、思った。彼の秀麗な顔が苦痛に歪むのは、ひどく綺麗だと思った。このままもっと苦痛に歪ませて、無茶苦茶にしてやりたいと思うほどに。
でもそれが出来ないことを速水は知っている。微かに聴こえてくる足音がそれを許しはしないだろうという事は。それでも。それでも、と思った。
「その顔もっと見ていたいけど…無理だから、だから見せてね。先輩以外知らない君の…」
「速水?」
「君の傷ついた、瞳」
くりと速水はひとつ微笑うと、そのまま強引に瀬戸口の唇を奪った。その足音が教室の前で止まると、同時に。


見開かれた瞳に、その姿だけが鮮やかに映される。
どんな時でも、どんな瞬間でも、この瞳は。この瞳は、見ている。
ただ独りの相手を。ただ独りの、ひとを。
どんな時でも、どんな瞬間でも、ただひとりだけ。


――――何時も瞳は、盗まれている……


唇が離れると同時に、踵を返された。広くて大きな背中を向けられて、そのまま。そのまま足音が遠ざかってゆく。それをただ呆然と。呆然と瀬戸口は、見ていた。
「ほら、見られた。君の傷ついた瞳」
くすくす、くすくす、と。速水の笑い声だけがひどく瀬戸口の耳に響く。けれども無防備に曝け出された表情は、もう消すことが出来なかった。その速水の言葉通りに。言葉通り、に。
「綺麗だね、凄く綺麗だね…大好きだよ」
もう一度唇が降ってくる。それを瀬戸口は必死で払い除けた。そしてはっとしたように座っていた椅子から立ち上がると、そのまま駆け出した。ただ独りの相手を、追い掛ける為に。
そんな瀬戸口を、速水は何も言わずに見つめていた。口許にうっすらと笑みを浮かべながら。


階段を駆け下りる音が速水の耳に届く。今ごろ必死で彼は追い掛けているのだろう。自分にとってただ独り、必要な相手を。ただ独りの相手を。
「健気だね、瀬戸口君…そんな所が可愛くてたまらないんだけど…」
手に入れられないことは重々承知だった。手に入れようなんて思わなかった。どんなに欲しがろうとも、絶対に手に入らないことは分かっていたから。それでも衝動的に。衝動的に、彼を傷つけたくなる時がある。欲しいものが手に入らない子供のように、相手を苛めたくなるあの心理だろうか?それとももっと別の。別の彼が持つ本質的なものなのだろうか?そう、彼自身が持っている本質的なもの。ひどく男の加虐心を誘う、瞳。
ただ無償に傷つけたくなる、泣かせたいと思う。壊して無茶苦茶にしてしまいたいと、衝動的にそんな思いに駆られる。
分かっている、その原因全てが『来須銀河』と言う人間が引き起こしていることは。瀬戸口が唯一、心を動かされる人間。自らの想いを剥き出しにする人間。ただ独り、想い続ける相手。自分自身すら見失うほどに、自分自身を護り切れなくなるほどに、相手に焦がれていると気が付いた時。無償に彼を壊したくなった。
「…分かっているよ、僕は君に幻影を見ている……」
強い彼を見たかった。自分がこれから歩むであろう覇王の道に必要なのは、ただひたすらに強さだった。その強さを彼は持っていたはずだ。絢爛舞踏を持ち、本物の『鬼』である彼を自分は見たかったのだ。けれども。
けれども彼は戦うことを捨て、鬼であることよりも自らの愛に生きている。絶対的な強さを持ちながらも、弱さしか生み出さない愛を求めている。
「だから、壊したかった。弱い君を…でもそれすらも出来ないね」
それならば自らの中に獲り込み、自分だけのものにしたかったけれども。それも叶うことがないのならば、それならば。

