ずっと、一緒に
―――しあわせに、なろうね。
しあわせになりたいじゃなくて。
しあわせになるんだと、思った。
ふたりで、しあわせに。
一緒にしあわせに、なろうね。
『しあわせに、なろう』
初めて手を繋いだ時、自然に零れた言葉がこれだった。好きだよとか、そう言う気持ちを告げる前に、僕の口からはそんな言葉が出た。普通は順番が違うだろうと言われるかもしれないけれども…僕の頭に最初に浮かんだ言葉はそれだった。
「ああ、速水」
けれどもその言葉に君は何の疑問も無くこくりと頷いた。やっぱり僕らにはきっと。きっとこの言葉が一番だったんだろう。他のどんな愛の言葉よりも自然な言葉。
そして。そして相変わらず自身満々の笑顔を僕に向ける。それでも少しだけ…何時もより嬉しそうに見えるのは僕の気のせいじゃないよね。
「まだ、速水なの?舞」
初めて君を名前で呼んだ。少しだけ僕の声は上擦っていた。けれどもそれよりも、その途端一気に真っ赤になった君の顔を見たら。それを見たら羞恥心よりも、愛しさが勝る。
―――ダメだ…そんな所が可愛くて仕方ない。
「い、いきなり呼ぶなっ!びっくりするではないか」
このまま抱きしめてしまいたいけど、それはまだお預け。繋いでいる手の暖かさが、ひどく嬉しいから。
「ごめんね、でも僕達は恋人同士だろう?」
今度は耳まで真っ赤になっている。どんな事にも君は天才で何でも出来るけど、恋だけは勝手が違うみたいだね。そこが…そこが好きなんだけど。大好き、なんだけど。
「…こ、こいびと…同士…あ、ああ…そうだったな…じゃあ……」
そこまで言って、口をもごもごさせてしまった君。ダメだよ、そんな顔したら…キスしたくなってしまうから……。
今まで、適当に生きてきた。
なんとなく生きてきた。
これと言って目標も目的も何もなかった。
ただ毎日を楽しく過ごせたらと。
楽しく過ごせればいいと、それだけを考えていた。
何の為に、生きるとか。どうやって生きたいとか。
そんな事を考えた事なんてなかったから。
難しい事は大嫌いで、流されるだけだった。
零れてゆく時間に身を任せるだけだった。だから。
だからこうして君と出逢って、君に恋をして。初めて。
初めて、僕は考えた――生きるという事を。
君に恋をして、君を好きになって初めて。初めて気がついた。
生きることは、誰かを好きになる事だと。
その人の為に。その人としあわせになる為に。
何気ない時間を、大切に過ごしてゆく事だと。
僕は君を好きになって、初めて生きていることを実感した。
「………」
声にしようとして、一端君は言葉を飲み込んだ。そして真っ赤なまま俯いてしまう。そうしていても見える耳が赤いのがひどく可笑しかった。
「舞」
名前を呼んでもこくりと頷くだけで、僕の口許の笑みは止まる事は無かった。もしも今君が顔を上げて僕の表情を見たら…きっとどうしようもない程に締まりの無い顔をしているだろう。
「…な、何だ……」
「顔、上げてくれないの?」
「…………」
その言葉に君はまた黙ってしまう。そうしてしばらく僕らはその場に突っ立ったままだった。端から見たらちょっと変かもしれないけど、でもそんな事なんてどうでもよかった。
そして君は意を決したように顔を上げて、そして。そして僕の目を見て。
「………し………」
そうしてまた俯いてしまった。それは聴こえないほどの小さな声で。けれどもちゃんと。ちゃんと僕には、聴こえたから……。
―――厚志…と……。
「こ、これで…いいか?」
「うん、嬉しいよでも」
「でも?」
「これからずっとこうやって呼んでくれるよね」
「…こ、これからもか……」
「いや?」
「…い、いやではないぞ…うん、いやではないでも……」
「でも?」
「…は、恥ずかしいのだが……」
「くすくす、僕だって」
「僕だって『舞』って呼ぶのは…恥ずかしいよ……」
その言葉にすごすごと君の顔が上がると、真っ赤なままで僕を見つめ返した。君の瞳に映る僕の顔も、きっと同じ色をしているだろう。僕だってやっぱり、君の名前を呼ぶのはとても恥ずかしいんだよ。
「…ほ、本当だ…はや…じゃない…あ…厚志も…顔が…赤い……」
「うん、だって」
「…だって?……」
「君が、好きだからね」
―――本来なら最初に言うべき言葉なのに、今更言うなんて変だろうか?
「…あ、ああ……」
でも、いいよね。恋愛にいいも悪いもないよね。僕らは僕らの恋愛をすればいいんだから。僕らだけのモノを見つければいいんだから。
「君が好きだよ」
もう一度言って、僕はそっと君を抱きしめた。初めて抱きしめた君の身体は思ったよりもずっと。ずっと、華奢だった。
「…あ…厚志…その…あの……」
「何?」
「…手、…背中に…廻してもよいか?…」
「くす、聴くまでも無いよ。だって」
「だってこの背中は君だけのものだよ」
戸惑いながらも廻された手の感触に。
そっと僕のシャツを掴む指先に。
溢れるほどの想いが。
零れるほどの想いが、僕の胸に宿る。
―――どうしようもない程に君が愛しいと……
「しあわせに、なろうね」
僕はもう一度君に告げる。それは僕の溢れるほどの想い。
「――ああ…厚志……」
しあわせに、なろうね。ふたりでしあわせになろうね。他の誰かとじゃなくて、僕と君でしあわせになろうね。
「私も…お前とが…よいぞ……」
ふたりで、しあわせに。
…そしてずっと。ずっと…一緒にいよう………
END