ただほんのひとときの安らぎを求めるために。ほんのひとときのこの瞬間を得るために、全てを犠牲にしても構わない。気が遠くなるほどの長い時間、自分の全てを拘束されてもこの瞬間が得られるのなら。この瞬間が、この一瞬が、この手に与えられるのならば。
――――どんな事でもしよう。どんな事でも出来る。
手をもぎ取られ、脚を切り落とされた。目は潰され、身体は切り刻まれる。それでも死なない魂。死ねない、魂。肉体は滅びても、心は滅ぼされる事がない。消える事がない。消したくも、消えない。全てを無にしたくても。
「…また次の身体…捜さなきゃな…次は俺…どんな顔になんのかな……」
何度も繰り返される再生。悪夢のような永遠の時。それでも生きている。それでも生かされてゆく。それでも、生きてゆく。何度も肉体という入れ物を代えて、生きてゆく。俺は、生きてゆく。
さよならだけが、どうしても云えなかった。その言葉だけが、云えなかった。例えこの瞬間が永遠の別れだとしても、今こうして言葉にしてしまったら。声に出してしまったなら。
ただひとつの希望ですら、自分から奪われ剥ぎ取られてしまう事が分かっていたから。ただひとつの、祈りですら。
「―――忘れろ…俺を…」
それだけを云った。それが、お前が俺にくれた唯一のもの。お前を忘れろと、忘れてくれと。俺という魂にお前という存在を刻むなと。
「それが出来たら初めから、お前には惚れねーよ」
他人を愛する事は、誰を特別に想う事は、自分にはもう出来ないものだと思っていた。初めに刻まれた彼女の存在があまりにも、苦しく切なく愛しいものだったから。永遠とも思える時間刻まれるであろう彼女の存在こそが、それが傷になり自分の心を閉じ込め封じ込めた。けれども、それすらも。それすらも何もかもを、奪うほどの相手。自分自身すら見失うほどの相手。そんな相手に自分はこうして。こうして出逢ってしまったから。
「忘れろ、瀬戸口」
永遠の別れの辛さは知っている。苦しみを知っている。痛みを知っている。怖さを知っている。それでも惹かれた。それでも愛した。それでも焦がれ狂うほどに求めた。もうどうにも出来ないほどに。だから。だから、俺は。
「忘れられるくらいの想いなら、俺はお前なんかに惚れねーから」
初めから別れが前提にあった。時間軸を渡り続けるお前と、転生を繰り返す俺と。ともにいられる時間なんて、終わりない時の一瞬でしかない。瞬きするほどの一瞬でしかない。そんな事、初めから分かっていた。
「好きだ。好きだ、来須。俺がそう言ってんだから、それでいいだろ?」
それでもお前を好きになったんだ。好きにならずにいられなかったんだ。あれほど傷つきあれほど怯えた他人への想いを、止められない程に。
「…それでも俺を…忘れてくれ……」
溢れて零れて来る想いが、俺の全てを満たすほどに。俺を狂わせるほどに。いいんだ、俺狂っても。狂って壊れてもいいんだ。お前を想って、そうなれるならば。お前だけを想えるのならば。
「忘れない。お前だけは忘れない。俺がどうなっても忘れないから」
金色の髪も、アイスブルーの瞳も。傷だらけの大きな手も、厚い胸板も。微かに薫る汗の匂いも、全てが。お前の全てが、俺にとっての記憶。俺にとっての想い。俺にとっての全てで、俺にとっての想い。
「――――愛しているから…忘れない……」
触れて離れるキスが、最期の触れ合いだとしても。それでも永遠に俺の心はお前に触れている。ずっと、触れているから。
次はどんな身体に生まれてくるのだろうか?出来るならば瀬戸口隆之の時に少しでも似ていたらいい。あの時の自分に、少しでも似ていたらいい。お前が好きでいてくれた、俺に似ている事が出来たら、いい。
再生される魂が。繰り返される転生が。どんなに俺の心をリセットしても。どんなに真っ白にしても、お前だけが消えない。お前だけは消えることがない。何時でもこの瞳を閉じれば鮮やかに浮かんでくる。お前だけが鮮やかに、浮かんでくる。
繰り返される悪夢。繰り返される地獄。でも。でも、お前が消えないから。消える事がないから。
何時も無になりたいと願っている。全てを終わらせたいと願っている。でも心の何処かで。何処かで、俺は思っている。お前に、逢いたいと。お前に、逢いたいと。こうして繰り返し再生していけば、何時しか時間軸を渡るお前とまた逢えるかもしれないと。
ただそれだけの為に。その一瞬の為に。俺は永遠の苦しみを、自ら選択している。
安らぎは一瞬だった。光は一瞬だった。後は紅い血と黒い闇だけ。それでも。それでも俺にとっては、全てだったんだ。あの瞬間が、あの時が、全てだったから。
『―――瀬戸口……』
大きな手が、髪をそっと撫でる。少しだけ不器用に、でも優しく俺の髪を撫でてくれる。そうして無表情な蒼い瞳が一瞬柔らかい表情を見せて、俺に。俺に微笑ってくれる瞬間が。
『…瀬戸口……』
その声が俺の名を。俺の名前を呼んでくれる瞬間が。この瞬間が俺に与えられただけで。今このひとときが俺に与えられただけで。自分は生まれてきてよかったと、そう思えるから。
好きだよ、来須。ずっと、ずっと好きだ。いいじゃん俺がそう言ってんだから。俺がお前を好きだって、そう言ってんだから。なあ、お前から見て俺は憐れに見えるのか?それとも哀しく見えるのか?だったらちゃんと。ちゃんともっと俺を見て。俺をちゃんと見てくれ。こんなにもお前を好きで、こんなにも幸せだって。そう思っている俺をちゃんと。ちゃんと、見て。
永遠の別れでも、二度と出逢えなくても。でも今。今お前に逢えたじゃん。
俺たち出逢えたじゃん。それだけでしあわせだよ、俺。
「…来須…愛している……」
何時も俺、お前の顔思い浮かべている。こうやって肉体がなくなる瞬間、お前の顔だけ浮かべている。空っぽになっても、全部リセットされても、何もかも忘れても俺。俺お前の事だけは憶えているから。ずっとお前だけは、憶えているから。
『…ならば…忘れるな…俺も忘れないから……』
『へへ、それでこそお前だよ。俺が惚れたお前だ』
『…忘れない…忘れられるわけがない…お前だけは瀬戸口……』
『…うん…来須…うん…うん……』
『…戦い続ける限り俺は生きてゆく…だから何時かまた…お前に出逢えるまで…俺は戦い続けるから……』
意識が遠ざかり、肉体が消えてゆく。真っ白になった俺に聴こえた声はお前の最期の言葉だった。
END