DISTANCE・2

視界が漆黒の闇に覆われ。全てが黒と紅になり。
そして。そしてゆっくりと忍び込む狂気に身を委ね。
堕ちようとする魂を、その手が。

―――その手が、引き上げて、くれた。


抱きしめる腕の強さと、そして身体に感じる痛みが、生きている証拠なんだとふと思った。
「…どうして…そんなに……」
見上げた。顔を上げればそこに在るのは、蒼い瞳。彼女と同じでありながら違う、蒼い瞳。
「…君には…見透かされるんだろう……」
君の前で俺は、何時も剥き出しになる。
彼女の前ですら咄嗟に仮面を被れたのに、どうして君の前ではそれすらも出来なくなってしまっているのか。
それすらも、出来ないのか。
「…全部…見透かされてるんだろう……」
触れたいと思った。金色の君の髪に、そっと。そっと触れたいと、思った。


聴こえない声を、見えないものを。俺は感じることが出来た。
人間が見えないものを、俺は見ることが出来た。
だからと言って、それをどうする訳でもなかった。
どうにかしてもそれが一時凌ぎでしかないと分かっているから。
一時的にそこに手を伸ばしても、気休めでしかないと分かっているから。
だから俺は、何時も。何時もただ聴いているだけだった。


――――助ケテ…誰カ…俺ヲ……


なのに俺は、その手を伸ばした。その声を無視出来なかった。
その声を聞き逃す事も、自分の心の中だけに止めておく事も出来なかった。俺は。俺は気が付いたら。
自分の理性と自分の制御と、そして。そして自分の意思を振り切って、この手を。この手を伸ばして、いた。
「―――お前が…呼ぶからだ……」
自分の『意思』の届かない場所で。自分の『制御』の届かない場所で。
自分の『思考』すらも届かない場所で、俺は。俺はお前を。お前、を。
「…俺を、呼ぶからだ……」
……理性も意思も届かない場所で、俺は。俺はお前を、捜して…いた……。
「…君の事、呼んでいた?……」
そっと手が伸びてきて、俺の髪に触れる。その途端風がひとつ吹いて、帽子を空へと飛ばした。
初めて出逢ったあの時のように、俺の帽子を風が飛ばしてゆく。けれどもお前の手は、帽子よりも俺の髪に触れていた。
「呼んでいた。生きたいと叫んでいた」
「…そうか…俺…叫んでいたんだ……ずっと……」


「……生きていたいって………」



あの時、死ねなかったのは。君を失っても死ねなかったのは。
君のいない世界で殺戮だけを繰り返し、それでも生き長らえていたのは。
それでも生かされていたのは、それは。

――――それは俺が、生きていたかったから。

自分の意思で、自分の心で選択したもの。
そうだ、俺は。俺は生きて、君のいない世界で生きて。
それでも捜したかったんだ。捜した、かった。
俺が生きている意味を。与えられた命の意味を。
生まれてきたことの意味を。生きてゆくことの意味を。


生まれてこなければよかった命なんて、ないと。それを、捜したかったから。



「―――君の瞳が、もしもそんなに綺麗じゃなかったら」
「…瀬戸口……」
「きっと俺は気付かなかった」
「……」
「君の瞳が俺を見透かさなければ俺は。俺はずっと、気が付かなかった」


「…心の声に。自分が叫んでいるこの声に……」


突然に、気が付いた。君の瞳を見つめて。君のその蒼い瞳を見つめて。
ふと、気が付いた。俺は。俺は、きっと初めから。
初めから、初めて出逢った瞬間から。君に、気付いて欲しかったんだと。
他の誰でもない、君に。真っ直ぐに俺を見透かす瞳を持った君に。
君だけに、俺は。俺は必死で隠してきたものを、気付いて欲しかったんだと。


――――君が俺に、微笑ったから。


バカだと思うかな?きっと言ったら飽きれるだろうね。
でも、俺。俺は今まであんな風に微笑って貰ったことがなかったんだ。
今まで俺が関わってきた人間の中で、あんな風な笑顔を。
あんな優しい笑顔を、俺は。俺は貰ったことがなかったから。

俺の『名誉』目当ての媚びる笑顔と。俺を『性欲処理』に使う為の欲塗れの笑顔と。
軽いだけの、ただ上辺だけの笑顔と、そして。そして俺を欲しがる雌猫達の笑顔と。

そんな笑顔しか、知らなかったから。俺は知らなかった、から。
だからあんな何もなく、ただ向けられる笑顔を。ただ与えられる笑顔を。
優しく無条件に与えてくれる笑顔を、俺は。