―――やはり手を引く以外に、ないのかもしれない……


何時も追いかけているのは自分の方だと分かっていた。自分ばかりが彼を想っている事は、気が付いていた。それでも。それでも…。
「来須っ!待てよっ!!」
それでも追いかけずにはいられなかった。それでも想うことを止められなかった。追いかける恋は辛いだけだからしないと決めていたはずなのに。それなのに惹かれた。どうしようもない程に惹かれて、そして。そして欲しくて堪らなかった。
「来須っ!!」
向こうはただ歩いているはずなのに、中々追い付けなかった。分かっている、怖いんだ。振り向いて何もなかったように自分を見つめられるのが…怖いんだ。
「――――」
やっとの事で瀬戸口はその大きな背中に追いつくと、そのまま彼の前に立った。それでも中々顔を見ることが出来なくて、微妙に視線を反らしてしまう。そんな瀬戸口の頭上に、思いがけない言葉が…降ってきた。
「…速水のが…いいのか?」
「…え?……」
その言葉の意味が理解出来ず瀬戸口は顔を上げる。上げた瞬間、どくんっと心臓がひとつ鳴った。それは今まで自分が知らないものだった。全く知らない瞳、だった。何時も自分を見ている蒼い瞳は穏やかで、そして涼しくて。そこに見出すものはただひたすらの優しさと…そして淋しさだった。どんな時でも自分に向けられる彼の瞳は優しく、穏やかだ。その瞳を何よりも嬉しく感じながら、何時も苦しい想いで見つめていた。優しい瞳を向けてくれる事は何よりも嬉しい。けれどもそれ以外の瞳を自分は見たことがなかったから。どんな時でも優しい瞳を向けられて、それ以外の彼を知らなかったから。

