DISTANCE・5

―――いつも、いっしょ、だったよね。

どんな時でも、いっしょだった。
さびしかった時も、くるしかった時も。
ちょっとだけ負けそうになった時。
その手があった、から。何時もその手が頭を撫でてくれたから。

だからののみは、頑張れた。
…だからののみは…頑張れる……

おとなになりたいなと、思ったのは。
あなたが、苦しんでいたから。
おとなになったら、大きくなったら。
あなたの苦しみを半分に分け合えるかなって思ったの。
だからね、大人になりたいってあなたに言った。


『―――ごめんね、ののみ……』


ただ一言、そう言って。ただそれだけを言って、ぎゅっとね。
ぎゅっとののみを抱きしめたとき。きっと、分かったの。
全部、全部、分かったの。それは言っちゃいけない事で。そして。
そして絶対に不可能だって事を。だからもう二度と言わない。



…もう二度といわないから…泣かないで…ね……泣いちゃめーなのよ……



「…止めろ…あっ…あ……」
シャツを引き裂かれ、そこから覗いた胸の突起に指が這わされる。それと同時に舌で嬲られて耐えきれずに瀬戸口は、甘い声を零した。こころとは、裏腹に。
「イイ感度ですね。男にしておくのが勿体無い…ってこうして抱かれていれば関係ナイですけどねーフフフ」
岩田はわざと。わざと来須の付けた痕を執拗に攻め立てた。身体中に散らばった紅い痕を、全て確かめようとするかのように、辿ってゆく。
「…やぁっ…止め…止めろ…あぁ……」
縛られた手はもがいてもどうにもならない。出来る事と言えば身体を捩って、その指から舌から逃れるだけで。でも。でもそれすらも圧し掛かり抑えつけられて、満足には抵抗出来なかった。
「フフ、本当にあらゆる所にキスの痕が…随分来須クンに愛されたのですねー」
ぎゅっと胸の突起が摘まれる。痛いほどに張り詰めたそれを、力任せに握られた。その痛み刺激にびくんっと瀬戸口の身体が跳ねる。それはひどく淫らに、見えた。
「…痛っ…止め…あぁ……」
強く弄られて痛いはずなのに、それなのにじわじわと快楽は背筋から這い上がってくる。どんなに心で否定しようとも快楽に慣らされた身体は、愛撫を受け入れている。望まない行為を、受け入れている。
「こっちは、どうデショウカネー?」
「―――止めろっ!!」
ワイシャツと下着だけしか身につけていなかったせいで、瀬戸口の秘所はいとも簡単に暴かれた。下着を降ろされて、強引に脚を開かされる。何度も貫かれ、それでも雄を求めてやまない淫乱なソコが。
「フフフ、ひくついてますよ…前も弄ってないのに…本当に貴方って人は……」
「やぁっ!」
乾いた指が強引にソコへと進入する。その感触に瀬戸口はぞくりと震えた。けれども指はそんな彼の意思にお構いなしに中へ、中へと進入してゆく。ずぶずぶと音を立てながら。
「…止め…痛い…いやだっ……」
「口ばっかり、ココはこんなにも締め付けてますよ」
「…止め…ろ…もう…止め…くふっ…はっ…」
ぐちゅぐちゅと何時しか掻き乱す指は濡れた音へと変化してゆく。拒んでいた媚肉も何時しか淫らに蠢き、その指をきつく締め付けていた。刺激を少しでも逃さないようにと必死に。必死にその指は……。
「…はぁぁっ…あぁ…くふ……」
無意識に腰が動いていた。その刺激を求めて、腰が蠢く。その仕草はひどく。ひどく雄を誘っていた。そう、ひどく。
「欲しいんですよね、刺激が。もっともっと、欲しいんデショウ?」
「…違っ…俺は…ああんっ!……」
首を左右に振って必死に抵抗しても、立ち上がり掛けた瀬戸口自身に指を添えられればその言葉も嘘になってゆく。与えられた快楽に零れるのは甘い声、だけ。
「…あぁ…あぁんっ……」
手のひらに包まれ、与えられる愛撫。それと同時に入り口を掻き乱されて。前からも後ろからも与えられる快楽が、次第に瀬戸口の意識を蝕んでゆく。抵抗すらも、白くぼんやりと霞んで。霞んで、きて。
「…ダメ…止め…はぁぁ……」
言葉だけの空しい抵抗。身体はとっくにその先へと進んでいるのに。刺激を求めて、快感を求めて。熱を、求めて。心だけを取り残して、それだけを置き去りにして。
「――――いやっ!」
先走りの雫が零れた瞬間に、入り口をぎゅっと塞がれた。そうしておきながらも岩田は後ろの愛撫を止めようとはしない。蕾の中で指を折り曲げ、媚肉を広げて中を抉る。その刺激が瀬戸口の前立腺を激しく刺激しても、出口は閉ざされていた。どんなにイキたくても。どかなに開放されたくても、ソコは……。
「…あぁ…やだぁ…もぉ……」
―――もう…開放して欲しい…この苦痛から逃れたい……
「…もぉ…はぁ…あぁ…俺…は……」
―――早く…そうしないと俺は…気が…気が…狂う……
「…ぁぁ…もぉ…お願い…だから……」
―――気が、狂う……