彼女ですら、何処か。何処か初めは遠慮していた。
それが種族の壁なのかと思って諦めていたけど。
でも今、俺には。俺には、一番欲しかったその笑顔が。


「…もっと、微笑って……」
髪に触れていた指を、背中へと廻した。自然にその動作が出た事が、自分にとって不思議だった。
「…君の笑顔、見ていたい……」
初めて心から、この言葉を告げた。女の子を口説く時によく使っていたけれど、こんな風に。
こんな風に本当に心から思って使ったのは、初めてだった。
「―――ずっと、見ていたい」
ぎゅっと背中に抱きついた手に力を込めても、君は俺を離さなかった。
それどころか君が廻している俺の背中の腕が強く、なって。
「瀬戸口、お前が悪い」
そのまま俺を真っ直ぐに見つめて。そして。
「…え?……」
――――そしてそのまま、唇を、奪われた……。



本当はずっと、その声を聴いていた。
ずっと、ずっと、聴いていた。
時間軸の中で旅を続ける俺に、その声は常に纏わりついていた。
ただ一言『生きていたい』と。
ずっと、ずっと、俺は聴いていた。
誰とも分からない、けれども強い想いが。
ずっと。ずっと、俺を捕らえて離さなかった。


『…風…みたいだ……』


見つけたくは、なかった。その声の主を見つけたくはなかった。
見つけてしまったら俺は、きっと。きっと、こんな風に。
こんな風に壊れかけた魂を、淋しく震える魂を。

―――抱きしめずには、いられなかったから……

抱きしめて、やりたかった。独りだと震える魂を。
ずっと俺が聴いていたと。ずっと俺のそばに在ったと。
ずっとずっと、俺のそばに。
どれだけの時間を、場所を渡っても。どれだけの偽名をどれだけの月日を刻んでも。
ただひとつ、それだけが俺のそばにあったんだと。
ずっとお前だけが俺のそばに、いたんだと。そう、俺は。俺は…


――――初めから、お前に…惹かれていた……


捕らえて離さない紫色の瞳。聖にも魔にもなれないただひとつの瞳。
俺と同じだ。俺と、同じだ。何処にもゆけずに、誰の心にも刻めずにただ。
ただ時間の中に流され、そして。そしてそれをこなしてゆくだけ。
何の為に生まれたのか?何の為に生きているのか?
そんな事すらも分からずにただ。ただ流れの中に生かされている命。

それでも俺は、お前を見つけてしまった。
それでもお前は、俺を求めていた。

意味のないものなんてこの世の何処にもない。
いらないものなんて、世界の何処にもない。
生まれてこなければいい命なんて、何処にもないのだから。



「…来…須…んっ……」
触れて、離れて。けれどももう一度その唇に触れた。
「…んん……」
驚いたように見開かれた瞳は、けれども俺の口付けを受け入れる。
「…来須……」
きつく背中に抱き付いて、俺を受け入れる。



抱きしめてしまえば、腕の中に閉じ込めてしまえば、もう離す事なんて出来はしないのに。



「…どうして…君の顔が……」
声が、震える。抱き付いてくる腕も。小刻みに、震えて。
「…君の顔が先に浮かんだんだろう……」
そして。そしてその瞳から。その紫色の瞳から、ひとつ。
「…彼女よりも先に…君の顔が……」
―――ひとつ、零れ落ちた。


「…おかしいよな、ずっと俺…俺…彼女の事だけを思ってきたはずなのに…なのにさ、出逢ったばかりの君が…君が…一番最初に…浮かんでくるんだ……」


「…瀬戸口……」
「…君が…俺に微笑うから…いけないんだ…あんな…何の駆け引きもなく微笑うから……」
「……お前は………」
「…どうしてそんなに君は、優しいの?…どうしてそんな優しい目をしているの?……」
「―――それはお前が、ずっと……」

