微笑み
控えめなお前が、ふと。ふと微笑った。
はにかむように、少しだけ戸惑って。でも。
でも俺を見上げて、そして。そしてそっと、微笑った。
俺はちっぽけで頼りないけど、それでもお前…護りたい。
私の扉を開けてくれたのは、貴方の手でした。閉ざされた無数の扉の中で、ただひとつ開かれた扉。そこから差し出されたのは貴方の手。ただひとつの、貴方の手。
「顔、上げろよ。その方が…いい」
ぽりぽりと照れ隠しの為に顔を掻きながら、少しだけ頬を紅くして不器用に。不器用だけど、ちゃんと。ちゃんと私に向かって言ってくれました。
「…滝川…くん……」
顔を上げるなんて、前を向くなんてずっと出来なかった。怖くて出来なかった。人と正面を向き合って話すなんて、私には…出来なかった。でも。
「な、その方がいいって」
でも貴方の無邪気な笑顔が、子供みたいな笑顔が、私を。私をこうやって。こうやって、引き上げてくれる。ひだまりのような、太陽のようなその笑顔が。
「…でも…私……」
一生懸命に貴方の言葉通り、真っ直ぐにその瞳を見つめた。恥ずかしかったけれど。緊張して手が震えたけれど。でも。でも私は貴方を、真っ直ぐに見つめた。
「でももじゃねーの。お前…その…可愛いから…これでいいんだよ」
「…あっ……」
私の手を取って、そのまま。そのまま貴方はつかつかと歩き始めた。そのせいで貴方の顔を真っ直ぐに見ることは出来なくなったけれど…それでも。それでもこうして。
こうして繋がった手が、ひどく。ひどく、熱かった…から……。
何時もお前、俯いていたから。何時も地面、見ていたから。
空はこんなに蒼くて綺麗なのに。太陽の光はこんな眩しいのに。
木の緑の色とか、鳥達のさえずりとか。そういったものを。
そういった綺麗なものがたくさん頭上にはあるのに。お前は。
お前は何時も俯いているから。だから、俺。俺見せたかったんだ。
お前の為に綺麗なものを、いっぱい。いっぱい、見せてやりたかったんだ。
空はこんなにも蒼いんだって。太陽はこんなにも眩しいんだって。
下を見ていたら、分からないことがたくさんあるから。
色々な楽しいことや、色々な発見が。こうして。
こうして見上げれば見えてくることが、いっぱいあるから。
…だから、上を向いて。前を見て、欲しかったんだ…俺……
「…お前と一緒に…見たかったんだ……」
日差しに透ける茶色の髪。きらきらと光るその髪が。
「…色んな景色…いっぱい…」
私の顔をこうして。こうして上げさせるから。私は。
「…見たかったんだ……」
私は貴方を見つめていたいと、思ったから。
見上げるのが怖かった。顔を上げるのが怖かった。
俯いていれば私は何も望まないから。何も、望むことはないから。
願って裏切られるのも。欲しくて手に入らないもの。
全部全部、もういやだったから。だからずっと俯いていたの。
でもそんな私に貴方はたくさんのものを与えてくれる。光を、与えてくれる。
何時も元気に駆けずり回っていて。
いっぱいいっぱい、微笑っていて。
そんな貴方の光が。そんな貴方の笑顔が。
何時しか私を自然に上へと向かせた。
俯いていたら、分からないから。貴方が。
貴方がどんな顔で微笑うのか、分からないから。
だからね、そっと。そっと見上げたの。
貴方の笑顔と、貴方の表情と。貴方の声が。
それが見たかったから、私。私一生懸命に。
一生懸命に顔を上げて貴方を見つめたら。
見つめたら、貴方。私に向かってそっと微笑んでくれたから。
「…うん…私も…見たかった…」
立ち止まって、廻りを見つめた。隣には貴方がいて。貴方が、いるから。
「…貴方と…見たかった……」
繋がった手はやっぱり熱くて、少しだけ互いの指先が震えている。きっと子供みたいな恋なんだろう。子供のようなままごとのような恋なんだろう。
…でもね、でも。その時の想いが一番純粋だって…分かっているから……。
「…綺麗だね、空……」
見上げて見つめる、蒼い空。そして眩しいほどの太陽の光。何時から私は避けていたのだろう?こんな命の源を何時から、避けていたのだろう?
死んだように生きていると実感した瞬間から、私は全てのものから目を閉じ耳を塞いでいたから。
「ああ、綺麗だよな。すげー綺麗」
私に向かって貴方が微笑う。太陽のような、ひだまりのような笑顔で。その笑顔につられるように私も微笑った。ずっと微笑ってなかったから、笑い方を忘れていたはずなのに。なのに、何故か今は。今は自然に。本当に自然に口許から、心から笑顔が浮かんできた。
「…綺麗…だな……」
そんな私に向かってぽつりと貴方はそう言うと、そのまま私から視線を反らすように空を見上げて。そして。そしてぎゅっと私の手を掴んで言いました。
…私にしか聴こえない小さな声で…言いました……。
「…お前の…微笑った…顔………」
END