「ほら、何か聴こえてくるよ」
そろそろ、だね。そろそろいい場面だと思うよ。きっとたっぷりイイ声が聴こえる頃だからね。
「貸せ、速水」
「あっ」
くすくす。その時、君はどんな顔するのかな?何時も無表情で、どんな時にも顔色一つ変えない君が。君が愛する人が犯されて…何も出来ない自分に気付いたら。
「来須何か、聴こえる?」
――――どんな顔…するのかな?…ってもう少しで…ほらもうちょっとで…見れるけど、ね……。



「お願い?フフフ、口で言ってもらわないと分からないデスヨー」
滅びのシナリオ。滅亡のシナリオ。自ら選択しなければ。自らそれを選ばなければ。
「ちゃんと言うんですよ『欲しい』ってね」
それを選択さえすれば。それを選びさえすれば。自らが滅びても、滅亡しても。
「ココに挿れて欲しいってね、フフフ」
―――たったひとつの小さな命を護ることが、出来るから……。


一面の花。色取り取りの咲き乱れる花。
そこにぽつんと、貴方がいる。貴方が在る。
小さな貴方がそっと、そこに在る。

彼女を生かせておきたいのだろう?だったら。だったら『HERO』の手先になれ。

出来そこないでも生きている理由があるのだな。
―――たったひとつの小さな命。ただひとつの大切な命。
貴様をこうして仲間に引き入れられる。
―――ただひとつの、護りたいもの。
こんな作りモノに執着するとは…思わなかったよ…お前みたいな優秀な頭脳が、ね。
―――たったひとつ、貴方だけを……


『お花ね、きれいだよね』
うん、綺麗だね。
『きれいだから、哀しいね』
哀しい?どうして?
『…今がきれいだからね。散っちゃったら哀しいでしょう?』

『―――でも…だから…きれい、なのかな?』

永遠なんて望まない。ずっとなんて望まない。
それでも。それでも貴方がこの地上に生き続け。
貴方がこの地上を癒し続け。そして。
そして傷つき壊れゆくこの星を、貴方だけが。
貴方だけが、その小さな手のひらで救う。


―――そして私を…救う……


「さあ、言うのですよ…欲しいってね…」
愛がなくてもセックスは出来る。愛があってもセックスが出来ない相手がいる。
「…はぁぁ…あぁ…」
どんなに心がそれを望もうとも。どんなに心がそれを望まずとも。人間は。人間は所詮。
「……し…い……」
所詮、植え付けられ、埋め込まれた『本能』には…逆らえない…精神が、壊れても……。



「…君が…欲しい……」



雑音に混じって。聴こえてくる声。その声は。
「―――!」
その声、は。俺がよく知っている…俺が……
「どうしたの、来須――っ!」
聴き間違えるはずのない、声。ずっと昨日この腕に抱いて聴いていた、声。


…欲し…い…君が…もう…我慢…出来…なっ……
―――フフフ、よく出来ました。イイ子ですね。ちゃんと、挿れて上げますよ。
…もぉ…俺…っ……
―――たっぷり、味わいナサイ……


ガチャンっと音と共に、盗聴機は来須の手によって握り潰された。



もう、何処にも戻れないんだよ。水が浸された管の中で、小さな貴方が私をじっと見ていたあの頃には、もう。もう戻れないんだよ。

「―――あああああっ!!!」
与えられた刺激に瀬戸口は満足そうに喘いだ。どんなに心が否定しようとも、神経まで犯された快楽にそれは成す術もなく。貫かれた痛みですら、今は。今は何よりも。
「…あああっ…ああああ……」
「本当に貴方はイイ声で鳴きますよ…これじゃあ来須クンも…止まらないデショウネー」
与えられた刺激が、何度も自分の中を抉る肉が。擦れ合う粘膜が、その全てが。全てが神経を狂わせ、快楽をもたらして。
「…あぁぁ…あぁ…あっ…もぉ…イ…ク…っ……」
全てがもう、ただ。ただ後は闇に堕ちてゆく以外には。その深い闇へと。

小さな命が、生まれて。そして大きな瞳がじぃっと私を見て。そして。そして嬉しそうに微笑って。微笑んで。そっと伸ばした手が。
―――硝子に隔てられて、触れる事は出来なかった小さな手が。

「―――イッテしまいなさい。もう何も考えず…何も望まず……」
腰を掴み激しく揺さぶった。その度に髪から零れる汗が、まるで涙のようで。涙のよう、で。
「考えなければ苦しくない。望まなければ苦しくない。全てを諦めれば…希望など持たなければ……」
それでも。それでも時折否定するように振られる首が。きっと。きっと最期の理性で、そして。そしてただひとつの、想いで。
「何もかも考えず人形になれば…苦しい事なんて何もないのだから」
―――ただひとつの、真実。ただひとつの穢せないもの。それさえなければ苦しみも哀しみも、喜びも幸せも。
「…何もなくなって…空っぽになれますよ……」
皆なくなってしまえる。皆消してしまえる。そうしたら、もう痛みすらも感じなくなれる。


「あああああ――――っ!!!」



硝子が邪魔だと思った。その手に触れたかったから。
私達を隔てる壁が邪魔だと思った。小さなその手にそっと。
そっと触れてあたたかさを、確かめたかったから。


小さな命。暖かい命。
ただひとつのぬくもり。
全てを諦めれば。全てを捨てれば。

それを護ることが、出来るのだろうか?



