I For You

―――君は俺の、運命のひと。

巡りゆく時間の中で。
流れゆく時の中で。
手のひらから零れてゆくものを。
零れ落ちてゆくものを。
必死で、手繰り寄せた。

……それは小指に絡まった、細く紅い糸………


漆黒の長い髪に顔を埋めて、そして。そして眠ることが出来たのならば。それだけで何も、何も、いらないと思った。
「…どうしてでしょう?わたくしは貴方を見ていたら…哀しくなります……」
そっと震えながら腕が背中に廻される。そんな彼女の華奢な身体を抱き寄せて、その長い髪に顔を埋めた。
「何で、こんなにも哀しいのでしょうか?」
探し続け、求め続けたただひとりのひと。こんなにも身近にその存在はあったのに俺の目は想い出に曇り見えなくなっていた。
―――こんなにも君は、俺のそばにいたのに……
「…どうして?……」
零れ落ちる涙を指先で受け止めながら、そっと君の唇に触れた。その切ないほどの甘やかさに…俺の方が、泣きたくなった。
口付けるだけで胸が震えて、そして締めつけられるように切ない。このまま声を上げて泣いてしまいたいと思うほどに。
「俺も、哀しい」
哀しいよ。君が哀しいくらいに綺麗だから。切ないよ。君が切ないくらいに綺麗だから。
「…君にこうして、触れているだけで……」
髪から香る微かな匂いと、暖かい華奢な身体。その全てが俺にとって、苦しいくらい愛しいもの。


――――絡みあった、運命。
無数の糸が俺達の身体に複雑に絡み合う。
その中でただひとつの。
ただひとつの紅い糸だけを辿る。
今にも千切れそうなその細い糸を。
それだけが俺にとって唯一のもの。
それだけが俺達にとって唯一の絆。
このただひとつの紅い糸が。

……俺達を結ぶ…唯一のもの………


「貴方の顔をよく見せてください」
白く細い指が、俺の頬に触れる。暖かい手、だった。君の心を伝えるかのように。
「―――見せてください…」
蒼い瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。揺るぎ無い視線、反らされることのない視線。そうだね君は…君は何時も前だけを見つめていた。
―――その蒼い瞳に映る俺の顔は、今どんな表情をしている?
「貴方の髪を、貴方の瞳を、貴方の鼻筋を、貴方の唇を、貴方の輪郭を」
言葉を呟くたびに、その個所に君の手が触れる。指先で全てを記憶するように。指先で記憶を辿るかのように。
「……わたくしの記憶が…指先で…蘇ればいいのに……」
記憶、君の昔の記憶。遠い遠い昔の記憶。それが俺にとって何よりも今を曇らせたものだった。あまりにも綺麗過ぎる記憶が、あまりにも切なく甘い記憶が、今目の前の君の存在を曇らせた。こんなにも君は、俺の近くにいたのに。
大事な想い出だった。どんなものにも変え難い想い出。死んだ人間は生きている人間には決して勝てない。それ以上俺の前に醜い記憶を、イヤな記憶を植え付けることがないからだ。
―――だから死人には、勝てはいない。
けれども俺は今こうして生きているし、苦しみも哀しみもこれから先受け入れてゆかなければならない。生きている、限り。
そして。そして生きているからこそ…何時までも綺麗な思い出の中には…いられない。
「―――記憶なんて…戻らなくてもいいよ……」
想い出は、想い出以上にはなれない。これ以上穢れる事はなくても、これ以上何かを生み出すことはない。これ以上前に進むことは出来ない。
「いいよ、戻らなくても」
―――先に進むことは…出来ないのだから……


今俺の目の前にいるのは君。
他でもない君。
愛しい人の生まれ変わりでも、それでも。
君は、君なんだ。
だからこそ、これからは。
これからは君とふたりで。
君と俺で想い出を作ってゆきたいから。

―――君と、ふたりで……


「…戻らなくて、いい…これから…」
「…これから?…」
「…新しく君と…作ってゆけばいい……」

「これから、ふたりで」


君と歩く未来が決して綺麗なものではなくても。
君と繋がってゆく先が決して優しいものではなくても。


俺の言葉に君はこくりと小さく頷いた。
その髪をもう一度撫でて、そして。
そして俺は微笑った。
見つめあいながら、微笑みあった。


――――ふたりで生きて行こう、と。君と誓いあいながら……




END

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