不実な世界

世界の終わりの日。貴方がここにいればいい。それだけで、いい。


腕の中に抱きかかえた小さな命に、目の前の魔王はひどく優しい顔で微笑った。何も知らなければそれは本当に。本当にただの優しい笑みだった。本当に何も、知らなければ。
「もうすぐ世界の終わりが来るよ」
一面の廃虚がその背中越しに広がっている。それが今この世界の『本当の事』だった。頭で何度もシュミレートした虚像ではなく、今ここで現実にあるものだった。
「終わらせるんだ、今この世界は。僕がリセットを掛けるんだ」
何度も何度も時間軸を巡り、繰り返される命。何時もそれは終わりが約束されていた。死というものから逃れられない私達は、そうする事でかりそめの終焉を迎える。何時もそれの繰り返しだった。私達は運命に消費されるだけの駒だった。
「またやり直すんだ。やり直すんだ…舞がいる世界にまで戻って…今度は…今度は…っ!」
選ばれしヒーロー。選ばれし魔王。この世界の運命は彼によって決められる。正しいも間違えもなかった。彼が決めた事が絶対なのだ。彼が出した答えが、全てなのだ。

だから彼が今この世界を滅ぼすと言えば、駒である我々はただ。ただ滅びるしかない。

廃虚となった街。幻獣も人もいなくなって。誰も、いなくなって。ジェノサイドが今、彼の手によって実行された。ヒーローと呼ばれし少年の手によって、全てが滅ぼされた。
「…今度は…ちゃんと…ちゃんと僕が護るからね…護るからね…舞……」
世界の平和より、人の命より、この地上のあらゆる生命体よりも。その全てよりも、ただ独りの少女を選んだ。ただ独りの愛する人を選んだ。それだけの事。それだけの事が、星一つを滅ぼした。それを愚かと笑うのか、馬鹿だと絶望するのか、それとも憐れだと泣くのか。けれども彼はそのどれも望んではいない。どれも必要としてない。彼にとって必要なのはただひとつ。ただひとつだけ、だった。

――――ただひとりの少女。ただひとりの、愛した人。


風が吹く。砂埃を飛ばし、瓦礫の屑を散らばらせた。
「それが貴方の答えならそうすればいい」
その中に混じる生臭い血の匂いだけが、リアルだった。
「愛する女の為に、全てをリセットするならば」
彼の身体中に散らばった紅い色が。コンクリートと交じり合った紅の色が。
「そうすればいい、何もかも消してしまえるのならば」
それだけが、ただ。ただ今この場面を現実だと伝えているようだった。


「――――けれども消せないものも…あるのですよ…速水くん……」


腕の中の小さな塊は、まだ微かに暖かかった。こうして抱きしめていたから、ぬくもりはまだ残っている。こうして腕の中に、抱きしめていたから。
もう原型すら止めていないただの固体でしかないのに。いやもう個体ですらなくなってきている。腕の中でぬめり気を帯びてきているのが伝わるから。このまま液体になってそして。そして溶けてなくなるのは分かっている。分かっている。
「…消せないもの?僕に消せないものはないんだよ。だって僕はヒーローだから。そうだろう?岩田くん」
かつてヒーローと呼ばれた少年は、愛する者を失って魔王になった。自分が必死になって護った世界を、人々を全て壊した。少女が愛した世界を、壊した。
「だから全部、消すんだ。舞がいないなら、こんな世界僕はいらない」
何処にもいないから。この世界の何処を捜しても彼女はもういないから。だから、壊す。だから崩壊させる。彼にとって彼女のいない世界に存在理由はないのだから。けれども。
「そうですね、貴方には必要のないもの。もうこの世界は貴方にはいらないもの。でもね、速水くん。貴方には必要なくても…私にはこんな世界でも必要なんですよ」
例え運命が、世界の選択が、この崩壊だとしても。このジェノサイドだとしても、それでも私にとっては。私にとっては、何よりもこの世界こそが。この世界こそが、かけがえのないものだった。



『ひろちゃん、めーなのよ。そんな顔はしちゃ駄目なのよ』
貴方がゆっくりと、溶けてゆく。少しずつ溶けてゆく。それを止める事は私には出来ない。それが運命。それが世界の選択。
『大丈夫だよ、ののみは。ののみはこの世界の『いちぶ』になるからね。だからずっと』
それがこの世界の審判。これが、この世界の運命。全てを崩壊する道を、全てを滅ぼす道を選んだ。全てを終わらせる道を。
『ずっと、ひろちゃんと一緒だよ。ね、ずっと一緒だよ。だから、めーなのよ』
指先の形がおぼろげになってゆく。輪郭が歪んで、貴方が溶けてゆく。柔らかい頬の感触も、こうしてねっとりとした液体に変化して。貴方の真っ直ぐな瞳も、ただの硝子玉になってゆく。
『…めーなのよ…ひろちゃん…笑っていてね…ののみ、その顔が一番…一番大好きだから…』
それでも、これは貴方だ。これが貴方なんだ。私が抱きしめ慈しんできた、小さな命。ずっと触れていた小さなぬくもり。ただひとりの、貴方。