「…ずっと、孤独だったから……」


震える細い肩を、濡れる紫の瞳を。
小さく凍えた魂を。傷ついた心を。
この手で。この手で、癒したいと。



「お前は本当は誰よりも生きたいと願っているのに、わざと自分を陥れ、そして傷ついている。
もっと違う道がお前には在るはずなのに」
「―――どうしていいか、分からなかったんだ…彼女が死んで誰も…俺に答えを教えてくれなかった…
誰も俺を必要だと言ってくれなかった…『俺自身』を必要だと…」
必要なのは、この力。人間できない俺に皆が必要としたのは、この力。殺戮者としての存在。
だって『人間』達は自分は傷つきたくはないんだもの。
何時も俺よりも高い位置で、安全な場所で俺が戦うのを見ているだけだもの。彼女、以外は。俺とともに戦った彼女以外は。
だからね、俺戦うのを止めた。必要のない存在になって、それでも。
それでも何時か誰かがそんなモノなどなくても、俺を必要だと言ってくれるかと思って。
「…俺は…生きたかった…本当は自分の脚で生きたかった…俺を必要としてくれる人間のために…生きたかったんだ」
何の為に、生きているのか?何の為に、生きたいのか?それは。それはとても簡単なこと。
――――あいするひとのために、生きること。
「…でも誰も…俺を必要とはしない…でも誰も…俺を…『俺自身』を…だから…俺は……」
あいするひとのために、いきること。
「…俺は…全てを諦め……」
「諦められなかったんだろう?だから叫んでいたんだろう?」
手が、そっと触れた。触れて、俺の頬に掛かり。そして零れ落ちる涙を、拭ってくれた。


「…なぁ…来須……」
君の手が、君の声が。
「なんだ?」
君の腕が、君の瞳が。
「…泣いて、いいか?……」
君の笑顔が、君の優しさが。
「構わない、泣け」
俺を溶かしてゆく。俺を埋めてゆく。
「声、上げるぞ」
空っぽの俺を。闇で染まる空洞を。
「構わん。思いっきり泣いてしまえ」
足りないものを、満たされないものを、埋めてくれる。


「俺が全部、受け止めるから」


目を閉じ、耳を塞ぎ。
そして隠してきたもの。
心を閉ざし、意識を拡散させ。
そして逸らしてきたもの。
それに俺は初めて、今。
今きちんと、向かい合った。


俺にとって足りないもの。俺にとって満たされないもの。
俺にとって欲しかったもの。俺にとって望んでいたもの。



―――俺はその時、生まれて初めて。声を上げて泣いた。君の腕の中で。






大切な存在を、唯一の存在を、貴方は得ては駄目なのよ。


時間軸を越える時、何時もそう言われ続けて来た。
誰かを愛すれば、それは枷にしかならないと。
初めから別れを分かっていながら愛するのは、それは何よりも残酷だと。
それは何よりも残酷だと、きつく言われ続けていた。
誰かを愛してはいけない。誰かを心に置いてはいけないと。
分かっている、それは嫌と言うほどに分かっている。それでも。
それでも自分を、こころを、止められなかった。


―――こんなにも愛しいと想う存在を、こんなにも欲しいと想う存在を。



ただ、抱きしめたかった。
凍えている手を暖めてやりたかった。
ただその涙を手で拭い、お前は。
お前は独りじゃないと言いたかった。
傷つき壊れゆくお前に。


俺はどうしても、その手を差し出さずにはいられなかった。


全てを捨てても、俺は。
俺はお前の事が、どうしようもなく。

…どうしようもなく…欲しかった……



「わー目が真っ赤で。これじゃあ色男台無しだな」
涙が枯れるほど、声が潰れるほど。お前は泣いた。生まれたての子供のような声を張り上げて泣いた。そんなお前が見せた次の顔は。
「―――自分で言うな」
次の顔はひどく、子供のような無邪気な笑顔だった。本当に子供の、ような。
「でも君の方がずっとイイ男だけどね」
「………」
「あ、怒った?」
「いや、飽きれた。さっきまであんな泣いていた癖に」
そのままで、いてくれと願った。生まれて初めて俺は願った。このままで。このままの笑顔でいて欲しいと。もうあんな風には泣かせたくはないと、俺は願った。
「いいだろ、もう…でもすっきりした」
泣かせたくはない。お前をもう孤独にはしたくない。けれども。けれども俺は。
「ありがとう」
何時しかここから、消えゆく存在。お前から、消えてゆく存在。お前の元から、俺は。
それでも俺は、この手をこの瞳を、離せない。離すことが、出来ない。
「――――来須…その……」
もう、俺は、後に戻ることが、出来ない。

「……き、だよ………」

微かに震える手が、俺の頬に掛かり。そのままお前から、キスしてきた。触れて離れる、一瞬の口付け。でもそれは。それは何よりも苦しく、甘く、そして切ないもの。
俺はその手を引き寄せ、そして。そして抱きしめて、もう一度お前にキスをした。


―――もうこのぬくもりを、離すことが出来ない。



何時ものように独り、校庭を走っていた。この時間には日とがいないから、あえて狙って走っていた。誰かに見付かるのも、誰かに逢うのも本当は出来るだけ避けたかった。必要以上に他人に近づく事は。――――けれども。
俺は自ら近づき、自らその手を差し伸べ、その存在を受け入れていた。いや、俺が。俺がその存在を、欲しかったから。このてに抱きしめて、そして俺は…。


―――声が聴こえていた。ずっと俺には聴こえていた。


時代も世界も、時間軸も分からない。どこの誰かもどこの場所で聴こえているのも分からない。けれども確かにその声は俺の元へと届いていた。ずっと、聴こえていた。
この声が俺を、この世界に呼んだのか?あの紫の瞳が俺をここに留めようとするのか?だとしたら、俺は。俺はどうすればいいのか?


