髪に顔を埋めて、そして。そしてそっと薫る、君の匂い。
放課後の人気のない教室で君は教科書とノートを広げて、文字を追っていた。しばらく俺はそれを見ていたけれど、我慢できなくてそのまま抱きついた。
後ろからぎゅっと抱きついたら、少しだけ不機嫌な声が返ってくる。そんな所も好きだって言ったら…君は呆れるだろうか?
「―――瀬戸口…お前は……」
軽いため息とともに、君は俺を見上げてきた。椅子に座っている君に抱きついたから、何時もの身長差と違っていて。こうして君を見下ろす角度がひどく新鮮でどきりと、した。
「だって俺といるのに君は全然…俺かまってくれないからっ!」
「…かまってって…ガキかお前は……」
悔しいからもう一回ぎゅっと抱きついた。その瞬間ふわりと君の髪から薫る、匂い。俺と同じ、匂い。
「駄目だ、俺といる時は…俺だけ見ててくれないと」
頬に手を当ててそのまま上を向かせた。そうしてそのまま覆い被さるようにキスをする。触れてすぐに離れたけれど…なんかちょっと何時もと違っていいかもって思った。
「瀬戸口お前、宿題は?」
「ヴっ!」
「ほらお前もやれ」
ぽんっと頭を教科書で軽く叩かれた。本気で叩いた訳じゃないから痛くはないけれど。でも『宿題』の言葉はダメージだったりする。
「いいよ、俺は…君と違って真面目じゃないし、宿題なんて」
「教えてやるから」
俺の手を解くと君は椅子から立ち上がって俺の前に立つ。このまま教室じゃなかったら迷わず抱きついたけれど。…って別に教室でも抱きつくな、俺は……
大きな手が俺の肩を掴むと君が座っていた椅子にすとんっと座らせられた。そして君は反対側に向かうと、椅子を持ってきて向かい合うように座った。
「お前は頭はいいのにわざと、バカな振りをする」
背後の窓から夕日が差し込んできて、君の金色の髪を照らした。きらきらとして凄く。凄く、綺麗だった。つい俺はそれに見惚れてしまう。そして耐え切れずに髪に手を伸ばして、触れて。
「…おい瀬戸口……」
「あ、ごめん。つい綺麗だなぁって…その…」
「―――宿題終わるまで、お預けだ」
「そ、そんなー」
「だったら早くやってしまえ」
こんな時君はひどく真面目になる。そんな所も好きだけど…だけどせっかく君と二人きりの時間なのに勉強なんかに邪魔されるのは嫌だった。
「…勉強キライ……」
「またガキのようなことを言う…つべこべ言わずにやれ」
「へいへい」
半分はヤケ、半分は諦め。とにかくこれを終わらせない限りは君に触れる事も『お預け』状態なのだからやらない訳にはいかない。けれども。
…けれども勉強なんかよりも、やっぱり俺の目は君の綺麗な顔を追っていて……
「―――真面目にやれ」
俺がずっと君に見惚れていたから、少し怒ったような声で言われた。その顔もカッコイイなんてついつい思いながらも、これ以上は本気で怒らせても得策ではないので諦める。
…だって俺にとって君に触れられないのは…君に触れてもらえないのは…最大の罰だから……
「終わったっ!」
「やれば出来るじゃないか」
「終わった、終わった。だから」
「…しょうがないな……」
向かい合ったまま、君に髪に触れる。同じ匂いのする髪に。同じ、匂い。君はひどく『生活』に対して無頓着だったから。だから俺が選んでやったシャンプー。俺が使っている奴だけど。でもこれで同じ匂いだと思ったら、ついしあわせになってしまう。
「―――犬か、お前は……」
つい嬉しくてくんくんと君のシャンプーの匂いを嗅いでいたら、思いっきり呆れられてしまった。けれどもその瞳は決して怒っても呆れてもいなかったから。
「いいじゃん。同じ匂い…ちゃーんと俺の買ったシャンプー使っててくれてるんだなーって」
「それしかないからな」
「ひでーっ!もうちょっといい方があるだろうっ!」
「…お前は…しょうがないな……」
手が伸びて来て、俺の頬に触れる。そして包みこまれたと思ったらそのままひとつキスを、された。触れるだけのキスだったけれど。でも。
「これで機嫌直せ」
「…ずるいの…君ってば……」
それが俺にとってどんなに効果覿面か分かってて…って分かっているからキスしてくれるんだろうけど。
でも君は絶対に俺の願いは叶えてくれる。俺の欲しいものは絶対に与えてくれる。そして俺のことをちゃんと考えてくれる。それが分かっているから。分かって、いるから。
「でも机が邪魔」
「―――お前は……」
こうして君が俺の前でだけその帽子を取ってくれるのも。俺にだけ優しい瞳を見せてくれるのも。全部。全部、俺のことを…想ってくれているから……。
「しかたないな」
くすりとひとつ微笑って、君は椅子から立ち上がるとそのまま俺の腰に手を当ててひょいっと抱き上げた。こんな時に普段の鍛え方の差を感じる。俺はそんなに軽くもないし、標準以上に身長もあるのに…君は俺を軽々と抱き上げる。
「これで満足か?」
そのまま俺を抱き上げたまま机の上に座る。俺は君の膝の上にちょこんと乗った形になった。こんな所誰かに見られたらいい訳所じゃないけど…それでもいいかなと思ってしまう俺は末期かもしれない。
―――でもそんな事すらどうでもいいくらい、君が好きだから。
「うん、満足。やっぱり君って最高」
背中に手を廻してそのまま、またぎゅっと抱きついて。抱きついて君の肩に顔を埋めて。そして君の匂いを感じて。俺だけが知っている君の、匂いを。
「本当にお前は妙な所が…ガキだな……」
髪を撫でる大きくて優しい手。大好きな手。絶対に誰にも渡したくない、大事な手。
「でもそんな所も―――」
耳元にそっと囁かれた言葉に、俺はきっと。きっとどうしようもない程に嬉しい顔をして。そして。そして仕返しとばかりに、君にキスをして。
「俺も…君が、大好きだよ……」
君の言葉に答えるように言えば、またキスをしてくれる。額に頬に瞼に唇に。俺達何時もキスをしているけど、全然足りないのはどうしてだろうね。
「…ってまたいちゃいちゃしてるね、俺達」
「―――今更だろ?」
「うん、今更だね。だからいいよね、もっと」
「キス、してても」
見つめ合って、そして。
そして微笑いあって。
また唇が重なって。そんな事が。
そんな事が、積み重なって。
いっぱいいっぱい、積み重なって。
「―――って何でまた匂いを嗅ぐんだ?お前は」
呆れ返る君に俺はひとつ微笑って、言った。それはね。それは、君の。
君の匂いが俺と同じだなって感じたいからだって。
―――顔を埋めて、そして。そして君の髪の匂いを、感じたいんだって。
END