目覚めた瞬間、広がったのは一面の花びらだった。
白い花びらが一面に降り注ぐ。それはひどく綺麗で。綺麗で哀しかった。白い花びらの甘い薫りが、哀しかった。
「ひろちゃん、あげる。いっぱいあげる」
小さな手のひらにたくさんの花びら。その手のひらが私の頭上に持ち上げられ、指の隙間から白い花びらが零れた。ひらひらと、零れた。
「いっぱい、あげるのよ。花びら、いっぱい」
むせかえるほどの甘い匂いが一面に広がり、無邪気に微笑う貴方の子供のような笑顔に。その笑顔に私は涙が零れるのを止められなかった。
最初は、透明な水。試験管の中で生まれた貴方。
透明な水の中で貴方の大きな瞳が私を見上げて。
見上げてそして。そして微笑った。
――――そこにあるのはただひたすらに、純粋な綺麗な瞳だった。
そして最期は白い花びらだった。真っ白な花びらだった。
私達はただずっと。ずっと、指を絡めあっていた。
絡めあって、見つめていた。その白い花を。真っ白な花を。
永遠に続くと思われるような、むせかえる程の白い花を。
夕日に白が溶けてゆく。紅い色に白い花が溶けてゆく。
それをただひたすらに見つめて。見つめて、指の。
絡めた指先のぬくもりを、感じることが全てだった。
「―――ののみ…貴方の指の形……」
手を伸ばし、頭上にある手を掴んだ。そしてそのまま指先でカタチを辿る。柔らかい子供特有の滑らかな肌を。木目細かい弾力のある手のひらを。
「こうして私の指先で全部覚えておきますね」
「うん、ひろちゃん」
ちょこんと私の前に座ると、上半身だけ起こした私を見上げた。大きな瞳。大きな瞳、だった。この世のどんなものよりも私にとって綺麗なものが、貴方の瞳だった。
「ちゃんとののみのこと、覚えていてね」
手のひらを全てなぞって、貴方の髪に触れた。左右に結ばれているリボンをそっと解いて、その髪を撫でた。貴方の髪を、撫でた。
私達は永遠の呪縛から逃れられない。
どんなにそれを絶ち切ろうとも逃れられない。
繰り返し、繰り返し、巡る運命。
目覚める事の無い悪夢。永遠の、夢。
私達はただ。ただ繰り返す事しか出来ない。
――――それでも捜し続けるものはただひとつ。ただひとつ…貴方だけ……
また、終焉が来る。再生されるその瞬間まで、私達は引き裂かれる。
「次ひろちゃんに逢えるのは、いつかな?」
時間軸を巡り、そして。そして次の世界に再生され。再生されるまで。
「それまでにののみ…大人になれる、かな?」
貴方は生かされる。声を、聴くために。この大地の、星の声を聴くために。
「…大人になって…貴方と一緒にいられる、かな?」
私が時間軸を巡り、次の世界に旅立っても。旅立っても、貴方は。
「…そうしたら…ひろちゃんのお嫁さんになれるよね……」
そこに、いる。ここに、在る。子供のまま永遠に、独りぼっちで。独りぼっちで残される。
「…お嫁さんに、なれるよね……」
抱きしめる。小さな身体を抱きしめる。この世界でも許されなかった。許される事は無かった。それでも繰り返される命の再生の中で、私は願わずにいられない。何時の日か。何時の日にか、と。
「――――ののみ…何時か…きっと……」
生まれる命。死にゆく命。貴方はそれをずっと見てきた。その大きな瞳でずっと、見てきた。私が消えゆくのも。私が死にゆくのも、何度も何度も。
それでもずっと、捜してくれた。私だけを…捜してくれた……。
次の世界で私はどの姿で再生されるのかは分からない。このままかもしれないし、全く別の人間として再生されるかもしれない。それでも。それでもこの記憶だけは持ってゆくから。
「…きっと…貴方とともに死ねる日が来ると信じています……」
この小さな少女を愛した記憶だけは。どんなになろうとも。どんなになって、も。
だってこの指が覚えている。全部、覚えている。
貴方のカタチを。貴方の指の、輪郭のカタチを。
「一緒に、生きて、一緒に死ぬ。へへへ、そうなるといいね」
指を絡めて、約束をする。この世界の最期の約束。
そして次の世界でまた巡り合うための約束。巡り合うための。
小さな指先から零れるぬくもりは、ただひたすらに哀しく。
哀しく、そして苦しいものでしかなくても。
――――それでも、約束をする。貴方と私が…何時かまた巡り合えるために……
「ひろちゃんの身体にいっぱい白い花降らせてあげるからね」
「…ええ、ののみ……」
「いっぱい降らせてあげるから…淋しくないよね」
「…違う場所に行っても…淋しくないよね……」
貴方の方がずっと。ずっと淋しいのに。
貴方の方が私よりも、ずっとずっと。
それでも貴方は微笑って、私の頭上に降らせる。
――――白い、花びらの雨を……
そして時が来る。私がこの世界から消える瞬間が。
その後に何も残らなくも。残らなくても。
それでも貴方の心の中に私がいる限り。私が在る限り。
…またきっと…巡り合えるから…また…逢えるから……
END