―――ただひとつだけ、欲しいものがあった。
それを手に入れる為ならば、どんな事でもしよう。
それをこの手に入れる為ならば。
俺は修羅にでも悪魔にでもなろうと決めた。
欲しいもの。ただひとつ、欲しいもの。
その金色の髪と、その蒼い瞳。それだけが、欲しい。
霧が残る外の景色をぼんやりと瀬戸口は見ていた。誰もいなくなったこの執務室で、服も着ずにそのままで。剥き出しになった肌には無数の紅い痕が付けられている。同時に白い液体も。太ももから脹脛にかけて伝う精液をふき取ることもせずに、ただ。ただぼんやりとけぶるその景色を見ていた。
「――――」
声を出すのも億劫だった。散々攻めたてられた身体と、そして声が軋んだ悲鳴を上げている。二人は容赦なく瀬戸口の身体を貪る。そこに優しさは何一つない。
当たり前だ、これは陵辱という名の、拷問なのだから。自分を士魂号に乗せるために繰り返し行われる、最も効果的な拷問。
何時もそうだった。何時も、そう。力のある人間は身体を征服することで、心も征服しようとする。上層部の人間は皆、そうだ。皆自分を犯して、そして心を操ろうとする。
あの日々を思い出す。士魂号に乗らされ続け、戦わされ続けた日々。毎日のようにアレに乗るために、犯され続けた日々。男を咥えこむ事を、男を悦ばす事を教えられた日々。でも今はそれを。それを武器にして、自分は。
――――自分が持っているものが、この穢れた身体しかないのならば……
欲しいものが、あった。ただひとつ欲しいものが。
全てを諦め、全てを捨てて。それでも欲しいものが、あった。
だから自分は。自分はこのただひとつしかない武器を使って。
使って戦おうと、そう。そう、決めた。
…ただひとつ、欲しいものの為に……
見ているだけで今は、いい。見つめているだけで今は、いい。今は、まだ。
「…来須…銀河……」
ぼんやりと映っていた視界の中で、そこだけが切り取られたように鮮やかになった。そこだけが色を成して、瀬戸口の瞳に映る。鮮やかに、映る。
霧が覆う景色の中で、独り。独りグランドを走るその姿が。顔色ひとつ変えずに深く帽子を被り、黙々と走り続けるその姿が。
「…来須……」
お前はきっと憶えていないだろう。きっと憶えてもいないだろう。初めて若宮と善行にレイプされたあの日。神経も心もすり減らされてぼろぼろになったあの時。お前が。
―――お前が、あの時差し出した手が、俺にとって全てになっている事に。
『どうした?』
頭上から聴こえてくる声に、瀬戸口はのろのろと顔を上げた。上げるのも本当は億劫だったけれど。ただ。ただ何故かひどく心に声が染み込んできた、から。
『…あ……』
顔を上げた瞬間、瀬戸口は後悔をした。飛び込んで来たその蒼い瞳に。その綺麗な瞳に、今の汚された自分が映るのがひどく…ひどく嫌だったから。
――――その綺麗な瞳まで、穢してしまいそうな気がして……
『何でもねーよ』
身体の痕を、匂いを、気付かれなくてわざとぶっきらぼうに言った。気付かれなくて、わざと。気付かれたくなかった。他の誰にどう思われても構わないのに。誰に何を思われようがどうでもいい筈なのに。何故か。何故か目の前の男にだけは。
『そうか』
それ以上彼は何も言わなかった。ただ無言で瀬戸口を見つめて。見つめる、瞳が。その瞳が、何故か。何故かひどく優しく、見えたから。
言葉にならないもの。言葉にしないもの。それでも。それでもそうして自分に注がれた優しさが。優しさ、が。
―――このままこの瞳を見ていたら…自分は涙を堪えきれないと…思った……
そう思ってその場を離れようと立ちあがった途端。その途端差し出されたのはその大きな手。大きくて、そして。そして優しいその手。その手、が。
『…来須……』
初めて名前を呼んだ気がする。クラスメートだったのにその存在すら、思考から外そうとした相手。ううんわざと外していた。そうしないと自分は身を護れないと思ったから。無意識のうちに意識から彼を阻害していた。何故ならば。何故、ならば。
『…あ、…ありがとう……』
…何故ならば、その存在を意識した瞬間に…惹かれずにはいられなかった、から……
「…好きだって…言ったら…どうする?……」
言葉にしてみたら、零れてきた。切なさと苦しさが、零れてきた。零れて、そして。そして耐えきれなくなって。耐えきれなくなって、瞳から。瞳から涙が、零れ落ちた。
「…俺……」
欲しい、欲しい。お前だけが欲しい。どうしたら手に入るの?どうしたら手に入れられるの?お前だけが、欲しい。その金色の髪に触れたい。その蒼い瞳に映りたい。その腕に抱きしめて、欲しい。その唇で、その指で、俺に触れて欲しい。
「…俺…は……」
目を閉じれば睫毛から零れる雫が頬に伝う。そっと零れて落ちてゆく。精液と血で塗れた床の上にぽたり、ぽたりと。零れ落ちる綺麗な涙だけが。その想いだけが、穢れた自分を浄化してくれるような気が、した。
カチャリと、音がした。内側から鍵を掛けている為にここを開ける人物は二人しかいない。そして。そしてその扉を開けた人物は…瀬戸口には好都合な相手だった。
「…瀬戸口……」