繋がれた指先だけがどうても離せずに、ずっと。ずっと握り締めたいた。
溶けてどろどろした液体になって、私の指を汚しても。それでも離せなかった。
ぬくもりが何処にもなくなっても。指の形が消えてしまっても。
繋いだ手だけは、どうしても。どうしても離せなかった。

小さな願いだけは、信じていた。全てのものを冷めた目でしか見られない私は、それだけは信じていた。信じたかった。
神など信じた事はない。自分自身すらも信じた事はない。この世の全てが世界の選択が決めた事だから。その手のひらで躍らされているただの憐れな駒でしかないと。ただの操り人形でしかないと分かっていながらも。分かっていたけれど、それだけは信じた。


――――ひとつだけ。ひとつだけ、お願いなの。ずっとののみの、そばにいてね。


そばにいよう。ずっと、そばにいよう。貴方がひとりぼっちで泣いたりしないように。ずっと私がそばにいる。ずっと、ずっと、貴方と一緒いる。
貴方が試験管の中で生まれた日から。貴方が初めて瞳を開けた瞬間から。貴方が初めて言葉を発した時から。私はずっと。ずっと貴方と共にいた。貴方だけを見てきた。だから一緒に。ずっと、ずっと、離れる事無く。
彼にとって彼女が全てだと言うならば、私にとっての全ては貴方なのだから。



「その塊が、岩田くんにとって必要なもの?」
私が抱えた塊を、貴方は慈愛の瞳で見下ろす。そう、何も知らなければ、それはまるで神が生みし生命体を見守るような瞳だ。何も、知らなければ。
「この塊の為に、世界を終わらせたくないの?」
綺麗な指だった。男のものとは思えない細くしなやかな指。それが私の腕に触れ、そして塊に…違う貴方に、触れようとする。
「幾ら貴方でも、これには触らせません」
「くすくす…言うなぁ、岩田くん。でもね。でも、それすらも僕のものなんだよ。この世界は僕のものだから、だからね…全部……」
手が、触れる。貴方に、触れる。血塗れの手が、今貴方に。そして。そして……。



「――――止めろっ!!!!」



ぐしゃりと、音がした。ぐしゃりと音が、して。
そして。そして貴方をその手が。その手、が。


――――ぎゅっとそのてが、あなたを、にぎりつぶした。



「ほら、なくなった。これで君も僕と同じだよ。大事なものが、なくなった」
そばにいてね。ずっとののみのそばにいてね。それだけでいいから。それだけで、いいの。
「同じだ。同じだ、同じだ。同じだ…ははははははっ!!」
なーんにもいらないから。だからね、ひろちゃん。えへへ、ひろちゃんがね。
「ははははははっ!滅びちゃえ、なくなっちゃえ、何もかも消えてしまえっ!!」
ぎゅっとね、してくれるのが。ののみをぎゅっと、してくれるのが。一番嬉しいの。


ずっと、だきしめていね。ののみがさびしくないように。ののみが、がんばれるように。





「うあああああああああっ!!!」





視界が、真っ赤に染まった。真っ赤に、染まる。ああ、そうか。そうか目に血が飛びこんだんだ。血が、目に。血、誰の血?誰の、血?
「…君に僕は殺せないよ…残念だったね」
ああ、これは私の。私の血だ。それと、彼の血。交じり合って、どろどろになって。そして。そして。
「まあどうせ、この世界は終わるんだ…少しだけ君の終わりが早くなっただけだよ」
声が遠ざかってゆく。何か言っているのに、聴き取れない。聴く事が、出来ない。何を。何を、言っているんだ?



「…この世界とともに…君も滅ぶんだよ……」



ともに、ほろぶ?このせかいと、いっしょに?
ああ、そうしてくれ。そうしてくれ。そうすれば。
そうすれば、いっしょだ。いっしょに、いられる。

…このせかいの『いちぶ』となった…あなたと、いっしょに……



ずっと、ね。ずっと、いっしょにいたいの。ののみは、ひろちゃんとずっといっしょにいたいの。それは、わがままなのかな?わがまま、かな?
でもね、ののみ。ののみ、ひろちゃんがいればがんばれるの。どんなことでも、できるの。だからおねがいです。おねがいです、ののみといっしょにいてください。



「…ののみ…いっしょに…ずっと…あなたと……」



指の隙間から見える世界だけが、私達の全てだった。貴方と私だけが、存在するこの世界だけが。後は全て、不実なもの。不実な、世界。



…貴方とともにいる、この世界だけが…私にとっては本当の事だから……


END

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