「―――何を考えているのです?」
背後からする声に振り返れば、ひどく冷静な目をした男が立っていた。この男との会話は初めての挨拶の時だけだったが、それだけでも相当の切れ者だと言う事は分かったが。
「…いや……」
「そうですか?貴方に関しては珍しく走るのを止めて立ち止まっていたので」
「―――よく知っているな」
「私は仕事の関係でこの時間は何時もそこにいるんですよ。だからここの風景は丸見えですよ」
指を刺した先に、会議室があった。確かにソコからはここも良く見えるだろう。指令と言う立場上自らの部下達の行動は全てお見通しと言う事だろうか?
「良く見えるんですよ。でもまあ、ほとんどは小隊室にこもりきりですけどね」
「…善行…お前は何が言いたい?……」
――――全てを見ていると、言いたいのだろうか?……
「単刀直入に言います…瀬戸口には近づかないでください」
「何故、お前がそれを言う?」
「私が指令だからです。この部隊の責任者だからです。彼は貴方の手には負えない」
「―――何故?」
「…彼は絢爛舞踏章を持っている戦士です。貴方よりももっと手を汚している」
「それとこれがどう言う関係があると言うんだ?」
「―――少し、昔話を…しましょうか?……」
そう言った男の瞳は、ひどく淋しげに俺は見えた。


瀬戸口は、人ではありません。あの瞳を見れば分かると思いますが…彼は、元は幻獣でした。元は鬼でした。青の一族の最大の敵であり、そして人類の敵でもあったのです。
でもそんな瀬戸口は恋をしました。相手はよりにもよって敵である青の一族の少女。そしてその少女も瀬戸口に恋をしたのです。その結果、彼は鬼であることを捨てました。
彼の目が紫色をしているのはそのせいです。人=青にもなれず、魔=赤にも戻れず、中途半端な生命体として存在しているからこそ、あの瞳は紫色をしているのです。
―――瀬戸口は…信じていたのでしょうね…魔物を殺し続けていれば、何時かは人になれるのだと。愛する彼女とともに生きて行けるのだと。そう信じてかつての仲間を殺し続けました。絢爛舞踏を取るほどにね。


「でも彼は人にはなれません。彼の血が人間と同じになることはありえないのです」
「―――騙した、のか?」
「貴方みたいに戦場の上にい続ける人間ならば…分かるでしょうね。そうです、彼を騙したのです。騙し続けたのです、そうして利用した、彼の強さを」
「…上層部の考えそうな事だ……」
「人ではないですからね、彼は。死んでも奴らは痛くも痒くもない…いやむしろそれを願っていた」
「――――」
「戦いが終われば彼は不要な存在だ。万が一に元に戻ったりしたら非常に困る…でから軍は彼を殺そうとした…戦いの最期に」
「…戦いがなければ不要な存在……」
「けれども彼は死ななかった。彼の恋人が見を盾にして…瀬戸口を護った…悲しい昔の恋人達の物語です」


――――戦いがなければ、不要な存在……


それじゃあ俺と。俺と同じじゃないか。戦うためだけに時間を渡り、そして。
そして戦いが終われば消される存在。記憶から…全ての人間の、記憶から。


「瀬戸口は、彼女に縛られることで…戦い続け、そして止めた。でもそうでなければ都合が悪いのです」
「―――どう言うことだ?」
「簡単です、瀬戸口にもしも他に関心が出来たなら…もしも、その存在を護ろうと、人間よりも誰かを護りたいと願ったら」
「鬼に、戻ると言うのか?」
「そうなったら私は彼を殺す命令を出さねばいけません。貴方にですよ…スカウト・来須」


「貴方にそれが出来ますか?」


遠い昔の恋物語。愛した女は自分を、身を盾にして護った。そして。そして死んでいった、ただひとつの命。けれども知らない。彼は、知らない。自分の命を狙った相手を。彼女の命を奪っていった相手を。
「―――瀬戸口は知りません。彼女が『人間』の手によって殺されたことを。今でも幻獣にやられたと思っているでしょう。事実殺したのは幻獣ですから。軍によって操られた…幻獣ですからね」
だからこうして、生き続ける。魔に戻れず、人にもなれず。それでも生き続ける。彼女の想いが、彼女への罪悪感かせ。それが全てを縛り付けて。
「彼は中途半端なまま生かされなければならない。だから、近づかないでください。貴方には無理です。誰も彼を救えない」
「―――遅かったな…」
「え?」
「もう、遅い。俺は」