「…来…須……」



欲望を吐き出して、そのまま。そのまま身体はがくんと崩れ落ちた。最期に愛するその名を呟いて。ただ独りの名前を、呟いて。
「―――それでもその名を…呼ぶのですね……」
ずるりと身体の中から自らのモノを引き抜いて、岩田はそっと瀬戸口の身体をその場に横たえた。完全に意識を失った身体はぴくりとも動かなかった。
適当に互いの身体を拭って、そのまま岩田はののみの元へと向かった。来須のベッドの上に寝かされた身体は、血塗れでまるで死体のようだった。でも。でも、彼女は生きている。
「ののみ」
持ってきた薬を咄嗟に飲ませた。意識のなくした唇にじかに。本当は今。今この手で彼女に触れたくはなかった。欲望にまみれた、今の自分では。でも。
「…ん……」
身体が再び作られる。シーツは血だらけだったが、構わなかった。いやこれで、いい。わざと証拠を残させるために、この方がいいのだ。
「…ひろちゃ…ん……」
大きな目が、開かれる。そして。そっと。そっと小さな手が、自分に触れる。触れて、いる。今ここには二人を隔てる硝子の壁はない。何もない、こうしてじかに手が触れている。
―――この瞬間だけでも、自分は歩んだ道に後悔はない……
「大丈夫ですか?貴方には随分…辛い目に合わせてしまいましたね……」
「いいのよ、ののみはいいの。ののみは…でも…」
起き上がりその小さな身体がぎゅっと。ぎゅっと岩田にしがみ付く。そのぬくもりだけで。その暖かさだけで。
「…でもひろちゃんが…哀しそうだから…平気じゃ、ない……」
何も何も、いらない。何も何も、望まない。


「―――首尾よくやったようだな…岩田……」
カチャリと音と共に現れた男に、岩田は微笑う。それは何時もの道化の笑みだった。どんな事があろうとも、瞬時にこの笑みを浮かべられる術は身につけていた。どんな瞬間、でも。
「フフフ、準竜師…貴方も楽しみタカッタデスカー?」
「楽しみなど…これから幾らでも出来るだろう…これから幾らでも…」
ぴくりとも動かない瀬戸口の身体を準竜師は抱き上げた。見掛けよりもずっと軽い身体は、すっぽりと腕の中に納まって。
「イイ声で俺に鳴いてくれるのだろう?」
そのまま意識のない唇に、口付けた。まるで自分の所有物とでも言うよう、に。そんな彼に岩田は何時もの道化の笑みを浮かべるだけだった。



どんな時でも、笑える。それが一番初めに身につけた、処世術だった。







―――君が、いるから。

君がそっと、微笑って。君が俺の髪を撫でて。
そして。その腕で。その腕で抱きしめてくれた時。
その瞬間から、俺は。俺はずっと。

どんな事にも、きっと耐えられると思った。


君が、いるから。君を、感じているから。
どんな事になっても。どんな事に…なっても。


君と絡めた指先のぬくもりが、全て真実だったと思えるから。



「…来須…今の声……」
意外、だった。その表情は一寸も変化していなかった。帽子に瞳を隠しているせいもあったかもしれないけれど。それでもその表情は、変わらなくて。
「―――今のは聴かなかった事にしてくれ」
「あ、来須っ!」
ただ一言、それだけを告げて。それだけを告げて駆け出した。僕の制止の声も、君にはもう届いていないのだろう。そして。そして今君がそこへ戻ったとしても。

―――君の愛する瀬戸口は…もうそこにはいないのに……

もう計画は走り出してしまった。誰にも止められないんだよ。君が幾ら流れに逆らおうとも、瀬戸口は戦う道を選ぶだろう。だって、彼は君を愛したから。
「…もしも瀬戸口が…君に捕らわれなかったならば……」
死にゆく恋人の面影だけを追い続けていたら。過去だけに捕らわれていたら。過去だけに立ち止まっていたならば。例えどんなになろうとも、戦う道を選びはしなかっただろう。
今を生きると決めた瞬間から、芽生えてしまった他人への関心。誰かを想う事。
「皮肉だね。救いたいと想う君の気持ちが、逆に瀬戸口を追い詰める結果になるのだから」
あのまま過去に捕らわれ、そして。そして絶望に生きていれば、このまま見逃されたであろう命。捨てられて置き去りにするだけの、命。けれども。けれども未来を見つめ、誰かを想ってしまったならば。
「…瀬戸口を殺したくないのだろう?…だったらこれ以外に選択肢はないんだよ……」
殺す事しか、抹殺することしか出来ない未来。それを代えるには『価値』を与えるしかない。生きている価値を。それが『戦う』事。―――戦う、事……
「―――でなければ君が…君がその手で、殺してあげるんだね…愛する人を…」



しあわせに、なりたかった。
しあわせに、してあげたかった。
願いは、祈りは、ただひとつだったのに。
たった、ひとつだったのに。
どうしてそれだけが。
それだけが叶わないのだろうか?

