Rainy Day

コンクリートを打ち付ける、激しい雨の音。

ザアザアと、線のような雨が降り続ける。その雨を見上げながら、萌は小さくため息を付いた。その零したため息が白く見えた事が、彼女の小さな身体を震わせた。
「…寒い、ね……」
店先の屋根の下にしゃがみ込みながら、腕の中の小さな命に向かって萌は言葉にした。本当はこんな時に自分は言葉を紡ぐ事はないのに…それなのに今は少しだけ。少しだけ弱気になっているのかもしれない。
――にゃあ、と。まるで萌の言葉が分かるように、その小さな命は腕の中で鳴いた。少しだけ力を強めて抱けばぬくもりが伝わってきて、暖かかった。
「…うん…お前がいるものね……」
小さな命。暖かい命。それがこの腕の中にあって、そして生きている事。それが何よりも萌の心を暖かくする。あたたかく、する。
目を閉じて小さな命の鼓動を感じる。そうする事で実感する。
―――私は独りではないのだと。


ずっと、独りだった。
廻りは全て自分を傷つけるものでしかない。
自分を傷つけ、そして壊すものでしかない。
だから廻りから逃げたの。私の世界に逃げたの。
だって私の世界は誰も傷つけはしないのだから。
私の中では誰も傷つけはしないのだから。

―――もうすぐ、世界の終わりが、来る………

コンクリートを激しく打ち付ける雨の音。その音から逃れるように萌は腕の中の、命の音に耳を傾ける。こうして。こうして下界から遮断した自分だけの世界に逃げ込めば、何も怖くはないのだから。誰も傷つけはしないのだから。
―――誰も、私を傷つけはしないのだから。


もうすぐ世界の終わりが、来る。
私の中の世界が壊される。
それは。それは、そっと壊されてゆく。


「―――どうした?こんな所で」
頭上から降ってくる声に初めて。初めて萌は自分の目の前に立っている男の存在に気が付いた。ぱらりと、何処かで殻のようなものが壊れる音が、した。
「…来須……」
名前を、呼ぶ。呼んでみてから後悔した。胸の中にどうしようもない程の切なさが広がって。じわりと、広がって。ひどく胸が苦しくなったから。
「雨宿り」
「―――そうか……」
顔を見ているのが苦しくなって萌は俯いて、腕の中の猫に視線を落とす。その途端ぽたりと、頬に雫が当たった。それを感じてもう一度萌は顔を上げる。その瞬間、やっぱり萌は後悔をした。
「…あ……」
来須の金色の髪から零れるのは冷たい雨の雫。何時も被っている帽子にも大量の水が吸い込み、肩も服も水で濡らしていた。
「…傘、は?……」
自分の腕の中にはこの小さな生き物がいる。こうして暖めてくれている。でも。でも目の前の彼はずぶ濡れで何も持ってはいなかった。それがひどく。ひどく萌の心を淋しくさせた。
「忘れた。こんなに降るとは思わなかった」
「…そう……」
それ以上の言葉を言う事が出来なかった。本当はもっと。もっと気の効いた言葉が言いたかったのに。寒くない、とか。どうして濡れているの?とか。―――隣に…来る?とか……。どうして私は普通の女の子のように、そんな些細な言葉すらかけられないのか。
「寒くないか?」
「―――平気………」
どうしてその後に、貴方の方が寒いでしょう?と言えないのか?どうして私は何時も言葉が足りないのか。言いたいのに。貴方にだけは、言いたいのに。
「そうかお前には、こいつがいるな」
腕の中の猫に気付いて、来須はその頭をそっと撫でた。ごろごろと嬉しそうに懐く猫の様子を見つめながら、萌は無意識に口許に笑みを浮かべていた。優しい笑みを、浮かべていた。本人ですら自覚のないそれを来須は決して見逃しはしなかった。
「お前は」
「……」
「いや、何でもない。隣いいか?」
言われてこくりと頷いた。頷くのが今の萌には精一杯だった。それでも。それでもそんな萌に来須はひとつ、優しい笑みを浮かべた。
ザアザアと、雨は降り続ける。止む事無く、打ち続ける。でも少しだけ萌はほっとした。この雨が降り続けている限りは、来須のそばにいられるから。そして。そしてこの雨が激しければ激しいほど、自分の高鳴る胸の鼓動が聴こえる事はないのだから。


ぱらぱら、と。
雨は空から零れ続ける。
何時しか世界を覆って。
そして包まれてしまったら。

そうしたら最期の瞬間、貴方のとなりにいられるね。


「行くか?」
「え?」
萌が疑問符を投げかける前に、その手を引かれた。雨は何時しか小ぶりになっていた。けれども空は真っ黒で、これ以上今日は止む気配を見せなかった。
「このままでは埒があかない」
「…あ……」
ふわりと萌の頭に来須の上着が掛けられる。濡れてはいたけど、雨を防ぐには充分だった。
「ないよりマシだろう?」
「…あ…あの…」