知りたいのに。全てを知りたいのに。全ての顔を、見たいのに。全部、全部、こころに刻み込みたいのに。

でも今。今自分に向けられている瞳は。こうして自分に向けられる瞳は。今まで見たことのなかった瞳で。ううん、きっと。きっと誰もこんな彼の瞳を見たことはない筈だ。こんな、剥き出しになった感情を見せる瞳を。
「―――何時もお前は…何処か……」
「…来須?……」
手を掴まれる。その力強さに瀬戸口の顔が歪むほどに。けれども構わずに来須はその手を引っ張ると、そのまま近くにあった詰所へと瀬戸口を連れ込む。誰もいない詰所に来須は内側から鍵を掛けると、そのまま瀬戸口の身体を壁に押し付けた。そうして彼を逃げられないように追い詰める。
「…来須…手、痛い……」
きつく手首を掴んで自分を逃がさないようにする来須を、けれども瀬戸口は怖いとは思わなかった。まるで自分を逃がさないように追い詰めているのは分かったけれど。けれども自分が彼から逃げる理由は…何一つなかったから。だから怖いと言う想いは、浮かんでこなかった。けれども。
「…俺といても、辛そうだった……」
「…え……」
けれども思いがけず来須の口から零れた言葉に。その、言葉に…瀬戸口の瞳はただひたすらに驚愕に見開かれる。それは。それは自分が考えもしなかった、思いもしなかった、言葉で。そんな言葉を。そんな事を、彼が言うことは。
「…速水にはあんな…あんな瞳を、見せるのか?」
手首を掴む力が強くなる。それは瀬戸口に肉体的な痛みを与えたけれど。けれども心への痛みは…与えなかった。痛みよりも、むしろ……。
「あんな無防備な瞳を―――」
瀬戸口がその言葉を否定する前に…する前に言葉は来須の口によって閉じ込められた。掴んだ手を頭上に上げられ、もう一方の手が顎を捉えると強引に口付けられる。そのまま唇を開かされ、生き物のような舌が瀬戸口の口中へと忍び込んできた。
「…んっ!…んんっ……」
何時もなら降ってくる口付けは、泣きたくなるほどに優しかった。来須は何時も。何時も自分が望まなければ口付ける事はない。自分がしてくれと言わなければ、その唇を触れてくることはない。それなのに。それなのに、今は。今は優しさのかけらもなくただ。ただ自分の欲望のままに瀬戸口の口中を蹂躙している。自分の、思うままに。
「…んんんっ…んんっ……」
瀬戸口の目尻から一筋の涙が零れて来る。こんな風に身勝手な口付けを与えられたことはなかった。こんな風に自分の意思を無視した口付けを与えられたことはなかった。
それでも瀬戸口は、逃げようとはしなかった。逃げることも、拒否することもしなかった。いつもとは違う予想外の行動に驚きは隠せなくても、それでも。それでも自分が彼から逃げる理由など、何一つないのだから。
「…はぁっ…あっ……」
やっとの事で唇が開放された頃には瀬戸口は一人では立っている事が出来なかった。掴まれた方の腕は諦めて、もう一方の手を来須の背中に廻す。大きくて広い背中。どんな時でもこの背中にさえ触れていれば、自分は安心出来る事を知っていた。この背中に触れていなければ自分は安心出来ないことを、知っていた。
「…来…須……」
微かに潤んだ瞳で瀬戸口は来須を見上げる。口許から零れるのは荒い息と、そして飲みきれずに零れた唾液だった。何時もならこの唾液は来須の指と舌によって清められるのに…今はこのままにされた。
ぽたりと口許から顎に唾液が伝い、そのまま剥き出しの床に落ちてゆく。それをアイスブルーの瞳はただ見ていた。そこに何時もの優しさは何処にもなく。何処にもなくただ。ただ冷たいと思えるような色彩で、瀬戸口を見下ろして。
「…あっ!……」
噛みつくように首筋に歯を立てられた。来須がココに歯を立てるのは初めてだった。何時も彼は瀬戸口を抱く時に、外に出る部分に決して痕を残すことはない。それなのに今。今彼はこうして明らかに見える場所に、自らの所有の痕を刻んでいる。
「…来須…そこは…あっ……」
噛みつくように首筋を吸われ、そのままネクタイを解かれた。それを手首に巻かれると、そのまま引き裂くようにワイシャツを破られた。ビリリと布が破れる音が室内に響く。その音が無意識に瀬戸口の背中を震わせた。
「…あっ…んっ……」
冷たい手が瀬戸口の胸の果実に触れる。その感触に背筋がぞくぞくした。外の冷たさがまだ消えていない身体。ひんやりとした身体。その身体が自分を抱くことは決してなかった。何時も必ずシャワーを浴びて、ぬくもりを取り戻して、そして。そして優しく抱いてくれたから。
「…あぁ…来…須っ……」
指先がリアルに胸の形を辿る。尖った果実は痛いほどに張り詰め、指が触れるだけでじわりと痛みのような快楽が襲ってきた。
「…やだ…来須…手…手…解いて……」
こんな事をしなくても自分が抵抗することはない。こんな風に縛らなくても自分は逃げることはない。それでも。それでも瀬戸口の願いは叶えられなかった。きつく両手首をネクタイで縛られたまま、愛する男の手によって身体を蹂躙される。それが。それが何よりも瀬戸口にとっては……。
「…駄目…来須…あっ!」
ベルトに手が掛かりそのまま外されると、下着ごとズボンを降ろされた。足首の所まで下ろされて、身動きが取れなくなる。それにじれて身体を捩れば、力強い腕に閉じ込められてしまう。
「…ひゃっ!……」
何時もなら自身に触れるはずの指がそこをすり抜け、瀬戸口の最奥へと伸ばされる。そしてそのまま乾いた指が何の準備も施されていないソコに突き入れられた。
「…くぅっ…はっ…痛っ……」
太く長い指先が瀬戸口の中へと入ってくる。何時ものように濡らされていない器官は、その形と感触をよりリアルに感じた。中を蠢く指の形をくっきりと瀬戸口に伝える。
「…はぁっ…痛い…来須…止め……」
蠢く指先に睫毛が、身体が震える。乾いている器官を犯されて、襲ってくるのはただひたすらに痛みだけだった。それでも逃げは、しなかった。口では痛いと訴えながらも…それでも瀬戸口は逃げなかった。ただ。ただ今彼の願いはただひとつだけ。ひとつだけだった。

