窓を覗けばそこには大きな月がぽっかりと浮かんでいた。瀬戸口はしばらくそれを見ていたが、月の金色よりももっと。もっと綺麗なものが見たかったから、視線を元へと戻した。
「どうした?」
向かい側で雑誌を読んでいた来須は瀬戸口の視線に気付いて、手を止めた。最近はこの位置関係が二人の定位置になっている。自分はソファーの上に寝転がり、小さなテーブルを挟んでそこに来須が座っている。大きな部屋の窓の前に無造作に。
「綺麗な金髪だなーと思って、見ていた」
時間によって窓の外から零れる光の色が変わり、その光が来須を包み込む瞬間が瀬戸口は大好きだった。時間によって印象が変わるから、飽きもせずに何時も見ていた。全部の来須を、この目にちゃんと焼き付けておきたくて。
「そうか」
ひとつ微笑って、来須は再び雑誌に視線を戻した。こうして瀬戸口は自分が『何か』をしているのを見るのが好きだった。何でもいいらしい。些細なことでもしているのを、見ているのが。
本当にこんな読書ですら自分がしていれば、瀬戸口は飽きもせずにずっと見ているのだ。その時に自分に向けられる視線がひどく暖かく、そして。そしてしあわせそうだったから、来須は別に何も言わず、彼のしたいようにさせていた。
それに分かっていた。瀬戸口がこんな風に自分を見ている理由は、多分。多分、自分が瀬戸口を見ていたいという思いと同じなのだろうから。
静かだけど穏やかな時間がふたりを包み込む。この優しさが何よりも大切な時間だと二人には分かっていたから、絶対に壊しはしない。
こうしてふたりで暮らし始めて、気付いたことがある。
今更だけど、気が付いたこと。沈黙が、こんなにも穏やかだと。
言葉に出さなくても、分かることがあると。そこに。
そこにある暖かい空気に触れるだけで、伝わることがあると。
こうしてそばにいて。一緒にいて、そして気が付いた。
――――沈黙すらも…一緒にいれば愛しいものだと……
雑誌を見終わって視線を瀬戸口に向けたら、彼は手に抱いていたクッションを指で弄んでいた。少々退屈していたのか…と思って声をかけようとしたら、その前に視線が合った。
来須の顔を見つめて瀬戸口はクッションから手を離すと、そのまま手招きをした。それだけで瀬戸口が今何を望んでいるのかがすぐに分かる。来須は苦笑しながら立ち上がると、そのままソファーの前に立った。そして上半身だけを起こしてきた瀬戸口を、そっと抱きしめる。
「退屈したか?」
耳元に囁かれる言葉に瀬戸口は首を横に振った。そしてそのまま来須の背中に手を廻すと、甘えるように擦り寄ってくる。こんな時に来須は、思う。瀬戸口はよくペットを飼おう、それもネコがいいと言っているが…。こんなに大きなネコが既に一匹いるのだから、不可能だと。
「しない。けれど、今からは俺だけを見て」
見上げてくる紫色の瞳が、本当に猫のようだと思う。くるくると表情を変えるその瞳が。自分の前でだけ、気まぐれに変わるその瞳が。
「―――今からだけで、いいのか?」
頬に手を当てて、そのまま包み込んだ。色素の薄い陶器のような滑らかな頬を。そしてそのままゆっくりと顔を近づけて。吐息が触れるほどの距離になって。
「…嘘、何時も俺だけ…見ていろよ……」
そのまま唇がそっと。そっと、重なった。
何時も何処かが、触れ合っていたい。
指でも唇でも身体でも、いい。ただ。
ただ触れ合っていたい。ただぬくもりを感じたい。
それだけだから。それだけ、だから。
大きな手が瀬戸口の膝裏に延びてきて、そのまま彼を抱き上げた。同じ男である筈なのに鍛えられた肉体を持つ来須には瀬戸口を抱き上げるなど造作もない事だった。本当に言葉通り、ひょいっと抱き上げる。
そしてそのまま彼をベッドへと運ぶ。距離にして数メートルしかないのだが、その間にも瀬戸口はずっと。ずっと来須の顔中にキスの雨を降らせていた。広い背中に手を廻しながら。
「―――瀬戸口……」
白い干したばかりのシーツの上に瀬戸口を降ろすと、来須は着ていた衣服を脱いだ。逞しい筋肉が瀬戸口の前に露になる。それだけで、瀬戸口は欲情した。この逞しく鍛え抜かれた筋肉が、自分だけのものだという事に。
