――――水の上に光が反射している。きらきらと、反射している。
何もかもを分かっていて、全てを理解していて。そして全てを諦めても。
それでもどうしても。どうしても、離せないものがあって。どうして、も。
頭の中で導き出された答えと、それを理解するだけの能力と。
それを持っている私は、誰よりも不幸だ。誰よりも不幸だった。
…もしも何も知らなかったなら。もしも何も分からなかったなら。そうしたならば、もっと……
小さな手が、ぎゅっと。ぎゅっと、服の裾を握り締めた。その力はどんなに強くても、その背中を止める事は出来ない。それでも掴んだ。必死になって、掴んだ。
「いかないで、ひろちゃん…いっちゃいやなの」
小さな頭がふるふると震えている。それは何よりも岩田にとって苦しいものだった。それでも。それでも自分はこの手を離さなければならない。そして微笑わなければならない。
それは今まで自分が築き作り上げてきた『道化の笑み』よりも、もっと。もっと滑稽なものになると分かっていても。
「…いっちゃ…めーなの……」
小さな命。作り物の命。大事なもの。何よりもかけがえのないもの。そして永遠に。永遠に手に入れられないもの。螺旋状の運命は二人を近づけ、そして必ず引き離してゆく。それが終わる事無く繰り返されるのを、何時から気付いてしまったのか。何時から互いは理解してしまったのか。
「―――行きますよ、ののみ。そしてまた…逢いましょう」
運命が選択したものに誰も逆らう事が出来ない。それが世界の心理だった。それが全てだった。どんなに足掻こうと、どんなにもがこうと、変える事は出来ない。変えられはしない。
「また、逢いましょう…私の愛しい人」
微笑う。一番哀しい顔で微笑う。それしか出来なかった。今の岩田には、それしか出来なかった。
きれい、だね。きらきらしていてきれいだね。
とってもきれいだから。だから、ね。だからののみ。
ののみ、ひろちゃんに見せたかったのよ。
ひろちゃんにだけ、みせたかったのよ。他のだれでもない。
だれでもない、あなただから…みせたかったの。
――――この世界で一番綺麗なものは…何よりも哀しいものだった。
繰り返される運命から逃れる事は出来なくて。
「…いやよ…ひろちゃん…ののみ…いやなの……」
どんなにもがいても、どんなに足掻いても。
「…いや…ひろちゃん…いや……」
それを受け入れる以外に。それに従う以外に。
「…いやだよぉ……」
私達がこの世界で生きる道はなかった。
死んで、繰り返し死んで。世界を渡り続けて、また。また貴方に巡り合う以外には。
大人になれない貴方と、世界の選択の駒でしかない私と。生かされ続ける貴方と、死ぬのが決められている私と。貴方が生き続ける世界で、私がまた生まれることでしか。そうする事でしか、貴方のそばにいられないのならば。
「最期に貴方とここに来れて良かった」
死ぬのは怖くない。ただ怖いのは貴方を独りぼっちにしてしまうこと。ただそれだけだった。泣き虫で小さくて、そして本当は誰よりも哀しい貴方を。
「一番綺麗だと貴方がいうものを…この世界で一緒に見られてよかった」
私が生まれ変わって再び貴方の前に現れる時、貴方は私を捜してくれますか?私はどんなになっても、貴方だけを捜すから。だからもしも。もしも私を忘れてしまっても、それでも貴方の前に現れる事を許してくれますか?
「…ひろちゃん…ひろちゃん……」
しがみ付く貴方を抱きしめるしか私には出来ない。もう、それしか出来ないけれど。けれども私にとって貴方だけが全てだという事は。貴方だけが私の希望だという事は…少しでいい、憶えていて欲しい。
本当は、分かっていることなの。ののみには、分かっていることなの。
ひろちゃんとはずっと、一緒にはいられないって。いられないんだって。
だってね、ののみは大人になるのを止められているけど。ひろちゃんは。
ひろちゃんは大人になってゆくから。だから、ずっとはないんだって。
あたまでは分かっていることなのに。でもね、でもいやだという気持ち、消せないの。
もうすぐこの世界の終わりがくるね。くるんだね、ってひろちゃんがいったとき。
こうしてさよならが来るのをちゃんと。ちゃんとののみは受けとめたはずなのに。
なのにどうして。どうしてこんなにも。こんなにもくるしいの?こんなにも。
こんなにも、くるしいの?こんなにも、かなしいの?
きらきらと光る水平線が、綺麗だった。本当に綺麗だと岩田は思った。目を細めてその光を見つめて。見つめて、そして腕の中の小さな命を抱きしめる。作り物でも、クローンでも、どんなものでも。岩田にとってはただひとつのものだった。ただひとつの大切なものだった。
「―――ののみ…必ず私は貴方を捜すから」
今存在する自分が。ここに存在している自分自身が、一番綺麗で一番大切なものをこうして抱きしめている。それは訪れる死と再生される命の中で、どんなになっても消せないものだと。どんなになっても、消えないものだと。それを証明するために。この想いを、証明するために。
「…ひろちゃん…捜してね…ののみを…見つけてね……」
だから今は。今はさよならを、しよう。決められた運命の中で、それでも確かにココに存在していたものを、証明するために。
「…みつけてね…待っているから…ずっと、ののみ…待っているから……」
もしも何も気付かなかったなら。もしも何も分からなかったなら。
そうすればこんなにも苦しく哀しくなかったかもしれない。けれども。
けれどもこんな風に想いの証明も、再び巡り合う希望も。何も。
何も、なくただ。ただ死ぬだけだった。ただ生まれ変わるだけだった。
END