―――この手首に巻かれた拘束を、解いて欲しいと言うことだけ……

背中に、腕を廻したかった。大きくて広いその背中に。その背中に指先が触れていれば。触れてさえいれば、自分は。自分には怖いことも不安になることもないから。どんな事をされようも、どんな扱いを受けても、この手が。この指がその背中に触れてさえいれば…。
「…瀬戸口…嫌か?……」
不意に自分の身体から圧迫感がなくなる。貫いていた指が瀬戸口の中から引き抜かれたせいで。その指先からは微かに血が滲んでいた。慣らされていないまま掻き回されたせいで、瀬戸口の柔らかな内部が引き裂かれたのだろう。その手に触れて血を舐めたいと思ったが、今の自分にはそれすらも出来なかった。両手を拘束されたままでは。
「…来…須……」
ちゃんと名前を呼びたいのに舌は縺れて上手く言葉を紡げない。本当はもっと。もっとちゃんと名前を呼びたいのに。
「俺に抱かれるのは、嫌か?」
今更何を聴く?そう言いたくても収まらない呼吸がそれを言わせてはくれなかった。ただ今時分に出来ることは、首を横に振ってそうじゃないと彼に伝えるだけで。伝える、だけで。
「こんな風に無理やり抱く俺は、嫌か?」
「…どうして…そんな事を…聴く?……」
聴かなくても答えなんて出ているのに。答えなんてこんなにもハッキリと出ているのに。何をどうして。どうして、そんなことを自分に聴くのか?
「―――こうしたらお前は……」
来須の大きな手が瀬戸口の手首を掴むと、そのまま拘束していたネクタイを外した。ふわりと宙に舞うように浮かび、ネクタイが床に落ちてゆく。それを見つめながら来須はもう一度今度は自らの手で瀬戸口の両手を拘束した。そして。
「今この手を離したら、お前は逃げるか?それとも俺を突き放すか?」
その言葉に、瀬戸口は。瀬戸口は初めて、気が付いた。初めて、分かった。どうして彼がこんな事をするのか。どうして彼がこんな目を自分に向けるのか。どうして彼が…。
「…だったら……」
ずっと自分だけが想っていると、自分だけが追い掛けていると。自分だけが求めていると思っていた。両思いのはずなのに片思いのような気持ちがずっと消えなかった。


だって何時も。何時も微笑っているから。
穏やかに微笑っているから。何時でもどんな時でも。
何時も俺からだから。何時も俺から、ねだっているから。
キスするのも、セックスするのも。何時も。
何時も俺がねだって、俺が求めて。ただそれに。
それに答えてくれるだけだから。優しい瞳で。
ただ優しい瞳で。何時も、何時も。それだけだから。
だからずっと。ずっと、俺ばかりが想っているってそう。

―――そう思っていた、から……


「…手、離せよ……」
でも、今見せてくれたから。気持ち、見せてくれたから。
「…俺がどうするか…それで、分かるだろ?…」
ずっと見えなかったものが。ずっと見たかったものが、今。
「…来須……」
こうやって、見ることが出来たから。