――――祈り、そして願う…ただひとつの事……


小さな身体をそっと抱き上げる。血の付いたシーツはそのままに。小さなその手は黙って私の背中にしがみ付いた。
「―――聴いてましたか?準竜師との会話を…」
その質問に貴方は首をふるふると横に振った。本当は聴いていたのだろう。それでもそうやって嘘をつくのは…貴方の優しさなのだろう。
「ののみ、ひろちゃんのね…笑った顔が好きなのよ…だから…さっきの顔はきらいなの」
ええ、私も嫌いです。身につけた道化の笑み。壊れた笑み。そうする事で仮面を被って、本当の自分を護ってきた。決して見破られないように巧みに演じてきた。
「ののみの前ではいつも大好きな顔…してくれるのに…」
「貴方の前だからですよ」
貴方の大きなその瞳だけが真実を知っていればいい。私を知っていればいい。それ以外の事実は全て。全て作り上げた虚像でしかないのだから。
「…でもいつかね。いつかみんなが…本当の顔を、できるようになるといいね」
小さな手が私の頬に触れる。暖かいぬくもり。これが作り物だと言うのならば、このぬくもりは一体何だと言うのだろう?このそっと伝わるぬくもりは。
「―――そうですね、何時かそんな日が来たら…」
貴方の身体が溶けなくなって、そして。そして大人になることが出来たならば。ありえない夢だけど。ありえない現実だけど。それでも、もしも。もしもそんな日が来たら。
「そんな日が来たら…ののみを……」
「はい?」
「…ののみを…ひろちゃんの…お嫁さんにしてくれる?」
例えそれが叶わない夢だとしても。例えそれが叶わない現実だとしても。分かっていても。分かっているから、こそ。導き出される答えが絶望でしかないとしても、それでも。
「しますよ。貴方だけを、私の」
それでも今。今こうして告げた言葉は、心からの真実だから。零れる言葉は、間違えなく真実なのだから。
「―――私の花嫁に」
身体を繋ぐことも、永遠を誓い合うことも。一緒に年老い死んでゆくのも、夢。全部、夢。だとしても、分かっていても。分かっているからこそ、告げる言葉の想いだけは、嘘は付きたくなかった。


「行きましょう…『彼』が戻ってくる前に」
「…どうしても…本当の事は…言わないの?」
「いいのです、言わなくて。知らなくていいのです。このまま私が『悪者』になれば全てがそれで解決するのだから」
「…でもひろちゃん…悪くないのに…誰も悪くないのに…」
「いいのですよ。貴方だけが分かってくれればそれで」


「―――全ての人間が私を『黒』だと言っても…貴方だけが信じてくれればそれでいいのです」



深い水の中にいるようだった。深い、深い、水。そこに身体がゆっくりと沈んでゆく。白い骨と一緒に。真っ白な骨と、一緒に。ばらばらに砕けた骨が、水の中へと溶けてゆく。そこから零れ落ちて染み込んでくる血が。水の中に一面に広がって。広がって、そして。
「………す………」
名前を、呼んだ。ただひとつの、名前。たった独りの、名前。真っ先に呼びたいのは君の名前だけで。真っ先に声を聴きたいのは、君の声だけで。
「…来…須……」
ぽたり、ぽたりと、零れてゆく血。溢れてくる血。これは全部。全部俺が。俺が流したものだろうか?流させたもの、だろうか?
かつての仲間をこの手で葬り、そうしながらも、人間の中へは入ってゆけず。ただ中途半端に存在するただの『生き物』。ただの生物。
「…来須……」
それでも君は。君は俺を必要だと言ってくれた。俺を好きだと言ってくれた。人間でもない、鬼でもない、ただの。ただの俺自身を…君が。君だけが。
紅い色は、本当は嫌いだった。血の色。あしき夢の色。幻獣の色、鬼の色、魔物の色。だから嫌い、だった。それでも俺はこの手で、その色を溢れ出させていた。たくさんの紅を、流させた。
―――大嫌いな色なのに…何時も俺には付きまとっていた……
そんな紅に、身体を全て浸しても。全てを埋められていっても。でも、君が。君が微笑っているから。俺の瞼の裏にずっと。ずっと消えない、君の微笑った顔。
「…好きだ…よ……」
足りない、言葉。言い続けても想いまで届かない言葉。それでも告げる手段が言葉しかないのなら、俺はずっと君に。君に言い続けるんだろう。
―――君が…好き、だって……
好きなんだ。馬鹿みたいに君の事が。君の事が好き、なんだ。声を聴いているだけで。瞳を見つめているだけで。そばにいるだけで。その空気を感じていられるだけで。
ゆっくりと満たされる、自分。心の空洞がそっと。そっとその優しさで満たされて。
こんな血の海に埋もれても。こんな血の海に浸されても。こんな骨のかけらに身体が埋もれて行っても、それでも。それでも俺は。
…君の事を想っている間は…君の事だけを考えている間は……
どんな事にも、耐えられる。君が俺を好きだと言ってくれている間は。