「……ありが…と…う………」

その言葉は声としては最期まで来須には伝わらなかった。けれども。けれども確かに。確かに伝わるものがあったから。言葉ではなくても伝わるものがあったから。
「―――ああ…行くぞ」
繋がった手がひどく熱い。そこだけが別の生き物のように火照っている。ただ萌は。萌は今だけは自分の手が緊張で汗ばんだりしないようにと、祈るだけだった。


小さく震える肩を、ただ。
ただ抱きしめて、そして。
そして暖めたかっただけだった。

大切なお前を、凍えさせたくなかっただけだった。


無造作に投げられたタオルに、萌は濡れた髪を拭く。連れて来られた来須の部屋はひどく無機質な印象を与えた。上手くいえないけれども…そこに『生活』が感じられない。必要最小限のものしかないせいもあるだろうけど、それ以上に何か、ひどく生活感のない部屋だった。
「お前はこれでいいか?」
「にゃー」
皿に乗せられたミルクを黒猫は満足そうにぺろぺろと舐めた。前足が引っかくように動いているのが妙に可愛かった。
自分は濡れ鼠のままで来須はバスタブにお湯を入れて、萌用にホットミルクを用意して初めて。初めて、自分の身体を拭き始めた。
「風呂沸かしたから、入ってこい」
バスルームを指差して言う来須に萌は首を横に振った。そして勇気を出して来須の前に立つと、彼に聴こえるような距離で声を出した。
「…私平気…だから…来須…入ってきて……」
どんなにずぶ濡れになっても、自分を優先してくれる人。猫を優先してくれる人。来須にとって何時も。何時も自分自身は最期だから。どんな時でも、最期だから。
「駄目だ、こんなに濡れている」
大きな手が伸びてきて、そっと頬に触れた。それだけで萌の頬は熱くなる。来須に触れられた個所だけがとくんとくんと音を立てながら、熱くなってゆく。
「…平気…だから……」
どう言えばいい?どう伝えればいい?貴方が風邪を引いてしまったら嫌なの。貴方が私の為に、どうにかなってしまったら嫌なの。どう言えば、いいの?どう言えば…伝わるの?
「…へい…き……」
瞬きをしたら、水が零れてきた。それは。それは雨の雫じゃない。それは暖かいもの、だった。
「――――」
「…平気…だから…来須……」
零れて来る、ぽろぽろと、零れて来る。私がこころに閉じ込めそして沈めてきたものが、溢れてくる。止めたいのに。止めたい、のに。それは次から次へと溢れてきて。
「…貴方が…貴方が……」
…止める事が、出来なかった……。


震える細い肩。
小さい、身体。
この腕に閉じ込めたら。
閉じ込めたらきっと。
きっと、もう誰も。
誰にも見えないだろう。


「―――好き、だ……」


萌が頭上から降ってくる言葉の意味を確かめる前に。その前に、唇がそっと触れる。そして。そして温かい腕が、その身体を抱きしめた。

「…あ……」
「…お前が…好きだ……」
「………」

「…は…い……」


ぎゅっと細い腕が背中にしがみつくのが分かる。それを何よりも愛しく思いながら、来須はその身体を包み込んだ。冷たい身体だった。凍えている身体だった。そこに体温を、ぬくもりを与えたくて。与えたかった、から。
―――冷たい身体に、ぬくもりを与えたかったから。
「…寒いか?……」
「……はい……」
広い胸に顔を預け目を閉じる。とくんとくんと聴こえる胸の鼓動が少しだけ早く感じるのは萌の気のせいではないだろう。そしてそれ以上に高鳴っている胸の音を、きっと貴方は気付いているのだろう。
「…寒い…来須…私は……」
必死になって顔を上げて来須の顔を見つめて。見つめて、そして萌は瞼をそっと閉じた。


ずっと、寒かった。
ずっと、凍えていた。
身体もこころも、ずっと。
ずっと独りで、凍らせていたの。
傷つくのが怖いから。もう傷つきたくないから。
全てを遮断して、全てを拒絶すれば。
誰も傷つけはしないでしょう?

―――もうすぐ世界の終わりが、来る……

でも何処かで待っていた。
膝を抱えて自分の世界に閉じこもる私に。
そっと手を差し伸べてくれるひとを。
その空を打ち破ってくれる人を。
足許から凍えている私を、そっと。
そっとあたためてくれるひとを。

