買出しを終えて二人の住む部屋に戻って来た途端、瀬戸口はそのままごろんっとソファーに寝転がった。いつもの事なので来須は何も言わずに、そのまま買ってきた物の片付けに入った。
二人分の食料とはいえ、それなりの量はある。最近料理にやたら凝っている瀬戸口は、来須が普段見ないような野菜やら、調味料を買ってくるのだ。それを見るたびに次は何を食べさせられるのだろうか…と、ふと考えたりしながら。
瀬戸口の料理は決して下手ではない。変に凝り性の所があるので、一度はまり出すと、徹底的なのだ。だから作られて出される料理は全て、非常に凝ったものばかりだ。それがイヤな訳ではない。恋人が楽しそうに料理を作る姿を見ているのはイヤではないし、何よりも自分が喜んでくれるだろうと想いながら作ってくれるのは嬉しい。ただ時たま…時たま、来須の口の中に想像もしない味が与えられる以外は。
まあそれもこんな穏やかな日常の中のちょっとしたスパイスだと思えば…楽しいことでもあるのだが。
「なあ、来須。これ見ろよ」
片づけを終えてキッチンから戻ってきた来須を、瀬戸口は手招きした。相変わらずソファーに寝転んでいいご身分だった。かと言って、そんな瀬戸口を来須は決して咎める事はしない。惚れた弱みもあるだろうが、互いがこれでいいと思っている事をあえて軌道修正する必要を感じてないから。互いが、これが一番居心地がいいと、思っている以上。
「何だ?」
ソファーの前まで近づくと、そのまま瀬戸口を見下ろした。そんな来須に瀬戸口は上半身をひょいっと起こすと、そのまま手を伸ばして彼に抱きついた。
「抱きついたら、見えないだろう?」
来須の言い分は尤もだったが、瀬戸口は背中に廻した腕を離さなかった。そうしてしばらく彼のぬくもりを感じる。それが自分にとって何よりもの最上の時だから。
「ちょっとだけ、な」
別にちょっとだけでなくても構わないのだが、来須は彼の思うままにさせた。抱き付いてくる身体をそっと抱き寄せると、背中を撫でてやった。見かけよりもずっと華奢で細いその背中を。
「ああ、俺ってホント、しあわせだなー」
しばらく抱き着いていた瀬戸口がそう一言って、顔を上げる。その表情は言葉通り本当にしあわせそうな顔をしていた。自分が抱きしめる事で何時でもこんな顔をしてくれるのならば、いくらでも抱きしめようと来須は思う。いくらでも、抱きしめようと。
「そうか、お前がそうならそれでいい」
額を近づけ、そのまま重ねた。そこから伝わるぬくもりが暖かく、ふたりをゆっくりと満たした。こんな些細な事でしあわせを感じられる今が、何よりも大事だと思う。こんな風に、何気ないことの積み重ねが、きっと二人には何よりも大切なのだから。
「あのな、今日」
瀬戸口の背中に廻されていた手が離れる。それでも来須は彼を抱きしめていた。それが瀬戸口の望みで自分のしたいことである以上、この腕を離す理由は何もないのだから。
「こんなモノを見つけて買ってきたんだけど、試す?」
子供のような瞳が来須を見上げ、さっきから手にしていた小さな袋を目の前に差し出す。その袋には『えっちな気分になれる入浴剤』と、余りにも余りな文字が並んでいた。
「…瀬戸口…お前は……」
普段余り表情の変わらない来須が露骨に呆れ顔で、更にため息まで付いてきた。けれどもそんな来須の様子など瀬戸口は気にすることなく、楽しそうにしながら。
「な、早速試そうぜ」
来須の腕の中から猫のようにすり抜けると立ち上がって、恋人の服の裾をぎゅっと引っ張った。来須にしてみればそんなモノなど試すまでもなく…そばに瀬戸口がいれば必要のないものなのにと心の中で呟きながら、引かれるままに後を付いて行った。
「キスをしたくなるキャンディーってのもあったんだけどな」
バスタブに湯を張りながら瀬戸口はなおも楽しそうに言い続けた。そんなモノもはっきり言って必要のない物なのに…と心の中で呟きながら。
「やっぱこっちだなーっと思ってね」
バスタプに湯が充分張られたのを確認して、瀬戸口は来須に向き合った。そしてそのまま服を脱がし始める。
瀬戸口と暮らすようになって来須の服の趣味が明らかに変化した。と言うか瀬戸口が変えさせたのだ。
来須は服に関して…というよりも自分のことに関しては全てに無関心だった。そんな彼だから服に関しても、ただそこにあったものを着ていると言う感覚でしかない。
