―――くちづけは、ひどく甘かった。

花びらが降ってくる。はらはらと、はらはらと。
頭上から降り積もる花びらの雨。
そこに埋もれて。ふたりで埋もれて。

…そして全てから消えてしまえたならば……


世界から、隔離される。さらさらと零れる砂が、手のひらから零れてゆく。その流れに身を任せたら、俺等は何処に辿り着けるのか？
「…不知火……」
お前の髪先から、花びらが零れて来る。それに手を伸ばして、伸ばそうとしたら花びらは消えた。ふわりと、幻のように。
「―――　一馬…泣かないでください……」
泣いてねーよと言おうとして、それは叶わなかった。言葉より先に漏れたのは嗚咽だった。泣く分けないと思っていたのに、零れたのは涙。そして悲鳴のような叫び。
言葉にならない言葉を叫びながら、溢れる雫を俺は止める事が出来ない。
「…泣かないで…ください……」
そんな俺に降り積もるのは、お前の優しい声。優しすぎる声。けれども伸ばした指先は俺の涙を拭う事は出来ない。どんなに手を伸ばしても、すり抜けてゆくだけだった。


桜の花びらが見せた一夜の幻。
静かな夢。壊れた世界。
隙間から零れる闇と、地上に降り注ぐ光。
どれもこれもが嘘だった。
どれもこれもがかりそめだった。
けれども俺にとっては。
俺にとっては紛れもない真実。


「貴方を独りには、したくなかった」
ぽろぽろと零れ落ちる涙。その熱さが貴方の心の真実だと、私は自惚れてもいいのでしょうか？貴方の真実の心だと。
「…淋しい貴方を独りには……」
今こうして手を伸ばして、そして小さな貴方の身体を抱きしめる事が出来たならば。貴方を抱きしめる事が、出来たならば。
そうしたら貴方は独りではないと感じられるだろうに。
「…貴方を…泣かせたくは…なかった……」
―――貴方をこの腕で、包み込む事が出来たならば……


月を抱いて眠る子供。
愛を求めて、眠る子供。
怯えながら、震えながら。
それども貴方は求めていた。
ぬくもりを拒絶しながらも、本当は。

…本当は誰よりも暖かさを、求めていたのに……


「…何で…お前…いるの？……」
それは月の幻が見せたもの？それとも花びらが落としたもの？
「…俺の前に…いるの？…これは…」
それとも俺の祈りが、届いたのか？
「…これは…夢…なのか？…」
ただひとつの祈りが、届いたの？


現実と、幻想の境目で。
俺はただひとつの事を祈っていた。
ただひとつの事を願っていた。
お前に逢いたいと。
もう一度、お前に逢いたいと。

―――ただそれだけを、祈っていた。


「なぁ…不知火…お前は…夢なのか？……」


手を伸ばしたのに。
伸ばしたのにお前の指に触れられない。
お前の指に絡める事は出来ない。その手は俺を。
―――俺を包み込んではくれない。


「…一馬……」


それでもいいと思った。何も答えないお前の哀しい笑みを見つめながら。それでもいいと思った。お前ならば。目の前にいるのが他でもないお前ならば。例え邪であろうとも、魔であろうとも、俺は構わなかった。
「…いいや…もう…もう…何だろーとも……」
ずっとずっと願っていたもの。ずっとずっと思っていたもの。それが今目の前にあるのだから。

「…一馬…好きです……」
「…うん……」
「ずっと貴方だけが、好きです」
「……う…ん……」

目を閉じた。触れる訳はない。触れられる訳はない。
それでもそっと。そっと唇が何かを掠めていった。
それは風だったのか、花びらだったのか分からない。

―――けれどもとても、甘かった。


目を、閉じる。もう二度と目覚めないように。
この花びらに埋もれて。埋もれて俺は、消えよう。
ただひとつの想いを胸に抱いて。
柔らかい月と、零れゆく花びらの下で。

―――お前と…一緒に……




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