「……す……」


「―――寝言か……」
何もない真っ白な部屋。色のない部屋に置かれたただひとつのベッド。その上に瀬戸口は寝かされていた。音すらもしない、無菌の部屋に。
「愛する者の夢でも見ているのか?それとも…悪夢か?」
準竜師の手が瀬戸口の柔らかい髪に触れる。そこには何の感情も込められてはいなかった。ただ自分の所有物を確かめるかのように、触れる。
―――ピピピ…と、小さな電子音が室内に響き渡る。音のない部屋だけにそんな小さな音ですら、室内を埋めてしまう。
「どうだ?更紗」
「数値的には…問題ありません。相性は―――」
ガラスの向こうから声がした。この部屋を隔てるガラス。その先に無数の機械があり、この何もない部屋とは別世界になっていた。今そのガラスの扉が開き、データを持った彼女が準竜師の前に立つ。
「…神経がやられるか…身体がやられるか……」
そのデータを受け取り一通り目を通し、そのまま副官へと返した。見たものは、彼の予想通りで一寸も違わないものだった。それだけに、見るべきものはなかったのだが。
「…彼でも…あの士魂号は乗りこなせないと?…」
「いや、こいつ以外に乗りこなせはしない。ただ、壊れる」
「―――やはりあれは呪われた士魂号なのでしょうか?」
「本当は初めから呪われてなんていないのさ。あれは……」
準竜師は自らの副官の顔を見下ろした。綺麗な女だ。ただひたすらに綺麗な女だ。そばに置くのにこれ以上のモノは、ない。
「乗る人間が強さよりも理性を…自分自身を護ろうとするあまり…狂うだけさ」
「彼もやはり自らの心を優先させると…そう言う事ですか?」
「優しさや良心や心を捨てれば…あれに乗っても壊れはしない。捨てられない人間が…人である事を止められない人間が、壊れるだけだ」
「…でも彼は人ではない……」
「人でない?本当にお前はそう思うか?」
「準竜師?」
「人よりもずっと人間らしいだろう?少なくとも俺よりも…ずっと人間らしい。健気じゃないか。どれだけの無駄な時間を生き恥晒してても、それでもずっと求め続けていたんだ」
―――ずっと求め続けていたのだろう?自分を認めてくれる相手を。自分を…無条件で愛してくれる相手を。
「ぼろぼろになっても…どれだけの時を隔てても…ただひとつのものを。そんな酔狂な真似は俺には出来ない」
でもその相手は、お前に永遠を与える事は出来ない相手なのに。どんなに望もうとも必ず別れが来る相手なのに。
「哀しいくらい、純粋だよ。その純粋さのままアレに乗れば…壊れるだけさ」
「それが分かっているならどうして…彼を選ぶのですか?」
「簡単だよ。それが『HERO』が決めた事だから。それに従う事が…世界の選択だからさ」
例え壊れても、ぼろぼろになっても。それが世界の選択ならば…進む道はひとつしかない。



あの声を俺は知っている。奇抜な格好と、奇妙な言動をするあの男の声。でも何故奴が?
「―――瀬戸口……」
階段を駆け上がるのももどかしかった。自分でもこんなにも、こんなにも乱されるものだとは思わなかった。どんな時でも冷静であれと、そう何度も自分に言い聞かせてきたのに。
戦う時は何時も何処か冷めていた。戦いの真っ只中にいながらも、何処か他人事のように戦況を見つめている自分がいた。
何時も何処かで全てが『他人事』だと見つめている自分がそこにいたのに。
今こんなにも、俺は乱されている。冷静であらねばと。どんな状況下においても自分は心を乱されてはいけないのだと、常に訓練してきたのに。
こんなにも今、自分は『冷静』でいる事を放棄している。今ここにいるのは、ただの剥き出しにされた『自分』だけで。自分、だけ……。
「瀬戸口っ!」
鍵が開けっぱなしのドアを開いて、そのまま中へと入ってゆく。何もない部屋。がらんとした、部屋。でも数時間前まではこんな部屋でも『部屋』だった。人が暮らし生活している場所だった。ただの空間ではなかった。
―――お前が、いたから……
お前がいて、そして。そして微笑っていた。少し照れながら馬鹿な事を言って。言って、そうして。そうして困った顔をしたり、拗ねてみたり。けれどもやっぱり最期は微笑って。

『いってらっしゃい』

その一言が、この場所を。ただの空間を、俺の。俺の帰るべき場所だと。俺が生きている場所だと、そう。そう、お前の一言が。このただの空間でしかない場所を。
「何処だ、瀬戸口?!」
狭い部屋だから、探す場所なんて限られている。けれどももう。もうこの場所にぬくもりも、暖かさもない。ただの。ただの空間でしかなくて。
「―――血?」
ベッドのシーツが乱れていた。そこには無数の血が散らばっている。否、これは血ではない。色は紅いそれは、けれども血ではない。ずっと本物の匂いを嗅いで来た自分には、ソレが微妙に違うことに気が付いた。
…そう、これはクローンの…体液……
「どう言うことだ?」
瀬戸口はクローンではなかった。人間ではないが、作り物でもない。元・幻獣。そして鬼と言う名で呼ばれる生き物。こんな作り物の血は、していない。
あの盗聴機から聴こえてきたのは、瀬戸口と…岩田の声だけだった。それ以外にも別の人物がいたというのか?それとも岩田が、クローンなのか?
「………」
冷静に思考を纏めようとしても不可能なのが滑稽だった。滑稽、だ。こんなにも俺は捕らわれている。お前に、捕らわれている。
―――貴方は特別な存在を持っては駄目なのよ。
その言葉を今ほど理解したことはなかった。別れがあるからじゃない。別離が待っているからじゃない。特別な存在を持つと言う事は、誰かを愛すると言う事は。
今まで作り上げてきた自分自身すらも、壊してゆくこと。
「…俺は……」
作り上げてきたものは、ただの殺人兵器。スカウトという名の元に生身の肉体で、幻獣を殺し続ける、ただの。ただの人間機械。それが。それが自分の持っている全てだった。今まで築き上げてきた自分の全てだった。それだけ、だった。
「…何も…出来ないのか?……」
それ以外のものを全て切り捨ててきた。そうされてきた。繰り返し言われ続けていた言葉は、自分の。自分の自我と言うものすらも切り捨てるもの、だった。
思考も、意思も、思いも、全て。全てその言葉の元に、無意識に閉じ込められていた。
「…何も…お前に……」
初めて、護りたいと願った相手。初めて、しあわせを与えたいと思った相手。これは自分の意思だ。これは自分の想いだ。そう、これが。これが『俺自身』としての唯一の想いだ。