「…俺はあいつを…手放せない……」


「―――俺が…護る……」
お前が鬼に戻ると言うのならば。留め金が外れて戻ると言うのならば。
「俺が強ければ問題ないだろう?護ろうと言うあいつの思いよりも…俺が強ければ」
俺がこの手で。この手でお前を、護るから。
「私は指令です。そして上層部の命令にあります。―――瀬戸口に関心を持たせるな…と」
「ならば俺を殺せ。今なら間に合うかもしれない」
惹かれたのは。どうしようもなく惹かれたのは。見ていたものが、同じだったから。願っていたものが、同じだったから。求め続け、諦めながらそれでも。それでも捨てられなかったものが、それが同じだったから。
「…いいえ、今分かりました…それが無理だと言う事を……」
「―――善行?……」
「貴方の目を見ていたら、無理だと分かりました。貴方の目は瀬戸口と同じ。貴方達は同じものを求め、そして見ている」
「――――」
「―――護ってください、彼を。彼を壊れないように…闇に捕らわれないように…狂ってしまったらそれで終わりです。それで」
「…その時は、俺が……」


「―――俺が…あいつをこの手で殺す……」


「貴方の覚悟には驚きましたよ…何故そこまで拘るのですか?」
「…お前が言った…同じだと。俺達は同じだ」
「―――来須?」
「戦うためだけに存在し、そして捨てられる…存在……」



戦うためだけに、存在し。
そして消費され、捨てられる存在。
ただ捨てられる、モノ。
それでも俺は…俺達は生きていて。
そして、こんなにも願っている。


―――お前のしあわせを。お前の笑顔を、俺は……


ああ、今。今気が付いた。
俺が生きている意味を。俺が生きたい理由。
何の為に生まれ、そして。
そして何の為に生きているのか。
今やっと、分かった。



「――――瀬戸口は…俺が護る……」



今まで知らなかった。今まで分からなかった。
無意識に人を愛することを拒絶しながらも、それでも捨てられなかった想いが、今まで避けていた想いが、こんなにも。


―――こんなにも俺を、満たしてゆく。


もしもお前が俺を忘れても、俺が憶えている。
全ての時が記憶の果てに置き去りにされても、俺が憶えている。
お前を想った日々は。お前を愛した想いは。
全てが世界から消え去っても、俺からは消えない。
決して俺からは、消えないのだから。


―――永遠に、俺の胸の中に……


今、分かった。やっと辿り着いた。
俺が何度も時間軸を渡り、それでも。
それでも取られなかったものが、今ここに。
こんなにも簡単に、手を伸ばせばそこに。


全てが消えても、想いは永遠だ。
その時に感じた想いは、永遠なのだから。



「…俺が…俺の全てで……」



戦いが終わり、俺がお前の前から消えても。
俺の記憶がお前からなくなっても。それでも。
それでもその笑顔を、作り出してやれば。
この手で、俺が作り出してやれたなら。


それは『想い』として、お前の中に永遠に残るものだから。


俺が、消えても。俺が、消えてしまっても。
お前の笑顔を、お前を、護ることは出来るはずだ。
この想いさえあれば。この気持ちさえあれば。





――――ただ独りのお前を護る為に…俺は生きている……







目を閉じても感じる光が。瞼の裏をそっと照らす光が。
それがひどく、俺を。俺の心を、満たしてゆく。
それは今まで知らなかった、ひどく。ひどく、優しい気持ちだった。


「瀬戸口、最近学校来るね」
席が隣のせいか、ひどくこいつには懐かれている。人懐っこい笑顔が、前面に俺の前にあって。
「まあね」
流石にバンビちゃんは止めたけど、それでも前よりは普通に話していると…想う。無理に道化にならずに、普通に俺は。
「でも瀬戸口が来てくれて、嬉しいよ。君に逢えるの…凄く嬉しいし」
どこまでが本当の事なのだろうかと少しだけ思いながらも、その言葉に俺はひとつ微笑う事で答えた。この笑顔の裏に何か隠されていると想ったのは、きっと。きっと俺の気のせいだろうから。だから。
「―――凄く、嬉しいよ」
…きっと…気のせいなんだろう。