そんな恋人に瀬戸口は自分で買ってきた服を与えた。それを着こなす来須は惚れた贔屓目を差し引いても充分にカッコよく、街を歩けば女の子の目を惹きまくっていたが、当の本人はそんな事に全く関心がなかった。世の男どもからしてみれば、羨ましくてしょうがない程なのに。
「やっぱ君ってイイ男」
そんな来須に自分好みの服を着せて、喜んでいる自分も確かにどうかとも、思うが。けれども長身で体格のいい来須は何を着ても似合うのだ。お陰で自分の服を買うことよりも、瀬戸口は夢中になって相手のものを選ぶ始末だった。
「お前好みなら、それでいい」
そして。そしてそんな誰もが羨むほどのイイ男を自分だけが独占していると言う事が、何よりも瀬戸口には嬉しかった。
来須の服を全て脱がせると、今度は相手の方が瀬戸口の服を脱がせた。大きくて節くれだって、でも綺麗な指。そんな指先を見つめているだけで、瀬戸口はひどく幸福な気持ちになった。
「どう、えっちな気分になった?」
入浴剤はまるでハワイアンブルーのかき氷のような色をしていた。青い湯に身体を二人で浸かりながら、瀬戸口は聴いてきた。
「―――お前は……」
ひとつため息を付いて、来須は瀬戸口を見つめた。曇っているせいで恋人の顔は至近距離でないとはっきりと見えることが出来ない。ふたりで浸かるには充分過ぎるほどに広いバスタブだった。来須にとって入浴は義務的なことでしかなかったが、瀬戸口にはひどい拘りがあった。
一緒に暮らすと決めた時、真っ先に瀬戸口が言ってきた事は、風呂の大きさだった。とにかく広くて更に二人で入れることが絶対条件だと、頑なに譲らなかった。が、今思えばこうして二人で入っても充分に余裕あると言うことは、有難いことではあるのだが。
「ならないのか?」
瀬戸口はバスタブに底に両手を付きながら、猫が擦り寄るように来須に近づいた。曇っている視界でも互いの顔がはっきりと見える距離まで近づくと、そのまま脚を広げ座っている来須の間に滑り込んだ。
「…俺はこんなに君が、欲しいのに……」
ぴちゃんっと音がして青い水から瀬戸口の白い手が伸びてきた。それがひどく目に鮮やかに焼き付く。けれどもそんな事を来須が思う前に、腕が背中に絡まってきた。そして身体を摺り寄せ、来須を誘ってくる。水が青いせいで来須の視界には捉えることは出来なかったが、瀬戸口自身が湯の中で形を変化させている事は、重なった肌から伝わった。
「発情期の猫のようだな、お前は」
くすりとひとつ微笑うと、来須は腕の中の、瀬戸口の身体を反転させた。そのまま背後から抱きしめ、ゆっくりと手を身体に滑らせた。その瞬間ぴちゃんっと水が水面から跳ねた。
「…君が前に言っただろ?…俺の事を猫だって……」
直接肌に触れているのに水の抵抗のせいで愛撫がひどくもどかしく感じた。焦らされるように滑る来須の手に、瀬戸口は自ら身体を押し付けより深い愛撫をねだった。
「ああ、猫だ。俺だけの」
「…あっ……」
指先が胸の果実を捉える。そしてそのまま握りつぶすように強く突起を擦った。けれどもそれはやはり湯船の抵抗にあい、瀬戸口の望む激しいモノにならなかった。
「…あぁっ…ん……」
それでも耳たぶを噛まれ、もどかしいほどの愛撫でも身体は感じる。それが来須から与えられているものだと言うことが、何よりも瀬戸口を感じさせる。何よりも、感じさせる。
「…あぁん…来…須っ……」
水面が揺れて、水が跳ねる。その青い水が瀬戸口の頬に当たった。熱い湯が瀬戸口の頬を濡らす。けれども背後から抱きしめられている姿勢では、来須にそれを見ることが叶わなかったが。
「…はぁっ…あぁ……」
瀬戸口の紅い舌が無意識に伸びて、その跳ねる水を舌が掬った。そのまま零れ顎を伝い、また水面にぽたりと落ちる。ぽたり、ぽたりと。
「…あぁ…ん…熱い…よ…来須……」
顔に当たる湯の熱さを瀬戸口は訴えても、来須には何が熱いのか分からなかった。身体が熱いのかと思い一端手の動きを止めると、それを抗議するように瀬戸口が身体を押し付けてくる。愛撫を、ねだってくる。
「―――ここから出るか?」
仕方なく身体の愛撫を再開して来須は瀬戸口に尋ねた。中に入っている事自体が熱いのか、と尋ねたが瀬戸口はただ首を横に振るだけだった。そして。
「…いい…このまま…このまま…繋がりたい……」