「…お前に俺は…何をしてやれる?……」


紫色のその瞳が、少し戸惑いながら。
それでも俺を見上げて、そして。
そして真っ直ぐに見つめて。見つあって。
お前がそっと微笑う。しあわせだと、言って。

…君に逢えて、しあわせだと…そう言って……


ああ、しあわせだ。お前がいればそれで。
時々見せるガキのような我侭も。それすらも。
それすらも、愛しくてたまらない。
笑ったり拗ねたり、怒ったり。そんな表情も全て。
全て欲しいと。全て俺だけのものにしたいと。

俺の方が我侭なくらい…お前だけを、求めている。


「…瀬戸口…何処にいる?……」
今お前は何処にいる。何処に、いるんだ?
「…無事か?…怪我は…していないか?」
あの男の腕の中にいるのか?それとももっと別の。
「…傷は?…心に傷は……」
もっと別の手によって、穢されてはいないか?
「…傷は…負った…のか?……」


聴こえてきた言葉がどうであろうとも、あれがお前の本意ではない事ぐらい、俺には分かる。お前が望んで身体を開いてはいないことぐらい、俺には分かるから。


抱けば、分かる。身体を重ねれば、伝わる。
お前がどんな風に俺を想っていてくれるか。
どんな風に俺を…想っていてくれるか……
自惚れでも何でもない。重ねて伝わるものがそこに。
―――そこにあった、から。



…お前を傷つけるものは、この手で殺せると…今初めて、本気で想った。








当たり前のものを、与えられなかった哀しい子供達。
心が空洞なのは、与えられるべきものが与えられなかったから。
だから心が欠けて、壊れてゆく。
その小さな隙間にただひとつのものさえ与えられれば。

―――内側から崩壊することも…なかった……



執務室の椅子に、まるで人形のように少女が座っていた。大きな目を私に向けて、そして。そしてひどく哀しそうな顔で、微笑う。
子供なのだから無邪気に笑っていて欲しいと願っても、その哀しい笑みは変わることはなかった。
「いいんちょー、ののみね」
小さな手が、ぎゅっと。ぎゅっと私の服の裾を握り締める。こんな顔を彼女にさせる人間を、私は独りしか思い浮かべることは出来ない。何時でもどんな時でも、微笑う事が決められている彼女にとって、ただ独り生身の自分の感情を曝け出す人間。
「岩田くんと喧嘩でもしたのですか?」
彼女と岩田のつながりなど、誰にも分からないだろう。いや、分からないように細心の注意を彼は図っている。あれだけ岩田が道化になるのも全て、この目の前の小さな命を護る為だった。
「ののみ…わるいこなの」
見上げて来る大きな瞳は苦しいくらいに真剣で。その瞳にあるものは、本当に純粋なただひとつの哀しみだった。それだけが、彼女を支配する。
「―――どうしたのですか?私に話してください」
そっと頭を撫でながら、穏やかに聴いた。優しく聴いてやらねば、この小さな命が壊れてしまうように思えて。だからそっと。そっと、聴いた。
「ののみがいなかったら、きっと…きっと皆苦しまなかった」
「…皆とは、誰ですか?…」
「…ひろちゃんも…ぎんちゃんも…たかちゃんも……いいんちょーも……」
「私も?」
「だってののみ知っているもん。いいんちょーはたかちゃんを…たかちゃんを戦わせたくはないのでしょう?」
大きな瞳からぽたりぽたりと零れてくる涙。この小さな肩に背負わされた運命はあまりにも重たい。重たくて切なくて、そして苦しい。
「正直戦わせたくはないです。でもそれは貴方のせいではないのですよ」
「違う…違う…ののみがいなかったら…ののみがいなかったら…だれも戦わなかった」
「――――」
「ひろちゃんはたかちゃんを戦わせはしなかった…そのせいでぎんちゃんが苦しむことも、いいんちょーが…苦しむことも…なかったのに…」
「…ののみ……」
「でもね、ののみ…ののみ…いなくなる事が出来ないの…だからいやな子なの」
小さな女の子。大きくなれない女の子。とんなに願っても、どんなに望んでも。小さなまま生かされ続ける女の子。でも。
「…ひろちゃんが…ね…いるから…ひろちゃんが…ののみに生きてって言うから…だからね…消えること…出来ない……」
でもこころは。こころは少しづつ成長している。そして。そしてただ独りのかけがえのない相手を、そのこころに。
「ののみはたかちゃんも、ぎんちゃんもいいんちょーも…皆…皆好き…でもね、でも…」

「…ひろちゃんが…一番好き……」

それを誰が責められるだろうか?その想いを誰が咎められるだろうか?
彼女なりに。彼女の精一杯の想いが。ただひとつの純粋な想いが。
―――どうして責められるという?
ただ好きなだけだ。ただ好きになっただけだ。ただ好きな人のそばにいたいだけだ。
それを一体誰が…誰がその想いを奪えると言うのだろうか?