ふと顔を上げて、自然と。
自然と視線が絡み合った。
帽子の中から見える瞳が、そっと。
そっと、俺に微笑って。


―――俺はそれだけで、ひどく満たされて…いた……。



「―――可愛いね、瀬戸口は…可愛くて…欲しくなった……」
背後から聴こえてくる声に、善行はひとつため息をついた。何時もの気まぐれ、子供が新しい玩具を手に入れたように。新しい遊びを覚えたように。
「…また気まぐれですか?…貴方は……」
「うん。だってあんなに分かりやすい人はいないよ。廻りは全然気付いていないのかな?」
「―――貴方だから、気が付いたのですよ…速水くん……」
無邪気な天使、穏やかで陽だまりのようで。けれども、その中に潜む鋭い刃にどれだけの人間が気付くのだろうか。気付いたのだろうか?
「満たされているって顔している。あーんなに孤独だったのに…今は凄く満たされている」
選ばれし者。世界の選択が選んだ人間。最期の敵を倒すのは間違えなく、彼で。そして彼がこの世界をまた、新たに作り上げてゆく。その中に在る、自分達はただの捨て駒。
「だからね、その顔が絶望に歪むのを見てみたいな」
「―――悪趣味な……」
「だって、きっと…綺麗だよ…舞には叶わないけれどね」
選ばれし人間を作り上げるため、分かりやすい『HERO』を作り上げるため。その為に消費され、捨てられる駒。


―――戦いがなければ、不要な存在……


その言葉を思い出し善行は苦笑した。同じだ。自分達は、同じだ。HEROがいなければ、不要な存在。彼を頂点に立たせる為だけに存在する自分達。何が違う?何が違うというのだろうか?


―――同じ、じゃないのか?……


「綺麗だろうな…彼は…竜にはなれないのかな?そうしたら僕がこの手で殺して上げられるのに」
「…瀬戸口は竜にはなれませんよ……」
「どうして?」
「―――竜になるには…彼は優しすぎるから……」


そばにいても、もう。もう今はただ穏やかな想いだけで、満たされていた。
「―――何をじっと見ているのですか?」
ならば俺は。俺はもう君とは別の道を歩もう。君のしあわせを願うから。君のしあわせを、願うから。
「別に」
俺を嫌ってくれ。少しでも好意を持ったら、駄目だよ。少しでも俺に同情も慈愛も与えないでくれ。それがお互いに一番必要な事なのだから。
「お前の顔なんか、見たくねーよ」
とことん嫌ってくれ。そうでないとまた君を巻き込んでしまうかもしれないから。君は綺麗な道を、何も知らずに歩んで欲しい。
―――君はもう俺の手を必要としないから。そして俺も別の手を求める以上……
「私だった貴方の顔なんて見たくありませんわっ!」
これで、いい。いいんだ。だからずっと。ずっと、願っているよ。君がしあわせになる事を。こんな俺の腕じゃなく、別のもっと。もっと優しい手が、綺麗な手が、君を護る事を。


