―――神様もう少しだけ、俺に時間をください。
俺が生まれて来た理由。俺が生まれて来た意味。
それが貴方の笑顔を作り出すことならば。貴方の笑顔を。
だから後もう少しだけ、俺に。俺に時間をください。
…貴方がどんな時でも…微笑っていられるように……
しあわせになりたいと、願ったのは何時?
それをこころの底から願ったのは何時だった?
しあわせも、希望も、夢も、何も関係のない場所にいた俺が。
そんなものを願うことすら意味のないと思っていた俺が。
―――心の底から願ったのは…何時だった?……
『お前が、いてくれればいい』
紫色の瞳が、俺だけを捉えて。そして俺だけを求めていると気付いた瞬間に。その瞬間に初めて俺は。俺は、願った。お前のしあわせを。俺の、しあわせを。
『お前がいれば、いい。何もいらない』
願ったものが同じだった。求めたものは同じだった。ただ互いの存在、それだけだった。それだけだったから。だから、願った。
―――お前のしあわせを、俺のしあわせを。
起き上がろうとして、途中でふらついたお前の身体を支えた。何も身につけていない肌は、昨日の情交の名残が無数に散らばっている。俺が付けた、痕が。
「あ、ごめんなさいっ…俺……」
俺を掴んで必死になって支えていた手を、咄嗟に離そうとするから。離そうとするからそのまま抱き寄せた。その瞬間に薫る微かな髪の匂いが…ひどく懐かしかった。お前の、匂い。何も変わってはいない、その匂い。
「謝るな、俺に責任がある」
そっと髪を撫でてひとつ唇を落としてやれば、そっと睫毛が震えた。そんな仕草もやはり『お前』だった。
「…こんなにも……」
おずおずと腕が伸ばされて、そのまま背中に廻される。細い腕、白い腕。その腕が必死に俺にしがみ付いてきて。
「…こんなにも…しあわせで…俺……」
そのまま泣きそうな瞳で、俺を見上げて来た。
溢れそうなほどに、零れそうなほどに。
こんなにも俺は満たされていて。
こんなにも貴方に与えられて。こんなにも。
こんなにも俺は貴方に全てを与えてもらって。
――――こんなにもしあわせで…許されるのでしょうか?……
「…しあわせか?……」
最期まで、お前に俺が与えてやれなかったもの。
「…お前は、しあわせか?……」
最期までお前に与えてやれなかったもの。
「…はい…しあわせです…」
「…しあわせ…です……」
望んだものはただひとつ。
ただひとつだけ。お前がしあわせになれればと。
お前がしあわせに、なれればと。
ただそれだけを願った。それだけを思った。
『最期まで…先輩の名前を呼んでいましたよ…ずっと貴方を捜していた』
最期の最期まで、俺は。
俺はお前の願いを何一つ叶えてやれなかった。
俺はお前に何もしてやれなかった。
お前が求めたのは俺だけだったのに。
お前が望んだのは俺だけだったのに。
―――――それすらも…叶えてやることが…出来なかった……
これはただの自己満足でしかないかもしれない。これはただの偽善行為でしかないのかもしれない。それでも。
「お前がしあわせなら、それでいい」
やはり変わりなのかもしれない。お前を変わりにしたくないと思いながらも…それでも俺はやはり変わりにしているのかもしれない。
「それでいい」
それでも、俺は。俺はお前をしあわせにしてやりたい。お前は、しあわせにしてやりたい。何も出来なかったあの時のように…後悔はしたくない。
「それだけで、いい」
俺の手で、お前を。お前をしあわせにしてやりたいんだ。
抱きしめる腕の強さと、そして優しさが。
そっと俺の胸に染み込んで、ゆっくりと染み込んで。
嬉しくて、苦しくて、そして切なくて。
―――切なくて、泣きたくなりました……
伝わってくるから。貴方の想いが、伝わってくるから。
だから苦しいんです。だから痛いんです。
貴方の綺麗な想いが、俺に全て伝わってくるから。
貴方は願っている。貴方はずっと、願っている。ただひとつの事。ただひとつの事を。
俺の心の中にある、オリジナルの記憶に。
この記憶に今、この想いが。この想いが届いていますか?