「―――それでいいのですよ」
「…いいんちょー…でも…ののみのせいで…」
「誰も間違ってはいないのです」
「…ののみ…誰も…傷つけたくはなかったの…それだけは本当のことなのよ…」
「分かっています、貴方も…岩田くんも…そして瀬戸口くんも…誰も間違ってはいないのです」
「…ねえどうして…どうして皆しあわせに…なれないの?」

「……それだけを…ねがっているのに………」


しあわせになりたい。しあわせに、なりたい。
願うことは、祈ることは、ただひとつ。
ただひとつ、しあわせになりたいと。それだけを。
それだけをずっと。ずっと、願って。

―――全てのひとが、しあわせであるようにと……


「貴方はずっと、このままでいてください」
「…いいんちょー……」
「少なくともそれで岩田くんは幸せになれます。それは貴方にしか出来ないことなのです」
「…じゃあ…ぎんちゃんは…たかちゃんは……」
「あの二人がしあわせになるのもやっぱり…やっぱり互いにしか出来ないことなのですよ」


そう、誰にも出来ないこと。
互いが互いを望む限り。本当の。
本当のしあわせは、ふたりにしか。
ふたりにしか、出来ないのだから。


「―――私は行かなければならない所があるので…貴方はここにいてください」
「どこに、行くの?」
「秘密です。私には私にしか出来ない事をするだけです。貴方はここにいてください。そうしないと岩田くんが、貴方を捜さねばなりません」
「ひろちゃんはね、ぜったいにののみを見つけてくれる」
「分かっていますよ。それが…貴方達が…全てを引き換えにしても手に入れたものだから」
「うん。だからね、待っている。絶対に来てくれるから…待っている」



目覚めた瞬間に飛び込んできたのは、真っ白な壁だった。何もない、ただの白。無機質でそして色のない、部屋だった。
「―――目が、醒めたか?」
頭上から聴こえてくる声に聞き覚えがあった。けれどもどうして、俺はこの声をこんなにまじかで聴いているのだろうか?何時もモニター越しにしかその声を聴いた事がなかったのに。
「……す………」
自然に零れ落ちた名前を、俺は必死で寸での所で止めた。そう、ここに。ここに君はいない。ここは、君の部屋じゃない。ここは。ここは、何処だ?
「愛する男の名前でも呼ぶか?」
「―――っ!」
近づいてくる顔に何故か本能的に危険を感じて、身を捩った。その瞬間、腰から鈍い痛みがした。―――痛み、が。
「…俺…は……」
そうだ、俺は。俺はあれから…君が学校へ行ってから、突然の侵入者が現れて。ののみが血塗れになっていて、そして。そしてそれから。
「…俺は…あ……」
あの男が俺の身体を組み敷いて、そのまま。そのまま犯されて、俺は。俺は…嫌だったのに。もう君以外とは身体を重ねたくはなかったのに、それなのに俺は。
「…あ…あ……」
自ら腰を振って、その刺激を求めた。快楽を堪えきれなくて、その熱を求めた。ただ満たされたくて。ただ開放されたくて。心は望んでいないのに身体は求めた。その熱を、その硬さを。
「…俺は…俺は……」
戦えと、言われた。戦わなければ助からないと。戦って幻獣を殺して、そして。そしてその心臓を奪わなければと。奪わなければ生きられないと。
「混乱しているようだな。でもこれが現実だ。ののみは薬を飲まなければ生きられないし、お前は戦わねばならない。そしてお前が、岩田に犯されたのも事実だ」
「…何故…知っている?……」
何故、俺はここにいる?どうして俺はここにいる?どうして俺のそばに君が、いない?
「全てが最初から仕組まれていたことだ…そう全てがね」
「…どう言う…事だ……」
「ただひとつの誤算を除いては、全てが世界の選択なんだよ。瀬戸口隆之くん」
男は微笑った。口許だけで、微笑って。そして俺の手を取るとそのまま、唇を塞がれた。


「初めから、決まっていた。お前をあの士魂号に乗せる事は」


何を、言っている?何を言っている?
分からない。俺には分からない。何を、言っているのか?
「その為に随分と手の込んだ事を…岩田はしたけれどな」
初めから決まっていた?初めから…決まっていた事?
「お前をこの部隊に呼び寄せたのはその為だ。善行は反対していたが…奴も所詮『駒』でしかない。HEROがそれを決めれば、誰も逆らえはしないのだよ」
「…何だよ…それ……」
「人間ではないお前以外、誰もアレには乗れないのだから」
「…アレって何だよ…何の事だよ……」
「士魂号―――士魂号重装甲西洋型。呪われし入れ物。それを乗りこなせるものを探す事が、俺にとっての一番の目的だった」
…士魂号重装甲西洋型……その名前を俺は…俺は…知っている……。遠い昔、ずっとずっと遠い昔…彼女と一度だけ…一度だけ……。
「最初から岩田はお前に決めていた。俺はつい最近まで気付かなかったがな。全く役者だよ岩田も…HEROも…初めから決まっていたのにわざわざこんな形にするとはな」
一度だけしか、それに乗ることはなかった。彼女を失ったから、それ以来。それ以来その入れ物に…乗ることは出来なかった。
「お前がHEROの目に止まるように仕向け、そして選ばせるように仕向け…戦わせようとな」
「…何故…俺が…俺が選ばれるんだ…どうして俺を……」
二度と、乗ることは出来なかった。彼女がその場で幻獣に殺されたのは。あの時、殺されたのは…。