涙はそのままにした。わざと、そのままにした。もしもこの扉を開いたのが善行だったなら、一瞬で被害者の顔を作っただろうけれど。
「…若…宮……」
わざと、そのままにした。そして涙を零したままの瞳で。わざと。わざと、切なげな表情を作って。そして、その顔を見上げて。見上げ、て。
「…若宮…俺……」
瞼を閉じて、そして俯いた。これで、いい。後はきっと。きっと思いのままに。思いの、ままに。
「…瀬戸口…俺は……」
近付いてくる足音。そして切羽詰ったような、声。ほら、予想通り。自分の予想通りになってゆく。後は。後はこうやって顔を上げて。顔を上げて、泣きながら見つめればいい。
「…俺は…瀬戸口……」
ごくりと唾を飲みこむ音。これで。これで、この男は。この男は自分に堕ちてゆくだろう。ほら。ほら手が、震えている。震えてそして。そして、俺の身体をきつく抱きしめた。
――――ほら…手のひらに堕ちてきた……
後はもう、目を閉じてこの男にされるまま。されるまま、抱かれればいい。身体を開いて駒が一つ入るならば、こんなに安い買い物はないから。後はお前を意のままに。この身体ひとつで、意のままに操ればいい。
綺麗な金色の髪、そして空よりも蒼い瞳。それを手に入れる為ならば、俺はどんな事でも出来た。
唇が、降りてる。それは普段、陵辱している時の口付けとは明らかに違う。熱い思いが込められた、激しい口付け。俺はわざと怯えるように舌を逃しながら、それでも絡まってくるソレに答えてやった。戸惑いながらも背中に手を、廻して。
「…んっ…んん…ふぅっん……」
抱きしめる、腕。髪を撫でる、指先。震えているのが可笑しかった。あれだけ俺を好き勝手しながら、何を今更だと思った。それでも俺はわざと。わざとびくりと震えた。
「…瀬戸口…俺は……」
唇が離れて、見つめてくる瞳は熱っぽい。真剣に貫くように俺を見つめてくる瞳。その瞳に答えるように俺は。俺は見つめ返した。お前の顔を見ながら、心に別の人間を思い浮かべて。
「…俺は…お前の事が…好きなんだ…指令の命令で初めは抱いていたけれど…でも今は…今はお前を俺だけのものにしたい…お前を…俺は……」
「…若宮……」
「…俺はお前を…愛してしまった…んだ……」
陳腐な科白だと思った。愛したのは俺の身体じゃないのか?とも思った。けれどもそんな事は口に出しはしないけれど。その代わりに俺は大げさに驚愕の表情を浮かべた。そして。
「…嘘……」
そして、俺は。俺は静かに蜘蛛の糸を張り巡らせる。お前を絡め取るために。お前を、捕らえるために。
「…嘘じゃない…俺は…瀬戸口……」
「…だったら…証拠を……」
「…瀬戸口……」
「…証拠を…見せてくれ……」
俺の言葉にお前はきつく俺を抱きしめて。抱きしめてそして、そのまま俺の身体を床に組み敷いた。
さっき散々貫かれた身体は軋んでいたけれど…それでも俺はその腕に抱かれた。
「ああああっ!!」
バックのまま貫かれる。巨きくて硬いお前の武器が俺の中を抉る。さっきあれだけ散々犯しておいて、その欲望の印は衰えることがなかった。痛い程に俺の中を引き裂いて、激しく存在を主張する。
「…あああっ…ああああんっ……」
「…瀬戸口…瀬戸口…俺の……」
手が胸に触れて、そのままぎゅっと摘ままれた。腰を激しく動かしながら、何度も何度も胸の突起を揉む。そのたびに痛い程に乳首が尖って、俺を悩ませた。
「…俺の…俺だけの…ものだ…瀬戸口…俺だけの……」
「…ああ…ああんっ…若宮っ…はぁぁっ……」
ぐちゅぐちゅと濡れた音がする。肉のぶつかり合う音。お前は激しく腰を揺さぶりながら、俺を何度も何度も貫く。まるで自分の思い全てを俺にぶつけようとするかのように。
「…瀬戸口…誰にもお前を…渡したくない……」
「…ああんっ…あんっ…あああっ……」
身体は火照ってゆくのに心が冷めてゆくのが分かる。お前は今俺を夢中になって抱いているから、分からないだろう。今俺がどんな目をしているのか。その目を見たらお前は、きっと。きっと全てを崩壊させるだろう。
―――でもまだ見せはしない。お前を利用し尽くすまで…まだ俺は……
「…ああ…もぉ…もぉ…若宮っ……」
「瀬戸口…俺も…もう……」
「あああああっ!!!」
どくんっと音とともに大量の精液が俺の中に注がれる。その熱さを感じながら、俺は自分が冷静に微笑っているのに気が付いた。
奪われることしか知らなかった。俺はずっとただ奪われるだけだったから。
唯一過去に愛した女性も。人として真っ当に生きる人生も。そして、身体も。
ずっと奪われそして犯されることだけが、俺の全てだったから。だから。
――――ただひとつ欲しいものを手に入れるために、他の全てを奪う……
「…若宮……」
何でも、するよ。何だって、する。
「…俺を…離さないで…お前のものだけにして……」
彼を手に入れる為ならば、俺はどんな事だって出来る。
「…誰にも俺を……」
どんな嘘も、どんな冷酷なことでも、どんな酷い事でも。
「…渡さないで……」
抱きしめる腕の力が強くなる。その強さを感じながら俺はひとつ、微笑った。口許だけで、微笑った。
END