……私はずっと…待っていた………


「―――怖い、か?」
ふわりと身体を抱き上げてからベッドの上にそっと降ろした。そして濡れた服をゆっくりと脱がしてゆく。決して焦る事無く、ただひたすらに優しく。
来須の言葉に萌はただ首を横に振った。怖いものなんてもう何もなかった。何があろうともその大きな手が、広い腕が自分を抱きしめていてくれるから。どんなものからも護ってくれるから。
「…そうか……」
それ以上来須は何も言わなかった。そっと唇を塞いで、大きな手を華奢な萌の身体へと滑らせる。肉のない痩せた身体だったが、それでも来須には何よりも愛しいものだった。
「…んっ…んん……」
不器用に逃げ惑う舌を優しく絡め取りながら、萌の肌に手が触れる。来須の愛撫が与えられる度に萌の肌はうっすらと赤みを帯びてきた。さっきまでは死人のように青白く冷たい身体だったけれど。今はこうして。こうして少しずつ熱が灯されてゆく。
「…はぁっ…ん……」
来須の手には余ってしまう程の小さな胸を揉むと、腕の中の身体がぴくんっと震えた。それを何よりも愛しく思いながら、揉みほぐしてゆく。尖った乳首を指の腹で転がしてやれば、耐えきれずに背中に廻した腕の力が強くなる。
「…あっ…あぁ……」
唇を離して、胸の果実を舌で触れた。ピンク色だったそれが、触れることによって紅く熟れてゆくのが分かる。人差し指と中指でぎゅっと摘んでやれば、びくんとっ身体が波打った。
「…あぁん…はぁっ……」
両の胸を口と指で支配されて、萌はがくがくと身体が震えるのを押さえきれなかった。初めて他人に触れられるこの行為がもたらす感覚に、睫毛を震わす事を止められなくて。
「…ぁぁ…あ……」
普段声の出せない、上手くしゃべれない筈の自分が。そんな自分がこんなに声を零してしまう事が。こんな風に声を上げてしまう事が。ひどく不思議な感覚だった。


「―――ああんっ!」
膝を立てられ、一番奥の場所に指が触れられる。初めて触れられた瞬間、電流が走ったのを忘れない。
「…あぁ…やあ…んっ……」
逞しい指が萌の中へと侵入してくる。けれども決してそれは強引な行為ではなかった。優しく。とても優しく、萌を傷つけないようにと細心の注意を払って。
「…あぁ…あん…はぁっ…ん……」
萌の一番感じる個所に触れた途端、そこからとろりと液が分泌された。それを感じとって来須はソコを重点的に攻める。剥き出しになったクリトリスが痛い程に張り詰めるまで。
「…ああ…あぁ…もぉ…っ……」
指先が滴るまで濡れるのを感じて、一端来須は指を離した。そしてその代わりに充分に硬くなった自身を入り口に押し当てて。
「―――いいか?……」
耳元に囁かれた言葉に、萌はこくりと小さく頷いた。


触れ合った、ぬくもり。
分け合う、体温。
その全てが。その全てが。
ひどく、愛しいものだから。
何よりも大切なものだから。

―――もう…私…独りじゃないよね………


中で何かが引き裂かれるような音がした。それとともに激しい痛みが萌を襲う。けれどもその痛みに必死で耐えた。そう、この痛みは。この痛みはきっと。きっと自分の世界が終わりを告げた痛みなのだから。自分の殻に閉じこもって下界から遮断していた自分の世界の、世界の終わりの悲鳴だから。そして。そしてその後に待っているものは…。
「―――あああっ…あぁぁ……」
熱いモノに身体を貫かれ、隙間なく埋められる。そう、隙間なく。心の隙間すらも全て生める熱さと激しさが、萌の中へと入ってゆく。
ズズズと、奥へと侵入するたびに萌のソコからは紅い血が流れていた。それがシーツの上に広がって紅い華の跡を残す。けれども来須は動きを止めなかったし、萌も止めて欲しいとは決して思わなかった。
全てを壊して欲しい、と。今までの自分の閉じこもっていた世界を、そして殻を壊して欲しいと。
「…ああああんっ…はぁぁ……」
背中にしがみ付く腕の強さが。縋り付く身体が。喘ぐ口許が。全てが、愛しくて。そして愛しているものだから。来須にとって何よりも護りたく、そして何よりも大事なものだから。
「―――ああああっ!!!」
最奥まで貫くと、そのままその中に欲望の証を流し込んだ。


――――世界の、終わりが来ても……


目覚めた瞬間に飛び込んできたのは、何よりも優しい蒼い瞳だった。そして。そして自分の身体をそっと包み込んでくれる、温かい腕の感触。
「―――おはよう……」
それだけ、だった。他に来須は萌に言葉を告げはしなかった。けれども。けれどもそれで。いやそれが何よりも。何よりも暖かいものだと言う事は、萌には分かっていた事だから。
言葉よりも確かなものを自分は、彼から手に入れたのだから。
「…おは…よう……」
少しだけ頬を染めながら、萌は微笑った。それは少女の暖かい笑みだった。


耳元から聴こえるのは小さく鳴く猫の声と。
そして。そして貴方の命の音。
私の世界が終わって、そして初めて聴いた音と。
そして初めて見たものは。

優しい命の音と、そして暖かい光でした。

 


END

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