―――ずっと、君のしあわせを、俺は祈っているよ……


「わざと、か?」
誰もいない屋上。あれから何となく授業に出るのも、あの場にいるのも居心地が悪くてここまで避難してきた。自分の心はひどくすっきりとしているのだが、彼女を俺の言葉で傷つけたと言う事実が、少しだけ苦しくて。
「…来須……」
振り返らなくても気配でわかった。ふわりと優しい風が、感じられるから。君を包み込んでいるその空気が、俺にも。俺にも感じられるから。
「―――どう思う?」
空は青く、蒼かった。最初は彼女の瞳のようだと思ったけど、今は迷いなく君の瞳だと思える。全てを包み込む、優しい蒼い瞳だと。
「わざとだ。お前の瞳が傷ついているから」
空よりも君が見たくて、そっと振り返った。そこにあるのは、ただ。ただ優しい瞳。帽子に隠れていても、分かるから。この至近距離で見せてくれる君の瞳が。
「お見通し」
だから微笑った。嘘じゃない笑みだよ。これは、本当に微笑ったんだ。君の瞳を見ていれば強張っていたものも、溶かされてゆく。強がっていたものも、消えてゆく。
少しだけ残る苦しさも、少しだけ残る切なさも、全部。全部見てみたいから。君だけを、見ていたいから。
「慰めて、くれる?」
上目遣いに冗談ぽく言って、手を広げてみた。女の子みたいねだってみる。こんな馬鹿げた事が自然と出来る自分がおかしかった。何時もこんな風にバカな事をしていたけど、心の鼓動が高鳴っているのは…初めてだった。
「―――ガキだな…お前は」
微笑う、君。ああ、好きだ。この顔が、好き。どうしようもなく好き。どうしてこんなにも、君が好き?
「君がそうさせた。君が俺の我侭を受け入れるから」
嘘のように消えてゆく想い。あれだけ願っていた想いも、あれだけ執着していた想いも全て。全てがゆっくり消えてゆく。
――――『彼女』に対するこだわりも。『人間』に対するこだわりも。
「駄目だな、俺は…瀬戸口」
腕が、伸びて。伸びて、俺の身体をそっと引き寄せて。引き寄せて、抱きしめてくれる。広い胸が俺を包みこみ、力強い腕が俺を満たして。俺をゆっくりと、満たして。
「…お前の我侭を…拒めない……」
髪を撫でる指先が、傷だらけの手が。大きな、手が。全部。全部、俺は。俺は欲しくて。どうしようもな欲しくて。
「本当は、嫉妬しているのに」
「―――え?」
少しだけ強まった腕と、それでも髪を優しく撫でてくれる手が。その全てが、好き。
「お前の口から『彼女』の事を、聴いていないから」
「…びっくりした……」
「どうしてだ?」
「君がそんな事を言うとは、思わなかったから。だからびっくりした―――」
言葉が最期まで紡がれる前に、唇が塞がれる。触れるだけの口付けなのに、身体が震えるのはどうして?
「―――俺も、驚いている」
真っ直ぐに見つめる蒼い瞳。初めからこの視線がそらされる事はなかった。俺は少しだけ怖くて、その視線を僅かに逸らしていたけれど。
――――それでも、感じることが出来た。痛い程に真っ直ぐに俺を見つめている視線を。
「こんなにも感情を揺さぶられている自分に驚いている・…自分自身の事ですら一度もなかったのに」
その瞳を俺が真っ直ぐに見つめたら。逸らすことなく俯くことなく見つめたら。その時にはもう戻れない瞬間だと、心の何処かで気付いていたのかもしれない。
「…来須……」
見つめて、見つめあって。その瞳に自分だけが映されている瞬間が。自分だけが映っている瞬間が。それがそこにあって。ここに、在るから。
「―――好きだ……」
別に何を望んだわけでもなかった。何を願ったわけでもなかった。俺は人間になりたくて。人になりたくて、そして。そしてただひとつ欲しかったものは。欲しかったものは、ごく当たり前のモノ。当たり前にある、もの。
「君が好き、どうしていいのか分からない。どうしたら分かってもらえる?」
特別なものじゃない。選ばれるものでもない。ただ。ただ欲しかったもの。それは無条件の愛情。駆け引きも、計算もなにもない、ただ。ただ純粋な想い。
それが欲しくて、ずっと。ずっと死にきれずに、狂えずにいた。絶望の日々の中でもそれだけを願って。そして。そしてそれを与えてくれるものは『彼女』以外にありえないと思っていたから。でも。
「虫がいいって言われるかもしれない。彼女が俺を覚えていなかったから、そばにいた君を好きになったのだと、そう思っているかもしれない。でも俺は」
でも微笑ってくれたから。君が俺に、微笑ってくれたから。俺の心の声を君だけが聴いてくれたから。
「…君が好き…どうしようもないくらいに…どうしたらいい?どうしたら…信じてくれる?」
どうにか出来る想いだったなら、初めから好きにはならなかった。全ての制止と、全ての絶望を越えて。自分の意思すらも及びもしない場所で、俺は君に惹かれたから。
「教えて欲しい…俺が知りたいくらいだ…こんなにも君を好きなのはどうしてか…どうしてか…知りたい…」
「―――想いに理由などない」
「…来須……」
「理由が言える想いなら…その程度のものだ」


ああ、そうなんだ。
そうなんだと、思った。
言葉にすら出来ない想い。
形にすら出来ない想い。
溢れて流れて、そして。
そして自分の意思ではどうにもならないもの。
自分自身ではどうにも出来ないもの。


―――それがこの想い、ならば。


「醜い嫉妬だ、でも聴きたい」
「…うん……」
「お前の口から、聴きたい」
「…うん…来須……」
「お前の全てを、俺は知りたいから」
「――――ってそれって……」


「最高の…口説き文句だよ……」


腕に首を絡めて、君の蒼い瞳を瞼の裏に焼き付けて。
そのまま唇を重ねた。キスなんて、手段でしかないと思っていた。
その先に進む為の、欲望を満たす為の手段だと。
でも今はこんなにも感じている。こんなにも想っている。
唇を重ねて、想いを伝える為だって。
言葉には出来ない想いを、伝える為、だって。


