変わらないものが、今ここにあるとするならば。
何もなくても。手のひらに何も残らなくても。
何一つこの手のひらから消えてしまったとしても。
それでも。それでも、今この瞬間に。
―――この瞬間に、変わらないものがあるとするならば。
一緒に死のうと、俺を殺してくれとは、同じようで違うもの。違うようで、同じもの。どちらも願った事で、どちらも叶わない事。分かっていてその言葉を、お前に繰り返すのは…俺の我が侭なのか?
「なぁ、ずっとなんて言葉…やっぱり俺達には、似合わないよな」
見上げて、その蒼い瞳を見つめて。見つめてそっと微笑った。口許だけで微笑っても、お前には気付かれてしまうから。他の誰にも見破られなくても、お前にだけは気付かれてしまうから。
「後、永遠も…似合わねーよな」
それでもお前は気付くのだろう。ううん、お前だから気が付くんだ。俺のどんな些細な感情の乱れも、俺のどんなに小さな心の傷も。俺のどんなにも小さな…心の隙間も。全部、全部気が付くんだ。
―――お前だから…気が、付くんだ……
永遠とずっと、と。未来と、夢と。後将来とか…そんな言葉全部ひっくるめて、俺達はあえて避けてきた。それを望めないと分かっていたから、だから避けてきた。本当は向き合わなければいけないって分かっていても。分かっていても、俺は。俺は…。
「ずっと、お前が好きだ…瀬戸口……」
目を、閉じた。瞳を見るのが怖かったから。その何よりも澄んだ蒼い瞳を見るのが、怖かったから。だから目を閉じて必死に。必死に耐えようとした。
今その瞳を見つめたら、俺はきっと。きっと全てから堪えきれなくなってしまうから。
「永遠に、お前だけを」
唇が睫毛に降ってくる。優しい唇。優しすぎる唇。お前が誰にも優しくて、そして誰にもその腕を広げるから。そんなお前が嫌いだった。嫌いで、悔しくて、でも好きだった。どうして、俺だけに優しくないの?って何時も勝手な事ばかり思っていたけれど。けれども気が付いた。
…お前が誰にでも優しいのは…何時しかお前が全てのひとの記憶から、消えてしまうからだと……
だからお前は、優しい。
全てのものを傷つけないようにと。
全てのひとがしあわせになれるようにと。
そっと。そっと、優しい。
こんなぼろぼろになった俺でも。
こんなにどうしようもない俺でも。
こんな俺でも、お前、優しいから。
優しいから、誤解するよ。優しいから…自惚れるよ…お前が俺だけ見てくれているって。
そんな訳ないのに。お前は誰にでも優しいのに。
誰にも優しいから、俺にもこんなにも。こんなにも優しいって。
こんなにも優しいって、分かっているのに。
知っているのに、諦めている筈なのに。振り切っているはずなのに。
それなのに何処かで。何処かで、願っている。何処かで祈っている。
―――お前が、俺だけを、見ていてくれるようにと。
「なぁ、その言葉何処まで信じていい?」
嘘は言わないお前。何時もその瞳は真実だけを見つめ、そして告げているけれど。お前の言葉に偽りなんて何処にもないけれど。それでも。
「俺何処まで、信じていい?」
それでも分かっている。それでも知っている。お前は消える。俺から消える。どんなに必死になって俺が捕まえても、お前は消える。俺の知らない場所へと。俺がいない場所へと。俺に植えられたお前の記憶とともに。こんなにも俺の全てに絡まれたお前への想いとともに。
「俺はお前には嘘は言わない」
言わないよな。愛してるって言葉も、好きだって想いも。優しい腕も、抱きしめてくれる力強さも、全部。全部、お前にとっては本物だろう。お前にとっての真実だろう。けれども。けれどもそれは全て。全て消えゆくもの。全てが何れここから消えてゆくもの。
「うん、そうだよな。お前俺には何時も本当の事だけを言ってくれる…それが叶わない事でも」
腕を伸ばし、その背中に抱き付いて。抱き付いてお前のその背中の広さを手のひらで確かめた。ぬくもりが皮膚越しに伝わる。その暖かさがもしも永遠だったら。変わらないものならば、こんなにも俺は我が侭にならなかったかもしれない。確かなものが手に入れば、こんなに子供じみた事も、訳の分からない癇癪も起こさなかったかもしれない。確かなものさえ、あれば。
「―――瀬戸口……」
滅多に顔の表情を変えなくても、それでも今お前が困っているのが俺には分かる。それを知っているのが俺だけだと言う事実が少しだけ心を満たした。こんな事でしか満たされない俺の心はやっぱり何処か歪んでるのだろう。歪んで壊れて、そして。そして堕ちるしか。
「愛しているがお前にとって永遠でも、俺にとっては永遠じゃない。お前が…お前が俺のこの気持ちすらさらってゆくんだからっ!」
壊れたら楽になれるのか?堕ちたら救われるのか?もうどうしていいのか分からない。何時も、何時も分からなかった。分かっているから…分からなかった。知っているから、知りたくなかった。
だったらずっと。ずっとだまし続けて欲しかった。真実すら俺に気付かせないで、夢を見させて欲しかった。刹那の想いでもよかった。一瞬の幸福でもよかった。それだけで埋められる瞬間と、何も残らない未来なら…気付かず全てを奪ってくれればよかった。
「何でだよ、どうしてだよ。俺からお前なくしたら…何も残らないのに……」
こんな葛藤ですら、こんな心の傷ですら、消えれば。俺の中からお前が消えれば、それでいいって想っているのか?消えさえすれば俺は満たされると想っているのか?それがお前の優しさなのか?
