とおいばしょ
――――ここではない、どこかへ。
遠くへいきたいな。誰も私を知らない場所へ。
誰も私を…知らないところへ。
そうしたらきっと。きっともう淋しくないから。
だってもう誰も、いないから。誰もここにはいない、から。
コンクリートの破片が風に吹かれて、宙に舞う。けれども重みのあるそれは、すぐに剥き出しになった大地の上に落ちていった。小さな破片を散らばしながら。
「…皆…いないのね……」
まだ生暖かい血の匂いが風に混じって、鼻孔にこびりついてくる。けれどももう。もうその香りにすら何も感じるものはなかった。ただそれが『血の匂い』だと認識をするだけで。
「…いない…のね……」
不思議だった。不思議と気持ちが言葉になった。気持ちが声になった。普段ならどんなに心で思っても声に出す事が出来なかったのに。ただ一言を告げるのにあんなに必死になっていたのに。今は。今は言葉は簡単に、口から零れて来た。
――――お前は、生きろ…生きてくれ……
耳から消えない言葉。消す事の出来ない言葉。
真っ直ぐな蒼い瞳が、一度だけ優しく微笑って。微笑って、そして。
そして全てが消えていった。皆、消えていった。
幻獣も、人も、竜も、鬼も。
全てがこの地上から消え去り、そして残されたものは。
残されたものは無数の死体と、壊れた大地。そして。
そしてジエノサイドにすら見捨てられたちっぽけな私。
全ての生けとし生ける者が滅びる中で。そんな中ですら見向きにされなかったちっぽけな命。
生きろと、貴方は言いました。生きてくれと、貴方は言いました。
それしかしてやれないからと。それしか俺にはしてやれるものがないからと。
だから生きろと、生きてくれと言いました。
「…来須……」
この地上を、人間を、全ての命を護るために戦った貴方。私を護るために戦ってくれた貴方。でも私は。私は貴方と引き換えにまで生きていたくはなかった。貴方のいないこの世界でひとりぼっちにはなりたくなかった。
「…いや……」
貴方がこの世界に生きているのなら、独りぼっちでも構わなかった。どんなに遠い場所でも貴方がこの世界で生きているのならば。私は独りでいられた。独りで、いられるのに。
「…いや…独りは…いや……」
傷つくのが怖かったから。もうこれ以上傷つきたくなかったから。だから誰にも近付かなかった。人の輪に入ってゆく事が出来なかった。けれどもそんな私に貴方は気付いた。気付いてくれて、そして。そして手を、差し伸べてくれた。
「…いやだ…よぉ……」
私の手をすっぽりと包み込んでしまう大きな手が、そっと。そっと私の手を包み込んでくれた。微かな隙間からも零れないようにと、包み込んでくれた。そうして小さな私を貴方の大きな身体が、隠してくれたから。
だから私は怖いものが、なくなった。傷つけるだけの世界が、私には怖いものではなくなったのに。
なのにもう。もう貴方は何処にもいない。私を傷つけた世界は滅びた変わりに、貴方を失ってしまった。失って、しまった。
――――とおいばしょに、いきたい……
ここではないどこかへ。ここではない場所へ。
誰も私を知らない場所へ。私が何処にもない場所へ。
だってここにはたくさんの。たくさんの貴方が残っている。
たくさんの想い出と、たくさんの気持ちが残っている。
だからここに。ここにはいたくない。いたくないの。
貴方がいないから。貴方が何処にもいないから。それならば何も知らない場所にゆきたい。
誰も知らない場所へ。貴方も私も知らない場所へ。
そうすればもう。もう淋しくないよね。
独りぼっちでも。独りぼっちでも、淋しくない?
――――生きろ、石津…俺にはそれしか…お前にしてやれるものがないから……
嘘、嘘よ。そんなの嘘よ。淋しい。哀しい、苦しい、切ない。
貴方がいない世界は。貴方が私の世界にいないのは。貴方が、いないのは。
淋しくて、苦しくて、哀しくて、切ない。今にも。今にも壊れるほど。
壊れしてまうほど、怖い。怖くて、怖くて、堪らない。
「いやああああっ!!!」
声を上げて、叫んだ。こめかみが痺れるほどに叫んだ。悲鳴を上げて、そして泣いた。泣きじゃくった。気が狂うほど叫んで、叫んで、そして。そして声が枯れるまで。
今までどんなに哀しい事があっても、泣けなかったのに。今までどんなに苦しい事があっても、叫ぶ事など出来なかったのに。今は。今は喉が枯れるほど。喉が枯れるくらいに、叫び泣きじゃくっている。まるで生まれたての赤ん坊のように。
「…うう…うあ…ああ…来須…来須…あああ……」
遠くへ、いきたい。貴方のいる場所まで、いきたい。
ここではないどこかへ。貴方がいるその場所まで。
…指を、絡めて。そっと手を包み込んで。それだけでいいの。それだけで…いいから……。
貴方が残してくれたもの。それがこれならば。この想いならば、私は。
私は…何処にもいけない。何処にもゆく事が出来ない。貴方の想いが、ここにある限り。
END