「…何?来須……」
次の言葉は聴かなくても分かっていた。けれども今は、聴きたかった。言葉にしなくても伝わることは分かっているけれど、それでも言葉にして聴きたいこともあったから。その声で聴きたい言葉が、あったから。
「お前が欲しい」
うん、と答える変わりに瀬戸口は自らの両腕を来須の首筋に廻した。そして指先を髪に絡める。月よりも綺麗な金糸の髪に。
「…あっ…」
来須の唇が瀬戸口の首筋を、滑る。仰け反る首のラインを舌で辿りながら、同時に瀬戸口の上着のボタンをその手が外していった。
「…来須っ…はぁっ……」
舌が首筋からくっきりと浮き上がった鎖骨へと移ってゆく。一筋の唾液の痕を残しながら。その滑らかな肌を辿って、きつく吸い上げ痕を残した。来須だけが許される所有の痕を、瀬戸口の白い肌の上に。
「…やっ…あっん…あぁ……」
ボタンを外していた筈の来須の指が、突然胸の突起を捕らえた。その感覚にびくんっと瀬戸口の身体が跳ねる。それを合図に指先が、ソレを摘み上げた。
「…あぁっ…ん…来…須っ…はぁぁっ……」
その痺れるような感覚に瀬戸口のそれは、痛い程に張りつめる。そして無意識にその口からは甘い息が零れ始める。脳みその芯から溶かすような、甘い声が。
「…やぁ…あぁ…んっ……」
桜色に変化をした胸の飾りを、来須は舌を使って弄んだ。舌先で突つき、そのままぺろりと舐め上げる。そうやって来須は、瀬戸口を追いつめてゆく。ゆっくりと、けれども確実に。
「…はぁ…んっ…ふうっ……」
左右の胸を舌と指で同時に攻め立てられ、瀬戸口の意識が次第に溶かされてゆく。弱い部分を攻められて、甘い息を、身体が震えるのを、止める事が出来ない。
「…瀬戸口……」
「…来須っ…あぁ…あっ……」
来須は執拗に瀬戸口の胸を攻めたて、彼の性感帯を煽っていった。敏感過ぎるそこを犯され瀬戸口は、惜しみもなく声を上げた。感じるままに声を、上げた。隠すことはないから。何一つ来須の前では隠すことはないから。ありのままの自分をこうして。こうして曝け出せばいいのだから。そしてそんな自分を受け止めてくれるだけの広さも、優しさも来須は持っていると…知っているから。
「…はぁ…あっ!…くぅんっ……」
やっと来須の唇と指先が、胸から離れた。けれどもそれで終わりではないことを瀬戸口は知っている。もっともっと自分に与えられる快楽が深く熱いものだと。そして自分もそれを。それを、望んでいることも。
来須の指先が、舌が、滑ってゆく。瀬戸口の脇腹、下腹部へと感じる個所を攻めたてる。饒舌な来須の指の感触に瀬戸口は焦らされ、そして狂わされていく。
「―――ああんっ!!」
待ち構えていたように来須の指が瀬戸口自身に絡みつく。そこは彼の全身に滑らされた巧みな愛撫によって、触れる前から微妙に形を変化させていた。
「…あぁ…あん…あんっ……」
来須の指は瀬戸口を悩ませ、苦しめる。でもそれ以上のエクスタシーを自分に与えてくれるから。瀬戸口は熱に浮かされながらも、来須の愛撫をねだった。腰を彼の手に押し付けて、もっと深い快楽をねだった。彼だけだったから。彼以外にここまで自分を溺れさせることも、自分をここまで乱されることも出来ないから。
「…あぁっ!……」
来須はゆっくりと瀬戸口から身体を離すと、そのまま脚の間に自らの身体を入れた。そして脚を限界まで広げさせると、そのまま瀬戸口自身を口に含んだ。
「…あぁ…あ…はぁ…」
瀬戸口の指先が震えながらも、来須の金糸に絡みついた。瀬戸口の大好きな、さらさらの細い髪に。何よりも指先に馴染むその感触に。
「…あっ…あぁ…あん…」
快楽に忠実な瀬戸口は、より深い快楽を求めて来須を引き寄せた。頭を抱え込むようにして、腰を押し付ける。そんな瀬戸口に来須は全て答えてやった。口に含んだソレをきつく吸い上げる。そして。
「―――あああっ!」