消えても。消されても、それでも消えないものがあるってお前…何で分からないのか?
「…それでもしあわせになって欲しかった…ってお前言うんだろう?」
好きだ。好きだ、好きだ。どうしようもない程にお前が好きだ。好きになりすぎてどうしていいのか分からない。分からない、分からない。答えなんて出やしない。
「優しいお前は、そう言うんだろう?」
このまま奪い去って欲しい。このままめちゃくちゃに壊して欲しい。きっとそれが。それが一番俺にとって必要で、一番俺にとって満たされる形なのだろう。それが。それが、何よりもきっと俺にとって。
「―――言わない…お前はそんな事を望まない」
抱きしめる腕の力が強くなって。強くなってそのまま。そのまま貪るように口付けられる。激しい口付けにこめかみが痛くなるほどに。俺は何時もそうだった。優しくされるよりもこうして激しく扱われるほうが…しあわせだと感じる。愛されていると、感じられる。
「お前が望む言葉は、これだろう?」
微笑う、お前。何よりも綺麗に、微笑うお前。その顔をずっと。ずっと見ていたいと想った。バカみたいに、子供みたいに願った。ずっとその顔だけを見つめていたいと。
「一緒に死ぬか、殺して欲しいか?」
うん、そうだよ。そうだよ、お前ちゃんと。ちゃんと分かっているね。分かって、いるね。その通りだよ。そのまんまだよ。だからね、だからちゃんと。ちゃんと俺を殺してね。お前を好きでいる俺を殺してね。そうしないと、俺忘れてしまう。お前を好きな気持ちを消されてしまう。お前が消える前に。お前がいなくなる前に、ちゃんと。ちゃんと俺の中にお前が消えないように。消えないように、殺してくれ。な、お願いだから。
「分かる?分かるよな。お前が俺の立場だったら、そう思うだろう?…いや、違うな。俺とお前の違いはただひとつ」
指先でお前の唇に触れた。さっきまでキスしていた唇。俺の唾液が残って、紅く艶やかだった。鮮やかに、紅い色だった。
…その紅い色を指先に永遠に刻み込んで、消えない痕を残してくれたら…しあわせ……。
きっと、何処にもない。何処にもない。
欲しいものは、何処にもない。永遠の探し物は。
やっぱり永遠に探し続けるから。だから。
だから決して、何処を探しても見つかりしはないんだ。
「俺お前死んだら生きていられないけど…俺が死んでもお前…生きてゆけるもんな……」
もしもたったひとつだけ、願いが叶うならば。
もしもたったひとつだけ、祈りが伝わるのならば。
想うことは、ただひとつ。ただひとつのことだけだから。
変わらないものがもしも。もしもあるのならば。
もしもしただひとつだけあるのならば。それは。
それは俺が願い、祈ること。ただひとつだけ。
ただひとつだけ、お前に差し出し。ただひとつ、お前に。
―――お前に魂を引き裂いてでも、見せたいもの……
「だから俺を、殺して」
埋めたい。お前に埋めたい、全部。
「お前を好きな俺を…殺して……」
俺の存在全てを。そして。そして俺に。
「ちゃんとお前を好きな俺を」
お前の全てを埋めさせて。全部、ぜんぶ。
「…お前を…俺から…奪わないで……」
ぜんぶ、ぜんぶ、おまえだけで。おまえだけで、うめて。
くるしくて、せつなくて。
それでもこいこがれ。それでも。
それでもくるおしいほどに。
くるうほどにもとめたおもいが。
――――ゆっくりと、俺の身体とこころを引き裂いてゆく。
「―――必ず殺してやる、だから微笑え」
「…来須……」
「俺がここから去る前に、俺がここから消える前に必ず。だから」
「…だからその時が来るまで…微笑っていてくれ……」
優しく髪を撫でる指先。それと反比例するようにきつく抱き寄せる腕。全部が本当のことで。全部が、本当のことだから。それが。それが何よりも俺を満たしてくれて。
「…約束……」
伸ばした指を絡めて。
「…ちゃんと、約束……」
そっと、絡めて。そして。
「…約束…してくれ……」
そしてただひとつ。ただひとつの。
「―――ああ……」
俺の首に見えない透明な糸がかけられる。
それは何時しか互いの血を吸い込み、紅く染まるのだろう。
紅い色で染まる、運命の糸。それが。
―――それがただひとつ。ただひとつ俺達の変わらないものへの約束になる。
END