ゆりかご

――――小さな命が、生まれる。


試験管の中で、少しずつそれは形になって。そして。
そして少しずつ形成されて。そして。そしてゆっくりと。
ゆっくりと皮膚が出来て、形が出来て。そして。

…そして大きな瞳が…私を、そっと、見つめた……。


大きな漆黒の瞳。真っ直ぐに私を見つめる瞳。
そこには曇りも穢れも何一つない。真っ直ぐな、真っ直ぐな瞳。
生まれたての、瞳。それがそっと。そっと、私を見つめる。
穢れなき無垢な瞳が、私を、見つめる。


手を、伸ばした。伸ばして、その硝子の管に触れる。
貴方に触れたくて、その冷たい硝子に触れた。
その瞬間、生まれたばかりの小さな手が。その手がそっと。
そっと私の手に、重なった。
重なって、そして。そして、微笑う。


――――貴方が、微笑う。その瞬間、私は消えない贖罪を首に掛けられた。



初めの一年は、試験管の中から出る事が出来なかった。出た瞬間にその身体が溶けて、蒸発してしまうから。常に水の中に浸かっていなければならなかった。
「の、の、み」
一年経って、上半身は水に浸らなくても良くなった。それでも貴方はこの特殊な液体を張り巡らされたプールから、出る事が出来なかった。
「違いますよ、貴方はのぞみ」
「ののみ」
口が聴けるようになって、声が出せるようになって。初めて貴方に教えたのはその名前。貴方に付けられた、名前。けれども貴方はそれをちゃんと言う事が、出来なくて。
「ののみ、なの」
「仕方ないですね…ののみ……」
貴方に付けた名前『望』。希望と言う意味で付けた名前、だった。これから先貴方を照らす未来が少しでも希望に照らされるようにと。ただひとつでいいから、綺麗な希望が与えられるようにと。
「ののみなの。ひろちゃん」
手が水の中から出てきて、冷たいけど暖かい手が私の頬に重なる。小さな手、小さな命。出来損ないで、不完成な命。それでも今。今こうして私の頬に触れている手には命が在って、そして貴方は生きている。
大きな瞳を真っ直ぐに私に向けて、そしてその命を刻んでいる。
「私は『ひろちゃん』ですか」
「ひろちゃん、ひろちゃん」
自分の名前よりも、私の名前を何度も。何度も貴方は告げて。何度もその口から私の名前を呼んで。私の名前だけ、を。
「―――ののみ…何時しか貴方を大人達の汚い打算で……」
何時までこうしていられるのか。何時まで『ふたり』だけでいられるのか。何時までこのまま。このまま穏やかな時が流れるのだろうか?何時まで私は、貴方のぬくもりに触れていられる?
「傷つけようとしても必ず、私が貴方を護ります」
ずっとと、永遠は、私と貴方にはない。そんなものは存在しない。私が作ったこの小さな命は、軍に差し出されるための実験体。クローンのひとつ。そして。

―――そして貴方の『完成体』が出来るのはもう時間の問題だ……

「…ひろ、ちゃん……」
貴方は出来損ない。失敗作。それを失敗作だと分からせない為に、必死で私はここに隠してきた。けれどももう。もうそれも時間の問題だ。隠し切れる事は出来ない。それならば。―――それならば、私が貴方に出来る事は……。
「貴方だけは、私の全てを懸けて護ります」
永遠を、諦めた。希望を、諦めた。願いを、諦めた。貴方の名前を『望』と名付けながら、私は。私は自らの手でそれをもいでしまうのかもしれない。それでも。それでも、私は。
「ひろちゃんと、ののみ」
それでも私は、貴方の命を。こうして懸命に生まれた命を。その命を護りたい、から。
「ののみと、ひろちゃん」
微笑う、貴方。そこにあるのはただ純粋な。純粋な『喜び』。純粋な笑顔。貴方と私。貴方と、私。今ここに。ここにふたりがいる、事が。
「ええ、ののみ。そうですね」
この時が永遠でないとは分かっている。それでも。それでも私はその瞬間、永遠を願った。



少しずつ物事が、分かるようになって。
少しずつ色々なことが、分かるようになって。
少しずつ本当の事が、見えるようになって。

そうして、気づいたこと。ののみと、ひろちゃんの、距離。


この薬を飲み続けなければ、身体が溶けてなくなると言われた。だから飲み続けなければならない。
「――――ひろちゃん」
本当は溶けてなくなってもいいと思った。このままなくなって消えちゃってもいいと思った。ひろちゃんが、いる世界で消えたいと思った。
「どうしたのですか?ののみ」
大きくなることは、出来なかった。大人になることは出来なかった。ひろちゃんがかけた魔法は、ののみを永遠の子供にすることだった。
「ひろちゃん、すき」
そうすればののみには、この薬が与えられる。子供のまま、生き続ければ。ひとが聴く事の出来ない声を、聴き続ければののみはずっと生きていられる。でもその為に。その為に、ののみは大人になることが出来ないの。
「…ののみ……」
「すき、ひろちゃんがすき。ののみは」
生きていなくてもいい。ずっと生きていなくてもいい。あなたが死んでもののみが生き残るなら、そんな命はいらないの。でも。
「ののみはひろちゃんの…およめさんになりたい……」
でもののみの命は、あなたが望んだこと。ののみ、知っているよ。ののみをこうして生き残らせるために…ひろちゃんが払った犠牲を。ののみは、知っている。
「ののみ」
「…いのちいらないから…おとなになって…ひろちゃんのおよめさんになりたい……」
ただ一度だけ。たった一度だけ、ののみは言った。最初で最後の本当の事を、ののみは言った。
「―――ごめんなさい…ののみ…」
そんなののみを抱きしめて。ぎゅっと、抱きしめて。あなたは、涙を流さないで泣いた。



貴方の望みを叶えたら、貴方に未来はない。
貴方を大人にしたら、後は廃棄処分として捨てられるだけ。
それでも。それでも貴方は、私に言う。


――――およめさんになりたい…と……


未来を諦めた。永遠を諦めた。しあわせを、諦めた。
全ての事を諦めて、私はただひとつの希望を。
ただひとつ、貴方という希望を。その希望をこの地上に残し。
この大地にただひとつの『望』を植える。


…それは貴方の『女』というものを…犠牲にして……


ゆりかごを、与えたかった。
貴方が眠れるゆりかごを。
そっと眠れるゆりかごを。

浸された液体の中でなく、優しく眠れるゆりかごを。


貴方が私を見た瞬間。あの試験管の中で、私の瞳を見た瞬間。
私は抱きしめたかった。抱きしめ、たかった。
貴方に人間のぬくもりを。ひとのぬくもりを、与えたかった。
この腕でそっと抱きしめて。命の鼓動を教えたかった。



「…私にとって貴方だけが…永遠のひとですよ……」



小さな身体を抱きしめて、そして。そして指を絡め合って眠る。
貴方のゆりかごになって、私は眠る。貴方を抱きしめて、眠る。




――――ただひとつの『望』を、この腕に抱いて……


END

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