蒼い月の華

――――足許から浸透する水に、全てをゆだねた。


腕の中にずっと抱かれていたくて。
抱かれていたかったから、手を離さなかった。
唇を重ねて。そっと、重ねて。
舌を忍ばせて。そのまま。
そのまま舌を、噛み切った。


「…来須…月が、見える……」
白い手が背中を滑る。不思議と血の匂いがしない。
「…蒼い月、お前の中に見える……」
背中はべっとりと、血塗れなのに。お前の手は、血だらけなのに。
「…見える、食べたいな……」
何処までもお前は血の匂いが、しなかった。


運命線がぷつりと、切れる。そこから先にあるのは、透明な水。


切り刻んだ、身体。いっぱい、いっぱい切り刻んだ身体。
俺の身体血塗れで、切り刻んだから血塗れで。だから。
だから俺を抱いたお前は、もっと。もっと、血塗れ。


花びらが散ってゆくように、俺の肌を飛び散る血。


「…ねえ…このまま全部、お前…食べてもいい?…」
唇が離れれば、唾液と血の交じり合った液体が、ふたりを結ぶ。とろりと、口許から零れ落ちるもの。それを。それをお前の舌が、辿る。
「―――瀬戸口…俺が欲しいか?」
「…うん、欲しい…全部…欲しい……」
その舌がゆっくりと俺の皮膚に触れる。刻んだ傷が無数にあって。その傷一つ一つにお前の舌が、触れて。舌が…触れて……。
「…欲しい…お前だけが……」
零れて来る血を、全て。全てお前の舌が辿ってゆく。べとべとになった俺の身体を、お前の舌が。お前の中に俺が、入ってゆく。このまま。このまま全部。全部、俺を食べて欲しいなと思った。皮膚も皮も、肉も骨も、内臓も、全部。全部、お前の中に獲り込まれたい。
「…ねえもっと…もっと俺を…溶かして…お前で…埋めて……」
髪に指を絡めて、お前を引き寄せる。触れる唇と、触れる舌。その全てが、ああ。ああどうしようもなく俺には甘い。甘くてそして。そして蕩けてしまいそうだ。


口から零れるのは甘い息。甘い、吐息。
それが次第に間隔が狭くなってゆき、そして。
そして甘い悲鳴へと、変わる。
意識も熱も全てを奪う、甘い悲鳴へと。


貫かれた個所が燃えるように熱い。身体の全ての熱がそこに集中して。そして繋がった個所から溶けてゆく。とろりと、溶けてゆく。
「…あぁっ…ああ…来須っ……」
何時も想っている。何時も想い続けている。好きだと、お前だけが好きだと。終わる事のない無限の想いは、俺を何処まで連れて行くのかと。何処まで、俺を。
「…あぁぁ…ああっ……」
終わりのない欲望。お前が欲しい。乾くことのない想い。お前だけが欲しい。ただ、それだけ。ただそれだけが、ずっと。ずっとずっと俺を苛んで。そして。


そして、残るものはただひとつの愛。


血塗れの身体。血だらけの身体。皮膚から飛び散る血の飛沫。それがお前の綺麗な髪に、顔に飛び散って。飛び散って俺の血でお前は染まってゆく。

…それが、俺が綺麗なお前を穢しているみたいで…ひどく、満たして……


「…来須…来須…ああっ……」
喘ぎ仰け反りその名を呼ぶ。
「…瀬戸口……」
零れる血も全て飲み込んで。俺を。
「…あああっ…ああああ……」
俺を貫くお前の熱が、何処までも俺を埋めてゆく。



――――ぽたり、ぽたりと、堕ちてゆく紅。俺の、涙の色。




「まずは、目から―――瀬戸口……」
その言葉にお前は子供のように微笑った。その顔を、その紫色の瞳を、俺は焼き付ける。俺の脳裏に、俺の心に。そして。
お前の白い歯が、俺の目を噛み砕く。取り込んでゆく。
「…もう俺は…お前が他の誰かを見て嫉妬することもないんだね…」
「次は、喉か?」
唇が、降りて俺の喉を噛んで。そして引き千切って。そのまま血を啜る音が聴こえてくる。
「…これでお前が他の誰かの名前を呼ぶこともない……」

――――次は俺の心臓か?瀬戸口……


ああ、全部。全部、お前にやろう。
俺の血も肉も骨も、全部。全部お前だけに。
そうしたらもう。もうお前は。


…淋しくないだろう?……




「…何で俺…こんなにお前を、愛しているんだろう?……」




瞳に映る月ですら、許せなかった。蒼い月が許せなかった。
俺以外のものが映るのが、許せなかった。全てが、許せなくて。


――――だから俺は……


一面に散らばる血が、混じりあってひとつになる。
頭上の蒼い月が照らすのは、無数の紅い華。

―――蒼い月の、華。




「…なんでこんなにも…愛しているの?……」




答えなんて何処にもなく。何処を捜しても見つからない。
何処を捜しても、見つからない。けれども。けれどもその手が。



…その手がそっと瀬戸口の髪を撫でる…それが全て、だった……


END

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