快楽に潤み始めた瞳で来須を見上げた。その顔が湯によって濡れていることに気付いた来須は、そのまま。そのまま無理な体制のまま瀬戸口の唇を塞ぐ。そしてキスを繰り返しながら、何度も身体を指でまさぐった。その間唇が、舌が、顔に掛かっている液体を舐め取る。その行為が何よりも瀬戸口の身体を…熱くさせた。顔に掛かる湯など、比べ物にならないほどに、熱く。
「…あぁっんっ!……」
腰を浮かされ、そのまま指が埋められる。熱い湯と一緒に入ってくる指が、水とともに掻き乱される指が。いつもと違う快楽を瀬戸口に与え、その瞼を震わせた。ぴくんっ、ぴくんっ、と。
「…ふぁっ…あぁ…っ…はぁっ…」
胸を摘まれながら、指が中を犯してゆく。自身にはまだ一度も愛撫は与えられなかった。それでもそれは既に湯船の下で息づき、激しく己を主張している。乱される息と、震える身体が何よりもの証拠だった。
「…何か…変な…感じ…宙に…浮いてるみたいだ……」
瀬戸口の手が湯船の中でさ迷うように動いた。そして。そして目的のものを発見すると、そのまま手のひらで包み込む。充分に硬く熱くなった、来須自身を。
「お前に効いているのか?これが」
「…ああんっ!!」
指で入り口を限界まで開かされ、そのまま湯をソコに入れられた。熱い液体が瀬戸口の中に入ってくる。その刺激に声が、濡れる。
「…でも…俺…こっちが…いい…こっちが欲しい……」
瀬戸口の手が淫らに来須自身に絡まる。快楽もせいで指先は縺れていたが、それでも必死にその熱と欲望を指先で追い詰めていた。
「…コレ…俺に…な、来須……」
「―――ああ……」
来須の手が瀬戸口に触れて、絡み付いていた指を外させる。そしてそのまま腰を掴むと、ゆっくりとその身体の中に、自身を埋めていった。
熱いお湯と、それ以上に熱いモノが瀬戸口の中へと埋められる。その焼けるような熱さに、身体が震えた。
「…ああっ…あぁぁっ……」
白い喉が剥き出しになって、そこから幾筋もの液体が伝った。仰け反って喘ぐ瀬戸口の口許から零れる唾液が、ぽたりと落ちてゆく。
「…あぁっん…はっ…あぁぁ…来須っ…来須っ…あぁぁ……」
水の抵抗と、それを引き裂くように激しく貫く楔が。その注がれる熱さが、瀬戸口を狂わせた。いつもと違う刺激。いつもと違う感覚。ふわりと宙に浮いたように、貫かれる身体。
「…来須っ…あぁぁぁっ!……」
こうして肌が触れ合っているのに、こうして肉が擦れ合っているのに。それを水という壁が隔てているのが。隔てているのが、瀬戸口に来須の名前を呼ばせた。抱いているのが彼だと、貫いているのが彼だと、まるで確認するかのように。
「――――瀬戸口……」
「ああああっ!!!」
その声に何処か切なさを感じた来須は…それを打ち消すように強く彼を貫き、その中に本流を注ぎ込んだ。
「…来須…俺の……」
青い湯船に白い液体が広がった。瀬戸口の放ったモノが、透き通っている水を濁らせた。白濁した液体が青と交じり合い、溶けてゆく。
「…俺だけの……」
快楽で火照る身体を必死に瀬戸口は動かし、身体を反転させ彼と向き合った。そして。そしてキスをねだる。唇を開き、舌を伸ばし口付けをねだる。
「ああ、お前だけのものだ」
その舌に自らの舌を絡め、来須は瀬戸口の唇を貪った。激しく、貪った。こんな時彼はこうしなければ安心出来ないと分かっているから。
時折見せる、瀬戸口の不安。ありえないのにまるでトラウマのように思い出す不安。それは来須が自分から消えること。ありえないのに。それだけはありえないのに。それでも染みついてしまった孤独と時間が不意に瀬戸口にそれを思い起こし、そして呼び戻すから。
それを打ち消すように、来須は彼に深く口付ける。自分はずっと、こうしてそばにいるのだと、伝えるために。
「…こんなモノ、必要ないだろう?……」
湯船の中で抱き合った。のぼせてしまうかもしれないけれど、今はこうして。こうして抱き合っていたかったから。水の中でも、隔てるものかあっても繋がっていると、確認したかったから。
「…いいだろ、ちょっと…試してみたかったんだよ……」
抗議を言ってくる唇を来須は掠めるように口付けて、塞いだ。少しでも、触れ合うだけで瀬戸口は満たされる。しあわせに、なれる。
「試してお前が少しでも不安になるものなら…必要ない」
「…来須……」
「そんなものなら、いらない」
来須の言葉に瀬戸口は微笑う。何よりも嬉しそうに、微笑う。そして。そして自分から来須にキスをして。――――そして。
「…でも君からそんな言葉聴けたから…それだけで試したかいが、あったよ……」
END