君のために出来ること

僕はずっと、君を見ていた。君だけを、見ていた。

その瞳が誰を映しているのかは、すぐに気が付いた。他人に適当に付き合いながらも、本当は誰よりも他人を信じていない君。誰よりも人間を好きでありながら、人間を嫌っている君。そんな君が唯一関心を見せたのが、そして。そしてその紫色の瞳が、盗まれた相手に。


君にとって彼は必要なものを持っていた。君が一番欲しいものを、彼が持っていた。ただそれだけのこと。



「つれないなーバンビちゃんは。この俺の愛を受け取れないのかい?」
冗談交じりに俺に抱きつきながらも、その瞳は決して微笑っていない。口調がどんなにはしゃいでいても、心は何処にもなかった。そんな事はすぐに分かったけれど。
「瀬戸口くん、冗談はほどほどにした方がいいよ」
けれども僕はそんな君に付き合った。君がふざければふざけるほどに、少しずつ淋しくなってゆく君。少しずつ哀しく壊れてゆく君。そんな君を、僕は救うことが出来ない。


君が望む手が。君が唯一望む手が。
僕でない限り、君を。君を救うことは出来ない。
僕はただ君が壊れゆくのを見てゆくしか。
見てゆくしか、出来ないから。


それでもね、僕は。僕はずっと考えていたんだよ。こんな僕でも君に出来ることを。僕だけが君に、して上げられることを。



死にゆく言葉を聴いたのは。最期に聴いたのは僕だった。ただひとつの君の望みを聴いたのは…僕だった。
「…ずっと…そばに……」
冷たくなってゆく身体。僕の腕の中で消えてゆく命。そっと消えゆく命。それを僕はどうすることも出来ない。君に何も出来ない。
死にゆく間際まで僕は。僕は君に何一つ出来ないのか?君のために何も、出来ないのか?
「…お前の…そばに……」
せめて今抱いているのが、僕ではなく彼だったらよかった。そうしたら君の願いも、最期の言葉も全て。全てただ独りの相手に伝わるのに。つたわる、のに。

…君の想いも、君の願いも…君の愛も……


君が本当に好きだったんだ。僕は君だけが、好きだったんだ。
傷ついた心を。本当は誰よりも孤独な君の心を、僕はこの手で。
この手で掬い上げて、そして。そして護りたかった。
本当は今にも壊れそうな君を、僕は護りたかったんだ。

けれども君は僕の手を望むことはなかった。君が願ったのは、ただひとつの手。

分かっている。僕では駄目な事は分かっている。
僕は持ってはいない。君が欲しがっているものを持ってはいない。
全てを許し、そして全てを受け入れる愛。それを僕は持ってはいない。
君の全てが好きだけど、僕は君の全てを許せはしない。
僕にはただひたすらに与えるだけの愛を…君にあげられないんだ。
与えただけ僕は。僕は君からも奪いたいから。


微笑っていたね。彼の前では本当に君は微笑っていたね。
瞳もちゃんと、微笑っていた。それが君の本当の顔。君の本当の、笑顔。
子供のように甘える君。無条件に与えられた愛に初めて。
初めて自分の居場所を見つけ出した君は、生まれたての子供のように無防備で。
そして溢れるほどの想いに満たされて、初めて君は。

―――君は『しあわせ』を、手に入れたから……


君が好きだよ。ずっと、好きだった。
だから願った、君の幸せを。君の想いを。
ずっと、僕は願っていたんだよ。



冷たくなって、そして腕の中で消えゆく命。本当はこの場で声を上げて泣きたかったけれど。けれども泣けなかった。本当に哀しい時人は。人は涙を流せない事を、今初めて知った。


それでも、僕は少しでも。
「…瀬戸口くん……」
少しでも君のぬくもりを追いかけた。
「…好きだよ…瀬戸口くん……」
僅かにでも残るぬくもりを手探りで探して。
「…君がずっと…好きだった……」
探して求めて、そして。そして抱きしめた。

冷たくなった身体を、力の限り抱きしめた。


冷たい唇にそっと口付ける。生きている間には触れられなかった唇に、そっと。そっと口付ける。そうして消えてゆくぬくもりを少しでも地上に止めようとした。それがどんなに無駄なことだと分かっていても、僕は止められなかった。
「…好きだよ…君が……」
告げられなかった言葉。告げられない言葉。皮肉にも死によってそれは君に伝えられた。生きている間には決して言える事のなかった言葉。君が望んだ想いは彼以外には何一つなかったから。それ以外のものを、君は決して望みはしなかったから。
「…君が…好き……」
それでも今は。今はこうして。今だけはこうして、伝えさせて。そうしなければ僕の想いは、何処にも生き場を無くして、ただ。ただ死にゆくだけだから。



「…ずっとそばに……」



君の最期の言葉がそっと胸に降ってくる。君が伝えたかったただひとつの言葉。ただ独り愛する人に伝えたかったその言葉を。その言葉を、君が。君自身があのひとに、伝えたかった言葉を。僕は。僕は……。
「…伝えたいよね…先輩に……」
君のために出来ること。僕が君のためにして上げられること。何も出来なかった僕。君が死にゆくことも止められず、君を救うことも出来ず、ただ。ただ君を想うだけだった僕。でも。でもそんな僕にも、出来ることがある。君に、出来ることが。
「…どんなになっても伝えたいよね…瀬戸口くん…君はそういう人だ……」
君のために出来ることが、僕にあるとすればただひとつ。それは君の想いを、君自身で伝えさせてあげること。


僕はどんなことでも出来た。
君のためならばどんなことでも出来た。
胸の痛みも、切なさも全て。
全て君の笑顔と引き換えならば、僕は。

――――僕はどんなことでも、出来るから。



「何でもしてあげるよ」
君のためならば僕は、何でも出来た。
「…君の願い僕が…叶えてあげる……」
どんなことでもしてあげるよ。だからね。
「…だからもう一度……」
たから、微笑って。もう一度微笑って。
「…もう一度…目を…開けて……」
僕に向ける笑顔でなくていい。君が微笑ってくれるなら。




命が、生まれる。作り物の命が。君のクローンが。君の記憶を持つクローンが。
「…また、失敗だね……」
何十体作ったのかもう僕には分からなくなっていた。それでも僕は作り続けた。君の記憶を完全に埋め込めるクローンを。君の遺言を伝えられるクローンを。
「もっと君は、綺麗だ」
君の笑顔が、見たいから。もう一度君の笑顔が、見たいから。だから僕は君を壊し、君を作り続ける。ただ唯一の君を、この手で僕が。


それが、僕が君に出来るただひとつの、愛の形だから。



君が好きだから、ずっと君の笑顔を願っているから。
だから僕は君のただひとつの願いを。君の想いを。
僕の持っている全てで、叶えてあげたいんだ。それが。




――――それが、僕の、君のために出来ること。


END

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