本当に伝えたいのは。貴方が本当に伝えたい人は。
―――今俺の心の中に、静かに眠っている。
優しい人です。何よりも優しい人です。
自分の事よりも貴方は真っ先に。真っ先に他人を想う。
他人の事を、想っている。
自分自身の心よりも、俺の事を考えてくれている。
本当は何よりもオリジナルを想っている貴方が。
それでも俺の事を、考えていてくれている。
貴方の想いはただひとつ―――しあわせになってほしい、と。
それは俺にも、オリジナルにも向けられている。
貴方にとって『瀬戸口隆之』と言う存在が。その存在が。
ただしあわせになってくれればと。それだけが。
それだけが貴方の願い。それだけが貴方の想い。
自分自身すら省みる事なく、自分自身すら試みる事なく。
貴方がただひたすらに願い想う事はただひとつ。
ただひとつだから。だから俺は。俺に、出来る事は。
「…貴方に逢えて…よかった…貴方の為に生まれて…よかった……」
憶えていてください。心の片隅でいい。
ほんの少しでいい。俺を。俺を憶えていてください。
時々でいいから、俺を。俺を憶えていて。
―――貴方を好きな、俺を……
「本当にそう思うか?」
優しい声。静かでゆっくりと胸に染みる声。
「はい、思っています」
大きな手。細かい傷がたくさんあるその手。
「俺の為に生まれてきて、よかったと」
この傷すらも貴方のものだから、何よりも大事。
「思っています…貴方を好きになれて…嬉しいって…」
何よりも、大事なもの。それは貴方だけ。
もう一度貴方の背中にしがみ付いて、そして。そして手のひらで確かめました。貴方の背中の広さを。貴方の背中の大きさを。この背中が、俺を…そしてオリジナルを…護ってくれている。
「…好きです…大好きです…貴方だけが好きです」
見上げて、見つめて。そして。そして自分からキスをしました。今は堪えない。想いを堪えられない。溢れてくる想いを、こうして唇に乗せることしか…思い付かない。
「…ずっと俺は…貴方だけを…想っています…今もこれからも…ずっと……」
拒まないから何度も口付けて。何度も何度も、口付けて。この想いをただひたすらに貴方に伝えたくて。伝えたかった、から。
「…ずっと…永遠に…俺が俺である限り…貴方だけを…愛しています……」
しあわせです。俺は何よりもしあわせです。こうして貴方の為に生まれて来れたことが。こうして貴方に出逢えた事が。こうして貴方を…愛せたことが…。
それが何よりもの俺の誇り。俺の命の、証。
「…瀬戸口……」
「…好きです…大好きです…」
「…ああ…俺も……」
「…お前だけが……」
見つめ合って、そして。
そして微笑いあいました。
貴方の笑顔。貴方の、笑顔。
俺が願ったもの。俺が見たかったもの。
ずっとずっと、求め続けたもの。
―――貴方の心からの、笑顔……
これで俺は出来損ないじゃないですね。
俺が生まれて来た意味は無駄じゃないですね。
俺がこうして存在している意味は。
…少しでも…貴方の役に…立てたのですね……
憶えていて、ください。心の片隅でいいから。
「…お願いが…あります……」
ほんの小さなこころの隙間でいいから。俺を。
「…今日一日だけ……」
おれを、おぼえていて、ください。
「…貴方を…俺に…ください……」
別れ際に速水は、言いました。静かに、そして。
そしてひどく…切なげに微笑いながら。
最期だからと、本当の事を俺に、言いました。
『―――クローンはね…目的が達成されたら…後はその存在を消すだけだよ……』
END