―――羽が空から、降って来る。
君の睫毛と、僕の髪の先に。
真っ白な羽が降ってくる。
ふわり、ふわり、と。
ふたりの元へと降ってくる。
……君は地上に降りた、最期の天使………
「あ、ゆきだよ。たかちゃん」
ふわふわと白い羽が降って来る。髪の先に、睫毛に。そして、その小さな肩にも。
「どうりで寒いと思った」
「たかちゃんさむい?」
大きな目が見上げてくる。吸い込まれそうな大きな瞳。そこに映るのは俺の顔と、零れ落ちる白い羽。
「うん、ちょっと寒いかな?」
「じゃあね、はい」
そう言って差し出してきたのは、小さな手のひら。その手のひらをそっと包み込むとぬくもりが指先から伝わった。
「暖かいね、ののみの手は」
「へへ、たかちゃんとて、つないでいるからだよ」
笑う君の上に降り積もる白い羽。綺麗だね、綺麗だよ。君の背中に羽が生えているみたいだ。君の背中に、白い羽が。
「ののみは、天使みたいだね」
「…たかちゃん?…」
「心も目も綺麗な天使、だね」
繋いでいる手は、こんなにも暖かいのに。見つめ合う視線の先にあるものは同じなのに。
―――どうしてだろう?君をこんなにも遠くに感じるのは……
「ののみは、たかちゃんだけのてんしだよ」
君が微笑う。その顔が無邪気であればあるほど、切なく見えるのはどうしてだろうか?
降り続ける雪。ふたりの元へと落ちてゆく雪。
ふわりふわり、と。睫毛の先に、髪の先に。
このままこの雪がふたりを閉じ込めてしまったならば。
ふたりを閉じ込めてしまえたら。
「たかちゃんの、て」
君の背中に翼が見える。真っ白な翼。穢れなき翼。
「たかちゃんの、ほほ」
綺麗だよ。綺麗、だよ。綺麗過ぎて、哀しいんだ。
「…たかちゃんの…くちびる……」
君が穢れなきものであればあるほど。君が綺麗であればあるほど。
「…あたたかい…ね……」
―――俺の手は、君には届かない。
小さな身体をそっと抱きしめた。壊れないように、そっと。壊してしまいたいほどに、きつく。君を、抱きしめた。
「…君は暖かいね……」
抱きしめれば伝わる体温。瞼を閉じれば香る髪の匂い。その全てが何時しか俺の手の中をすり抜けてゆくのだろう。今こうして君をこの手の中に閉じ込めていても、背中の羽は何時しか空を飛び立つのだろう。
「…ののみは…暖かいね……」
だからきっと、届かない。俺の手には届かない。君は地上に降りた最期の天使だから。最期の天使、だから。
「たかちゃんも、あたたかいよ。きっとこころがあたたかいからだね」
小さな手が必死に俺の背中にしがみ付く。このまま俺が腕の中に閉じ込めてしまったら君をもう、誰も見ることなんて出来ないのに。誰の目にも触れさせることなんて出来ないのに。
―――でも君は俺をすり抜けてゆく……
「ののみの事を考えているからだよ」
それでも。それでも俺は君をこうして閉じ込めずにはいられない。
時間軸が、違う。君と俺とは刻む時間が違う。
それでも重なり合ったこの針を、この瞬間を。
俺は否定する事が出来ない。この瞬間を、否定する事を。
何時しか俺は年老い朽ち果ててゆく。君は永遠に子供の時間を繰り返す。
俺の砂時計は流れたらそれで終わり。君の砂時計は流れたらまた元に戻される。
ただそれだけの違いなのに、それが何よりも俺達を引き離してゆく。
触れ合っている手をずっと絡めていたい。ずっと繋いでいたい。
君の肩に背負う重たい運命を、俺が背負いたい。
けれども叶わない。時間軸がふたりを引き離してゆく。時計の針が逆に廻ってゆく。
繋いだ手は何時しか解かれて、そして戻れない場所へと俺達を引き離すだろう。
どんなに俺が、願ってもそれは叶う事はない。
君の羽を折ってしまいたい。
飛び立つ白い羽を折ってしまいたい。
そうしたら、君はもう。
もう何処にも行かないだろう?
俺の元から去ってゆきはしないだろう?
『ののみしか…こえをきいてあげられないから……』
君の羽を折る事なんて出来ない。
君を壊してしまう事なんて出来ない。
時計の針を逆に廻す事も。永遠の時を刻む事も。
無限の螺旋階段の中にいる事も。
全て君が、選択した事だから。
『…ののみはたかちゃんがいるけど…げんじゅうは…ひとりぼっちだから……』
―――なあ、ののみ。
俺がいなくなっても。
俺が年老い死んでいっても。
君の心に俺は残るのか?
ずっと、ずっと。君の中に俺は。
―――俺は存在しているのか?
「ののみも、たかちゃんのことだけかんがえているよ」
「本当に?幻獣…よりも?」
「うん、いつも。いつも、いつもかんがえているよ。そうしたらね」
「ひとりぼっちのときも、さびしくないから」
ずっと、ひとりだけど。
これからもさき、ずっとずっとひとりだけど。
でもね、たかちゃん。たかちゃんがこうしてね。
こうしてののみをだっこしてね、そしてきすしてくれたから。
だからね、へいきなの。
これからさきいっぱいのひとがののみとであって、そしてしんでいってもね。
たかちゃんがくれたものが。たかちゃんがくれたものがあるから。
ののみは、へいき。ののみはひとりじゃない。
―――こころはひとりじゃないから。
誰も一人の女の子として見てくれませんでした。
可愛い小さな子供としてしか見てくれませんでした。
私は恋をする事も出来るし、一人の女の子として誰かを愛したいと思っても。
誰も私を子供としてしか扱ってくれませんでした。
ずっと、ずっと私は子供。小さな小さな女の子。
けれども貴方だけが、私を。私を一人の女の子として扱ってくれたから。
…貴方だけが私自身を『好き』だと言ってくれたから……
「たかちゃんが、いてくれるから…ののみはがんばれる」
「―――俺が…いなくなっても?……」
「ううん、ずっといるよ」
「ののみ?」
「ずっとね、たかちゃんはののみのこころにいるの。だからへいき」
「へいき、です。ののみはがんばれる」
雪が、君に降ってくる。
ふわふわと、ふわふわと。
君に降り積もる。
綺麗、だよ。何よりも、綺麗だよ。
―――ああ、俺は…こんなにも君が好きなんだ……
繋がった指先が何時か離れていっても。
俺の手が朽ち果て滅びていっても。
それでも繋がっている、君の心に。
俺は君の心に永遠に、生き続けていくから。
地上に降りた最期の天使。
君の両翼に生えた羽は透明なほどの真っ白で。
そして何よりも穢れなきもの。
その羽が全てを浄化し、君の心が全てを癒してゆく。
だから俺は。俺はそんな君自身を少しでも。
少しでも癒せる存在になりたいから。
「…好きだよ…ののみ……」
例えこの瞬間が、ほんの瞬きするほどの時間でしかなくても。
「うん、たかちゃん。ののみもだいすき」
ただ一瞬の幻でしかなくても。
「だいすき、です」
ふたりにとっては、永遠なのだから。
――――君は、地上に降りた最期の天使。全てを癒すただ独りの天使。
END