…早くこの手を解いてくれ…そうしてお前の背中に…手を廻させて……


手が解かれる。その瞬間、瀬戸口の両手が伸びて。伸びてそのまま。そのまま来須に抱き付いた。きつく、離れたくないとでも言うように。ぎゅっとその手を背中に廻した。
「…瀬戸口……」
驚いたように自分を呼ぶ声に、瀬戸口は微笑った。まだ息は少し乱れていたけれど。それでも微笑った。子供のように微笑った。ひどく、嬉しそうに。ひどく、しあわせそうに。
「…やっと手…廻せる……」
そのまま飛び込んで来る見かけよりずっと華奢な身体を来須はきつく抱きしめる。瀬戸口が抱き付く腕の強さと同じくらい…いやそれよりももっと強く。強く、抱きしめる。骨が砕けてしまうほどに、きつく。
でもそれは何よりも。何よりも瀬戸口を喜ばせるものだったから。何よりも、どんな事よりも。
「…好きだ…来須…好きだよ……」
自分を見上げてくる紫色の瞳に、来須は微笑った。やっぱりそれは何時もの彼の優しい笑みだった。でも。でも瀬戸口は気が付いたから。分かったから。彼がこうして自分に優しい瞳を向けていてくれたのは。向けてくれていたのは。

―――何よりも自分を大切に…思っていてくれたからだって……


「…ずっと…不安だった…俺だけが…お前を好きだって…俺だけがお前のことを想っているって…何時も何処かで…怯えていた」
髪を撫でる指先。優しい指先。何時もの彼の指先だった。でもそれが。それが今は何よりも。何よりも瀬戸口にとって心地よいものになるから。
「…何時かお前が俺以外の誰かと…そんな事ばかり…思っていたから…俺……」
「だから何時も俺の前では」
背中に廻した手を何度も瀬戸口は行き来させた。そうしてぬくもりを、広さを指に刻む。自分にとって永遠であるこの場所を。この場所を手のひらに、指先に。
「だって何時も俺からだから…キスをするのも…セックスするのも…俺からだから…」
「俺はお前が望むことは全て、叶えてやりたかった」
「…来須……」
「お前が望まないものは、必要なかったから」
耳に降ってくる言葉に、降り積もる言葉に。瀬戸口は睫毛を震わせるのを堪えきれなかった。どうして。どうして自分はこんな彼の優しさに気付かなかったのか?こんな優しさを見逃していたのか?何時も自分の想いに精一杯で。精一杯だったから、こんな大切なことを。こんなに大事なことを、自分は見逃していた。こんなにも大切なことを、自分は。
「でもすまない…ちゃんと言葉にしなければ…伝わらないな……」
唇がそっと。そっと瀬戸口の額に落ちてくる。そこからじわりと広がる甘さが、何よりも瀬戸口の心を満たして。満たして。
「―――瀬戸口…今俺はお前が欲しい……」
「…うん……」
「お前を、抱きたい」
「…うん…来須…俺もだ……」


「…俺も…お前に…抱かれたい……」


そのまま身体を抱き上げて、来須は近くにあった机の上に座った。このまま床に押し倒せばその身体が冷たくなるという来須の小さな配慮だった。それに気付いた瀬戸口がくすっとひとつ微笑う。そんな優しさがきっと多分…自分はどうしようもない程に好きなんだろう。ううん、好きだ。どうしようもない程に好きだ。
向かい合うように来須の膝に乗せられて、瀬戸口はもう一度背中に腕を廻した。けれども片方の手だけで、もう一方の手は来須のズボンのファスナーへと伸びる。そのままジィーと言う音とともに、瀬戸口は充分に硬度を持った彼自身を外界へと開放する。手のひらで包み込み撫で上げれば、それは熱を持って瀬戸口に答えた。
「…瀬戸口…お前…」
そのまま腰を浮かせ来須自身を入り口に当てる瀬戸口を、来須は自らの腕で停止させようとする。けれども瀬戸口は首を横に振って。
「平気だ…血で濡れてるし…それにもう俺が…我慢出来ない……」
「―――瀬戸口……」
「…お前が欲しくて…我慢、出来ない……」
夜に濡れたアメジストの瞳が一途に来須を見つめる。それが何よりも綺麗で、どうしようもない程に綺麗で。来須はその瞳に誘われるように瀬戸口にひとつ口付けると、そのまま両腕を彼の細い腰に廻した。そして。
「――――あっああああっ!!!」
そしてそのまま思いの丈を込めて、その身体を自らの楔で貫いた。想いの熱さと同じだけ熱く激しい、楔で。


