目が覚めた瞬間に、今ここにある現実に気がついた。


世界は真っ白で、何もかもが失われて。何もかもが、なくなっていて。
内側から壊れた殻が地面に散らばったその瞬間に。その、瞬間に。
突然に気がついた。これが現実なのだと。こちら側が、現実の世界なんだと。



――――長い夢を、見ていた。その腕の中で、見ていた。ずっと、ずっと、見ていた。



愛していると言葉にしたのは一度だけだった。けれどもそれだけで、もう。それだけで、充分だった。それ以上言葉にしたらきっと。きっと壊れてしまう程の想いが、二人を傷つけずにはいられないだろうから。
「お前の手、本当に馬鹿みたいに大きいな」
重なって絡めあった指先。そこから伝わる暖かさでしか、俺は満たされる事はない。もう他のどんなぬくもりも、俺にとっては無意味なものでしかなくなっていたから。
「俺の手ですら…包み込んじまう……」
小さく笑ってお前を見上げたら、そっと目を細めて微笑ってくれた。滅多に顔の表情を変えないお前だから。だから、それだけで嬉しかった。それだけで、嬉しい。本当にこんな些細な事で満たされる自分が存在するなんて、夢にも思わなかった。
「でも、だからこんなにも」
「――――」
「こんなにも、安心…出来るんだよな」
繋がった手をそのまま頬に重ね。指の形を、暖かさを、感触を、感じ取った。目を閉じて、自らの世界をそれだけにして。それだけにして、感じた。
このままずっとと、ありえない現実を夢見ながら。このままでいたいと、叶えられない願いを想いながら。必死になって、お前の暖かさを感じた。



こちら側が、夢。今が、夢。
瞬きをしたら終わってしまう、夢。
それでも願う。それでも感じる。
ただ一瞬だけのぬくもりに溺れて。
ただひとときの優しさに溺れて。


目が覚めれば何もない現実が待っているのを分かっていても、それでも必死にしがみ付いている。


夢から覚めて、全てが失われても。
「名前呼んで、来須」
お前の声だけを聴いていたい。ずっと。
「―――瀬戸口」
ずっと耳の奥に残して、その声だけを。
「…もっと、呼んで……」
その声しかいらない。お前しかいらない。


「…瀬戸口…瀬戸口……」


その腕に抱きしめられて。きつく抱きしめられて。今この瞬間に俺という存在全てが消滅したらしあわせになれるのに。俺と名の付くもの全部が、世界の何処からも失われたならば。



お前に出逢ったのは現実。こうして抱きしめられたのも現実。でもそれはこちら側の現実。夢の中のリアル。今俺が目覚めたら全部、消えてしまうもの。全部、失われてしまうもの。それでも。それ、でも。
「お前の蒼い瞳も、その低い声も、柔らかい髪も、全部俺の中では本物だから」
存在自体が夢だった。お前事態が俺自身の都合のいい夢だった。そうする事にした。そう想う事にした。そうしなければ、俺は今。今この瞬間叫び出してしまうから。だから。
「お前の言葉も、お前の仕草も、お前のこの手も…全部……」
重ね合わせた唇の回数はどれだけだった？身体を重ねあったのはどれだけだった？どのくらいだった？それは俺という存在の中では本当にささやかな時間でしかなかったのに。なのに今はもう。もうそれ以外のものは思い出せないでいる。お前以外過ごした相手なんて誰一人思い出せないでいる。それは、幸せなことなのか？
「…全部好きだよ…来須……」
愛しているは一度しか告げない。もう、告げられない。そうしたら俺というちっぽけな器から、
全てが溢れて零れてしまうから。
必死になって閉じ込めているものが全て。全て溢れてしまうから。



目を閉じる。次の瞬間この瞼を開けた時は。
開けた時は、きっと全てが。全てが真っ白になっている。
真っ白になって、何もかもがなくなっている。
何もかもが失われて、俺はまた。また独りになる。
それでも探るものは、それでも辿るものは、ただひとつ。
ただひとつだけ。お前のぬくもり。お前の感触。


――――いつか。いつか、また。また、おまえに…あえる…かな？……





そして俺は独り目が覚め、現実の中にいる。瀬戸口隆之だった自分はもう何処にもいなくて。また別の身体に生まれ変わって、別の人生を送っている。それでも思い出すものはただひとつだけ。ただひとつだけ、だった。
もう何処にもいないお前のぬくもりと、お前の感触。耳元に残したお前の声と、そして俺という存在全てで刻んだお前自身の全て。
「…来須……」
時間は流れて、お前と俺が重なり合った一瞬は遥か遠い場所にいってしまい。ともにいた世界はもう何処にも存在しない。それでも。それでも、こうして。こうして瞼を閉じたその瞬間に。


剥がれてゆくもの、零れてゆくもの。壊れてゆくもの。
繰り返される再生の中で、俺は少しずつ消費し、歪んでゆく。
それでも。それでも狂わないのは。狂えないのは。
俺の至る場所に刻まれているお前がいるから。お前が、在るから。



夢の果てが、ある。俺にとっての夢の果てが。そこにいるのはお前だけだった。

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