「―――俺は人間じゃないんだ…この瞳、何処にもない色だろう?」
「お前だけの色だ」
「君ならそう言ってくれると思った。ありがとう…ずっと本当は気にしていたから」
「何故?」
「俺はどうやっても『同じ』にはなれないんだって…この瞳が在る限り、廻りの奴らと同じにはなれないって」
「…俺も…違う…」
「…来須?……」
「俺も、違う。俺も何時も廻りに溶けこまないように、馴染まないようにしていた。でもそれは溶け込めないから…馴染まないから…・・・」
「君を纏う空気が…優しいからだよ…それは…」
「―――瀬戸口……」
「優しい、君のそばは暖かくて、とても。とても優しいから。こんなに暖かく優しい空気を持った奴は他の何処にもいない」
「お前も、暖かい」
「…そんな事言われたの…初めてだよ…」
「どうしてだ?こんなにもお前は」
「わっ、いきなり力込めるなよ」
「――――あたたかい……」


俺さ、今まで全て『彼女』だったから。
こうして生きているのも、生かされているのも、全部。
全部、彼女がいたからと思っていたから…思い込んでいたから…。
…バカだよな…本当は…本当は自分が、自分の意思が…


…生きていたいって…言っていたのに……


「もう、俺は戦えない…戦いたくない……」
勲章も名誉も、いらない。血で濡らした手は、匂いは消える事はないかもしれないけれど。でも。でも少しずつ。少しずつ洗い流すことは出来るだろうから。だから。
「卑怯だと思われても…いい。誰ももう傷つけたくはない…結局俺は戦う事で逃げていただけだから。だから今度はちゃんと向き合いたい。自分自身にそして…そして、君に」
愛していたと言う思いに縋っていた。戦っている間はその想いが常に自分に纏わりついていたから。だから俺は、戦い続けた。君がいなくなっても、君を失っても。人間になれるかもしれない、なんて。本当はただのいい訳でしかなかったのに。
「見失う前に…何もかも見失う前に、ちゃんと。ちゃんと君を見て…そして…」
そしてただひとつの、かけがえのないものを手に入れたい。全てを失っても、ただひとつのものを。ただひとつの、ものを。
「そして、俺は」
君の手が伸びてきて、ひとつ。ひとつぽつんと頭を叩いて。そしてゆっくりと微笑った。その笑顔を見ていられれば。その笑顔があれば、俺は。
「俺も、お前からは逃げない」
俺はきっと、どんな事にも、耐えられるから。



「…可愛いなぁ、瀬戸口は…ね、岩田もそう思わない?」
「全く善行に言われたのに諦めきれないんデスカー?貴方と言う人はまったくですね、フフフ」
「だって、きっと綺麗だよ。戦ったら…士魂号に乗せて戦わせたいなぁ…だって彼は『絢爛舞踏』を持っているんだよ」
「フフフ、そう言うと思いましたよ。分かりました、このイワッチが何とかしましょう。貴方と私はペーーッストフレンドですからね、フフフ」
「うん、見たいな。凄く見たいよ。そして僕の運命に綺麗に飾らせたいな…僕と舞の運命に」
「エエ、とっても綺麗でしょうね…フフフフ……」


「準竜師、いかがですか?」
「瀬戸口隆之か…まあ、悪くはない」
「速水くんの我侭に付き合うと?」
「と言いつつ…お前のほうが楽しそうだ、岩田」
「フフ、分かります?ええ、楽しいですよ。楽しくてたまらない。彼の心の悲鳴はきっと、綺麗でしょうからね」
「―――悪趣味だな」
「どうとでも。でも貴方が言ったんですよ。士魂号重装甲西洋型を、操れる人間を捜せとね」
「まあ、そうだな。せいぜい次の『HERO』の捨て駒にでもなってもらおうかね」
「フフフ、貴方のほうが悪趣味ですよ」
「何とでも、言うがいい。それよりも岩田…手は、あるのか?」
「手なんて幾らでも作れますよ。たとえば…弱みを握る、とかね」
「弱みがある人間は『護りたいモノ』がある人間だ…今のあいつにそれがあると言うのか?」
「フフフ、今の彼なら…そうですね。作れますよ…そう…『あの子』を使いましょう」
「―――あの子…ああ、出来損ないか?」
「そんな事言ってたら駄目デスヨ、フフフ。出来損ないにしか出来ないこともありますよ。この世の中例え『捨て駒』で在ろうとも『クローン』であろうとも…命がある限り、生きている意味はあるのですよ」
「お前がそんな事を言うとは思わなかった」
「…フフフ…それが世界の選択ですよ……」



「――――所詮生きている限り…捜し続けるものは…それなのですからね……」



END

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