瀬戸口は細い悲鳴と同時に、自らの白い欲望を来須の中に吐き出した。どくんっと弾けた音ともに、白い液体が来須の口に流し込まれる。それを一つ残らず飲み干すと、身体を起こして、来須は瀬戸口を見つめた。口許に自ら吐き出した精液が付いていて、それすらも瀬戸口は欲情した。
「…来須…付いてる…」
手を伸ばして瀬戸口は来須の口許に付いた精液を拭った。そしてそのまま濡れた指先を自らの口に含むと、ぴちゃぴちゃと音を立てながら舐め取った。
「―――瀬戸口……」
濡れた瞳で自分を見上げる瀬戸口は、恐ろしい程魅惑的だった。紫色の瞳が淫蕩な色で濡れて、うっすらと朱に素肌が染まる。そのしっとりと汗ばんだ白い肢体は、幻想的にも官能的にも見える。それはひどく自らの雄を刺激した。
「…来須…来て…くれ……」
瀬戸口は自らの手を延ばして来須の指に絡めると、そのままその指を口に含んだ。濡れた音を室内に響かせながら、指を丁寧に舐める。その淫らな音に、再び瀬戸口の身体は熱に煽られた。熱いものが背筋からじわりと這い上がってくる。
「…あっ!……」
来須は瀬戸口の口から指を引き抜くと、そのままそれを彼の最奥に忍ばせた。瀬戸口自身の唾液で濡れた指先を。
「…あ…ふぅ…ん…くふっ……」
瀬戸口を出来るだけ傷つけないようにと、来須はいつも細心の注意を持ってして彼を抱く。その為の手間ならば、来須は決して惜しみはしない。
「…はぁ…ぁぁ…あぁ……」
何度も抜き差しを繰り返し、瀬戸口の内部を慣らしてゆく。彼を苦しめる事だけは出来るだけしたくはない。いくら慣らされた身体であろうとも、どんなに知り尽くした肢体であろうとも。
「―――いいか?」
充分、瀬戸口の内部を馴染ませたのを確認して。そして指を来須は引き抜いた。そのまま細い腰を抱いて、そっと耳元に囁き、尋ねる。そんな来須に対して、瀬戸口は。
「…いい…よ…来須…俺も…欲しい…君が…欲しい……」
瀬戸口が頷くのを確認すると来須は、彼の中にゆっくりと入っていった。
熱い内壁が、来須自身に絡みつく。それはきつく締め付け、内部の熱から溶かそうとでもするような激しさだった。
「…あああっ…あああんっ!!」
背中に廻された瀬戸口の爪が来須の皮膚に食い込む。お陰で来須の背中の引っかき傷は癒える事はなかった。何時も抱くたびに瀬戸口が新たな痕を付けるから。
けれども消えなくてもいいと、思う。そんな必要などない。こうして刻まれる傷が、瀬戸口がつけたものならば、それすらも。それすらも二人にとっては必要で意味のあることだから。
「…ああ…あぁぁ…来須っ…来須…はぁぁっ……」
意味のあること。大事なこと。ふたりが繋がって、そして。そして二人作り上げたもの。どんな些細なことでも、どんな些細なものでも、こうして。こうしてふたりで築き上げたものならば。それは何よりも大切なこと、だから。
「…瀬戸口……」
「…あぁぁっ…あああ…もう…俺…来須…はぁぁっ……」
「ああ、一緒に」
来須の腰を揺さぶる手の動きが激しくなって、互いの限界を伝える。それを確かめながら、来須は最奥まで瀬戸口を貫いた。その瞬間、二人は同時に白い欲望を吐き出した。
何時も繋がっていたい。
口でも指先でも身体でもいい。
そのぬくもりを、何時も。
何時も感じていたから。ずっと。
ずっと、感じていたい、から。
――――涙が零れるくらいしあわせって…きっとこんな瞬間を言うんだろうな……
大きな手が、そっと。そっと髪を撫でてくれる。汗でべとついた髪を、何度も何度も。
「―――瀬戸口…」
名前を呼ばれて瞳を開けば、優しい蒼い瞳にかち合う。空よりも澄んで、海よりも深いその蒼に。
「…何?……」
その瞳を瞼の裏に焼き付けて、俺はそっとその胸に顔を埋めた。ネコのように胸に頬をすりよせて、その逞しい胸板を感じた。
「…いや…ただ……」
微かに薫る汗の匂い。雄の、匂い。俺だけが知っているもの。俺しか知らないもの。誰にもあげない。誰にもやらない。こいつは、俺だけのもの。
「名前を呼びたかった」
その言葉に俺は。俺はひどくしあわせな顔をして、そして微笑った。嬉しかったから。ただ嬉しかった、から。
「…偶然だな、来須…俺も…」
「…君に名前を…呼ばれたかった……」
END