貴方が生まれてきたことが、こうして生きていることが。
何よりもの、かけがえのないもの。何よりもの、切ないもの。
――――貴方がこうして生きて、そして存在している事。
真っ直ぐな大きな瞳が、何時も私を見上げていた。反らされる事なく真っ直ぐに、純粋なその瞳が。
「ひろちゃん、いつかね」
伸ばされる小さな手をそっと包み込んで、そのまま指を絡めた。伝わるのは、ぬくもり。そっと優しいぬくもりだけが、世界の全てになる。ふたりだけの、世界の全てに。
「いつかね、いこうね」
何処に?と聴こうとして、私はその言葉の先を止めた。貴方が行きたい場所ならばそれが何処であろうとも、私にとっても行きたい場所になるのだから。
「いつか…いこう、ね。しあわせになれる場所まで」
微笑う、顔。無邪気な子供の笑顔。この笑顔を護る為ならば、貴方を護る為ならば、私はどんなことでも出来るから。
小さな子供の言葉から零れるのは。
零れる言葉は、おとぎばなし。
ふわふわと甘くて、そして優しい。
夢のような。夢のような物語。
それが夢でしかないと分かっていても。
それがおとぎばなしでしかないと知っていても。
それでも、夢を見る。それでも、願う。
小さな子供の夢物語を、壊さないようにと。
この手で護れるようにと。ただひとつの。
だひとつの、小さな、小さな、願いを。
降り注ぐのは、目にも止まらないようなちっぽけな思い。
けれどもそれは。それは私達にとっては何よりもかけがえのないもの。
太陽がそっと地平線へと降りてくる。ゆっくりと空が赤く染まり、もうすぐ優しい夜が世界を包み込むだろう。全ての罪と傷を隠してくれる優しい闇が。
「そろそろ帰らないといけませんね」
繋いだ手は離さなかった。小さな指先が必死に私の手を握り締めるから、だからそれに答えるように私はずっとその手を握っていた。
「うん、分かっている。分かっているのよ。でもね、ののみ」
貴方が一番初めに探すものが私の手であれば。私のぬくもりであれば、本当に他には何も望みはしない。貴方が一番に探してくれるものが、私であれば。
愛しい存在。何よりも誰よりも愛しく、そして護りたいもの。どんなに私が道化になろうとも、どんなに私が深い罪を背負おうとも、貴方の笑顔と引き換えならば。貴方の笑顔のためならば、私はどんな事でも出来るから。
「ののみ、もうすこし…」
ぎゅっと、繋いだ手に力がこもる。そんな事ですら、私には。私には何よりも愛しく、そして何よりも苦しく。そして何よりも…切なく。
「もうすこし…ひろちゃんと…いたいよ……」
私達は端から見たらひどく滑稽に見えるだろう。幼い子供と奇妙な格好をした男。けれども私達は。私達は何よりも純粋な想いを持っている。
どこにもないものを、ずっと探しているの。
ずっと、ずっと、探しているの。
見つからないものを、探しているの。
だって、さがしている間はね。その間はね。
ののみは、独りじゃないって想えるから。
ののみは、ひとりぼっちじゃないって。
だから探し続けるの。どこにもないものを。
あなたと、わたしが、いっしょにいられる方法。
ずっといっしょにいられる方法。ののみが、おとなになれる方法。
絶対にないって分かっているの。絶対に叶わないって分かっているの。
でも、ずっとね。ずっと探し続けるから。探す、から。
子供のおとぎばなしでも、子供の夢物語でも。
ひろちゃん、ずっとね。ずっと、好き。
きっとこれが『えいえん』なんだろうね。
この気持ちが、えいえんなんだろうね。
だってののみ。ののみ、貴方以外考えられないから。
ねえ、ひろちゃん。いつか、探しに行こう。
いつか、探しに行こうね。ふたりで、いつか。
しあわせになれる場所を。しあわせになれる場所まで。
いこうね。いつか行こうね。それが何処にもなくても。
何処にもないから、いつかふたりで。
―――ふたりでその場所を、作ろうね。
「私も貴方と、ずっといたいです」
それは夢で、そして願い。叶わない夢物語。それでも。それでも口にせずにはいられない事。口に出さずには…いられない事。
「ずっと貴方といたいです」
例えそれが、どんなに切ない希望でしかなくても。
「―――ずっと貴方と……」
永遠の場所。ずっとふたりで。ふたりだけでしあわせになれる場所。
この世の何処にもそれがなくても。何処にも、見つからなくても。それでも。
それでも私達は望み、願う。ただひとつの想いを込めて。
――――しあわせになれる場所、を。
END