接合部分が立てる濡れた音が、血からもたらされているのは分かっていた。それでも瀬戸口は来須の背中にしがみ付き、激しく腰を振る。肩に噛みつき痛みを堪えながらも、肉を求めることを止めなかった。
「…くふうっ…はぁぁぁっ!!」
噛み付かれた肩から血が、流れてきた。けれども来須は瀬戸口のしたいようにさせた。繋がった個所から流れる血が彼を傷つけているのならば、そのくらい何でもなかった。むしろもっと。もっと噛み付かせたかった。
そうして残る痕が。その痕こそが、彼が自分のものだと言う所有の証になるのだから。
「…あああっ…あぁぁっ…来須…来須…っ……」
伸びてくる紅い舌に、来須は迷うことなく自分のソレを絡めた。くちゅくちゅと絡み合う舌から唾液が零れる。けれども構わずに二人は互いの舌を貪り合った。そして。そして、繋がりあう。上も下も繋がって、ぐちゃぐちゃになって。そうして感じる、今。今ひとつになっているんだと。互いが望んで、そして求めてこうなっているんだと。自分だけじゃない。自分だけが望んでいるんじゃない。その想いと同じだけ相手も、自分を求めてくれているんだと。自分を欲しがってくれているんだと。
「…あぁっ…あぁぁ…もぉっ……」
零れ落ちる涙は、快楽のためでもあり、喜びのためでもあった。こんな風に、心も身体も全てが満たされて。何もかもが満たされて、抱かれている事が。こうやって抱かれている事が、何よりも。何よりも、しあわせ。何よりも、うれしい。ずっと。ずっと、このまま。このまま繋がっていたい。ずっと、ずっとこのまま。
「…イクか?瀬戸口……」
「…一緒に…な…一緒に……」
涙で霞む視界を、それでも瀬戸口は精一杯に愛する人の顔を見つめた。ただひとり、瞳に焼き付けたい人。ただひとり、見つめていたい人。どんな顔も、どんな表情も全部。全部ずっと。ずっと、見つめていたいから。
「―――ああ……」
好き。好き、好き。こんなにも好きで、こんなにも大好きで。どうしていいのか分からないほどに。どうすればいいのか分からないほどに。ただひたすらに、求めている。ただひたすらに、想っている。溢れるほどに、想っている。
来須の掴んでいる腕の動きが激しくなる。無茶苦茶とも思えるリズムを刻まれて、瀬戸口の口からひっきりなしに嬌声が零れる。でもそれが。それこそが、今。今自分達に必要なものだって分かったから。こうして我を忘れて、思いのままに。ただひたすら想いのままに、互いを求めることが。求めることが何よりも、大切だから。
「あああああっ!!!」
最奥まで貫かれ、瀬戸口は喉を仰け反らせて喘いだ。その瞬間意識が真っ白になって、互いは自らの欲望を吐き出した。



…約束なんてしなくても。
――――…ん?……
…そんな事しなくても、お前。
――――瀬戸口?
…俺の元へ…来て…くれる、よな……



いっぱいいっぱい、約束をして。いっぱいいっぱい、ねだった。
そうする事で確かめていた。そうする事で確認していた。
まだ俺の我が侭を聞いてくれるんだって。まだ俺を見ていてくれるんだって。
でももう。もうそんな事をしなくても。そんな事、しなくても。


――――俺のこと、見てくれているって…分かるから……



「でも、瀬戸口これからは」
「何?」
「―――教室で…待つな……」
「どうして?」
「…速水に……」


「何されるか、分からないから」


真顔で言ってくる来須に、瀬戸口は子供のように微笑った。
ひどく嬉しそうに微笑って、そして。
そして自分から、キスをする。消毒だって、笑いながら。そして。




「――――大丈夫、今度からお前の家で…待っているから……」


END

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