――――立ち止まって隣を見たら、お前がいた。
俺は風でしかなかった。
一瞬の存在感。一瞬の邂逅。
そしてすぐに消え去る存在。
すぐになくなる、存在。
人々の記憶から消え、そして。
そしてそこには何一つ残らない。
それで、よかった。それだけで、構わなかった。
誰かの記憶に残りたいとも、誰かの心に残りたいとも。
存在したと言う証を。生きていたと言う意味を。
そんなものすら俺には必要、なかったから。
――――何の為に、俺は在るのか…それすらも考えようとはしなかったから。
絡めた、指先。繋がった手のひら。
ひどく暖かいそのぬくもりが。
ぬくもりが指先から伝わって。そっと、伝わって。
何時しかその手を離したくないと、思っていた。
「君が、ここにいる」
お前は俺の目を真っ直ぐ見て、そう言った。紫色の瞳。悪にも正義にもなれない瞳。でもその中途半端さがひどく俺は。俺は、惹かれた。
「俺と向き合って、立っている。それだけで、嬉しいよ」
俺は今まで立ち止まった事などなかった。ただ流され、ただ緩やかに。時間に流され、時に流され。通り過ぎてゆく日々を他人事のように眺めているだけだった。けれども。けれどもお前はそんな俺の中に、ひどくゆっくりと、ひどく自然に。俺の心に、住み着いた。
「来須、君とこうして同じ時間に立ってくれる事が嬉しいから」
屈託なく笑う笑顔。最初は少し戸惑っていた。誰も俺の心にまで踏み込む人間はいなかったのに、突然踏み込んできたお前。遠慮なしに、俺に向かってきたお前。そんなお前の存在がかけがえのないものになったのは何時からだっただろうか?傍にいてほしいと思うようになったのは、何時からだったのか?
「―――お前は不思議な奴だ」
「え?」
口では愛の伝道師だの色々言うくせに、何時も俺の前では顔を紅くしていた。それが可笑しかった、愛しかった。普段あれだけ他の奴には言っているのに、俺の前では肝心な事を中々言えないお前。そんなお前が、俺は……。
「何時の間にか俺の、ここにいる」
親指で自らの胸を指差したら、お前は少しだけ戸惑って…そして次の瞬間何よりも嬉しそうに微笑った。
ゆっくりと、胸に染み込んでくるもの。
暖かく優しく、そして何処か切ない。
―――ひどく大切な、想いが……
「君の中に入りたかった。君の風の中に入りたかった」
伸ばされた手をそのまま絡めて、そしてそっと抱きしめる。香る髪の匂いはひどく甘く切ないものだった。
「君を感じたかったんだ…ずっと…どうしたらってそればかり考えていた…」
柔らかい栗色の髪。ふわりと風に靡くこの髪にどれだけの愛しさを込めて俺は撫でれば。撫でれば想いは全て伝えられるだろうか?
「――君の見ている世界にどうしたら俺が入る事が出来るかって」
見上げてくる紫の瞳に、そっと微笑った。何時しか自然に俺はこんな表情が出来るようになっていた。意識する訳でもなく、気付いたら自然に。本当に、自然に。
「でも今は…入っているって…自惚れても、いいよな……」
―――ああ…と言う変わりに、そっと。そっとその唇を塞いだ……。
初めて留まりたいと想った場所。
初めて存在を残しておきたいと想った場所。
初めて『生きたい』と想った場所。
お前の中に。お前のこころの中に。
例え俺が風になって消えていっても。
全ての人間から俺の存在が消え去っても。
俺という人間がこの世界から抹殺されても。
―――お前の心にだけは、存在していたい……
「…お前を…俺は……」
「…来須?……」
「一度は言葉にしないとな」
「―――愛して、いる……」
永遠に告げる事などないと想った言葉。
時間のループに存在する俺に。
螺旋階段の迷路を廻り続ける俺に。
その言葉は遠く、そして無縁だった。
けれども、お前にだけは。お前に、だけは。
どうしても、伝えたかった。
もしも、お前からも。
お前からも俺という存在が消えたとしても。
今ここに存在する想いは。ここに在る想いは。
――――永遠、だから。
俺がずっと、持ってゆく。無限回路の中で、ずっと。
ずっと俺のこころの中で永遠に。
永遠に、存在し続けるから。
「うん、俺も。俺も君だけが」
未来も、過去も何もないから。
「君だけが、好き」
俺にとって今しかないのならば。
「君だけを、俺は」
今この瞬間を何よりも。
「愛している」
何よりも、大切にしたいから。
優しい過去も、綺麗な未来もいらない。
お前がそこにいればそれだけでいい。
――――俺のこころにずっと、お前がいてくれれば……
END