きよしこのよる

雪が、降ってくる。そっと、降ってくる。
ふたりの間に降り積もる雪が。雪だけ、が。
睫毛の先に零れて。髪の先に零れて、そして。


そして、ふたりをそっと。そっと隠していった。



何処にも行けないから、何処にも行かなかった。何処にも辿り着けなかったから、ここにいた。
「…お前の髪に…雪が零れている…綺麗だな……」
細い指先が、金色の髪に触れて。触れてそして、そのまま。そのまま滑るように、髪を撫でてゆく。その指先を見つめながら来須は、その見かけよりもずっと華奢な身体を抱きしめた。
「綺麗だな、お前…肌白いから…雪が溶けているみたいで…綺麗…」
髪を撫でる指は何時しか頬に触れる。そのひんやりとした感触が切なかった。切なかったから、その指先を手にとって、そのまま口付けた。

凍えるほどに冷たい指先を、自分が暖めたかった、から。



このまま、死にたいなと、お前は言った。
ひどく綺麗に微笑いながら。ひどく哀しく微笑いながら。
このまま雪に埋もれて死にたいな、と言った。

このまま俺の腕に抱かれて、死んでしまいたいと。

何時もふたりの間には、見えない傷があって。
それを互いに癒しながら、また傷を作っていた。
消える事のない傷。繰り返される儀式のように。
それでも俺達は離れられなくて。それでも俺達はともにいて。
そこに見出す答えも、未来も何もないと分かっていても。


互いを求めることだけは、止められなかったから。


「…お前ずっと、綺麗なんだろうな…俺が穢しても……」
紫色の瞳。俺を見上げるその瞳が。何処までも。何処までも、哀しく。
「…穢たない俺をいくら抱いてもお前…ずっと綺麗なんだろうな……」
ただ哀しく、そして。そして壊れるほどに、切なく。
「…でも…そんなお前が…好きなんだ……」
切ないほどに、お前は綺麗、だった。



ふたりの間を降り積もる雪が。その雪がふたりの罪を、贖いを、そっと。そっと隠して埋めてゆく。許されない全ての想いを、そっと埋めてゆく。
「―――瀬戸口…どうしたら俺は…お前をしあわせに出来る?」
腕の中の身体は冷たかった。命すらも感じられないように。ただ重ねあった個所から聴こえる心臓の音だけが、来須に彼の『生』を感じさせる唯一のものだった。
「…お前を、苦しめずに…いられるのか?」
真摯なその蒼い瞳の先に宿るのはどうにも出来ないもどかしさと、そして苦しいまでも真剣な想い。それを分かっているから。分かっているからこそ、瀬戸口は最期の言葉を述べるのを躊躇っている。ただひとつ、自分が救われるための言葉を。
「…来須…いいんだ…お前がそう言ってくれるだけで…そう想ってくれるだけで…それでいいんだ…」
その言葉が嘘だと言うことは、来須にはすぐに分かった。そんな風にしか言えないのは。そんな言葉でしか言えないのは。その答えを自分自身が一番知っているから。

誰よりも自分が一番、分かっているから。

拒むことのない唇に口付ける。触れる唇の冷たさが、何よりも胸を抉る。このまま。このまま抱いてその冷たい身体にぬくもりを灯してやりたいと…来須は想った。
「好きだよ、お前が好き。言葉でなんて言っても俺の気持ちの半分も伝わらないけど。それでも言わずにはいられない。お前がどうしようもないほどに好きだ」
どうしてだとか、何故なのかとか。そう言った言葉すらもうふたりには無意味だった。そんな言葉すら追いつかないほどに、互いを求め合い、そして壊れてゆく。内側から少しずつ、ふたりは壊れてゆく。それを止めることも、戻ることも、もう出来なかった。
「好きだ。好きだ、お前だけが好き。この瞳も、唇も、手も、声も、髪も、全部。全部、どうしようもないほどに、好きだ」
指先が来須の睫毛に、唇に、手に、喉に、そして髪に触れる。ただひたすらに狂おしいほどに愛しいと、その指先が伝えていた。
「―――好きだよ、来須……」
どうしてこんなにも惹かれ、どうしてこんなにも愛し。そしてどうしてこんなにも。こんなにも未来のない相手を、想うのか。どうしてしあわせになれない相手に、焦がれるのか。
「俺もだ、瀬戸口」
焦がれ、狂い。そして。そして壊れてゆく。もうそれを誰にも、そしてふたりにも止められない。ただひたすらに互いの全てを奪いたいと願い、ただひたすらに違いの全てを食らい尽くしたいと願う。それを誰が。誰が、止められると言うのか?

こんなに、こころから血を流すほどに求める想いを、誰が止められるのか?



もう一度冷たい唇に口付けた。痺れるほどに深く口付けて、そして。そして吐息の全てを奪って。そして、告げる。お前が告げられない最期の言葉を。
「…このまま舌を噛み切って…死ぬか?……」
告げられない最期の言葉。ただひとつの望み。それを口にすればお前はしあわせになれるのか?お前は、しあわせに、なれるのか?
「…来須……」
ずっと笑顔を見てたいかった。ずっとその笑顔を見ていたかった。お前が笑っていられる世界を作れるのなら、幾らでも犠牲になろうとも構わなかった。でも。でも、お前が望んだものは。
「…一緒に…逝くか?……」
本当にお前が望んだものは…これ、だったのだろう?



死にたいと、何時も言っていた。
お前に抱かれて死にたいと。
お前の腕の中で死にたいと。
そうすれば俺は、しあわせだって。
しあわせだと言った。

でもそれは本当は、嘘。本当はそれじゃあしあわせになんてなれはしない。

だって俺がいなくなった世界で、お前が。
お前がまた別の誰かを愛するかもしれない。
俺がいなくなった世界で。俺のいない場所で。
お前が誰かに微笑うかもしれない。


俺の知らない場所で、お前が微笑うのが嫌だ。
俺のいない所で、お前が誰かとしあわせになるのは嫌だ。




「…それがお前の本当の望み、だろう?……」




ふたりの間を降り積もる雪が。その雪が、そっと。そっと罪を隠してゆく。
紅く染まった罪を、雪が静かに隠してゆく。降り積もる雪が、隠してゆく。




繋がった唇から零れ落ちる血が、鮮やかに雪の上に零れた。


END

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