―――俺があの士魂号の強さに捕らわれ、ただの殺戮兵器になっていたから……

「お前が、戦わなくなったからだ」
そうだ、俺は。俺はあの巨大な力に取り込まれていた。あの強さに溺れていた。何時もならどんな時でも彼女を優先する俺が。俺があの強さに溺れ、見境もなく幻獣を倒し続けていたから。だから彼女が…彼女が幻獣に襲われているのを…助けられなかった。
「…どうして…何故…戦わなければならない…俺はもう…もう……」
力に溺れ、我を見失い、愛する人を失ったあの機体に。俺はもう二度と。二度と近付きたくはなかった。全てを封印、したかった。
「本当の事を教えてやろうか」
「…本当の、事?…」
「岩田が何故お前を士魂号に乗せようとしたか。そしてHEROが何故、お前を選んだのか…それは…」


「お前は戦わなければ、鬼になるからだ」


頭が、ぐるぐると廻っている。何が何だか分からない。もう何がどうなっているのか、混乱して。混乱、して?
「お前は戦う事で、鬼としての…いや幻獣としての本能を開放していた。そうする事で人としての理性を保っていられた」
違う、違う…混乱なんてしていない。そう思う事で俺は。俺は逃げようとしている。突き付けられる事実から、こうして。こうして、逃げようと…。
「戦わなければ内側から、お前は食われてゆく。鬼に食われてそして後は殺戮のみを繰り返すただの魔物になる」
戦っている時、何時も。何時も何処か満たされている自分がいた。それは理屈も理由もなくただ。ただ満たされている自分がいた。それは。それは…。
「…俺は…俺は……」
「お前が鬼になれば死しかない。戦わないお前に生きる理由はない。生きるのに価値がない人間は死あるのみだ」
それは俺の。俺の決して消せることはない本能。決して消えることのない血。それが俺を血に染めてゆく。
どんなに心が否定しても。どんなに精神が否定しても。本能が、魂がそれを渇望するのだから。
「戦うしかお前に道はない。それとも今ここで死ぬか?」
―――そう言って目の前の男は俺に。俺の胸に銃を突き当てた。


「死にたければ死ぬがいい。生きる意思のないものは…生きている意味がない」
死ぬこと。死んでしまえば全てから開放される。戦う事からも、苦痛からも、全て。でも、俺は。
「―――俺は……」
死んでしまったら、俺は。俺はもう二度と。二度と君を、見つめられない。
「…俺は……」
もう二度と、君に、逢えない。


君の微笑った顔。君の傷だらけの手。
君の暖かい広い腕と。君の。君の優しい声。
その全部が、好き。全部が、大好き。
ずっと。ずっと君の優しい空気を。ずっと君のあたたかさを。


―――感じていられたら…それだけでしあわせだから。


君の指が、俺の髪を撫でる。君の手が、俺の頬に触れる。
君の唇が、俺の唇に触れて。そして君の全てが…。

君が、いるから。君がこの世界にいるから。
君が生きているから。君が、ここにいるから。
この世界に君が生きて、そして君の命がここに。
この大地にこの地上にある限り。


――――どうして『死』なんて、選べる?……



「…俺…死ぬのは怖くない…別に自分が失っちまっても…構わない…でも…」
自惚れでも、ないよな。同じ想い、だよな。俺達…同じ気持ち、だよな。
「…でもこんな俺を、失ったら困ると思ってくれる奴がいる限り」
なあ、同じ気持ちで…いてくれるよな…君は…俺を…俺が君をどれだけ求めているかと同じくらい……。
「…死ぬことなんて…出来ないよ……」
だって俺は。俺はこんなにも君を求めている。あれだけ戦うのを拒否していても。大切な人を失う原因となったと士魂号ですらも。君と引き換えなら。君を見つめることと引き換えならば。
―――俺は幾らでも、それを受け入れるから。
「…出来ない…俺は…あいつが俺を…必要だと言ってくれる限り……」
ああ、俺は。俺はこんなにも君を、愛している。


君だけを、愛している。それだけが、俺にとって。
俺にとって、ただひとつの事だから。



「―――それが唯一の誤算だ」
「…準竜師?……」
「お前の気持ちが、誤算だ。それさえなければお前は」


「…アレを完璧に乗りこなせたのに……」



理性を、想いを、その全てを削ぎ取って。
ただの空虚なお前だったならば。耐えられただろう。
アレに獲り込まれる事なく、狂うこともなくいられただろう。
でも。でも今は。今はそれを保証出来ない。

―――お前に理性がある限り。お前に心がある限り。

アレに獲り込まれ、そして狂うかもしれない。そして、それを。
それを止めることはもう誰にも出来ないのだから。



「それでも、その想いが…お前を生きさせるのならば…戦え。それ以外に道はない」


END

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