さくら、散る

――――花びらに埋もれて死ぬのならば、悪くないと思った。

降り続ける桜の花びらを見上げながら、ふとそんな事を思った。
このピンク色の花びらがこの身体全てを埋め尽して。
そして全てをさらってくれるのならば。
…身体も、こころも、魂も…さらってくれるのならば。

それもいいかもしれないと、思った。


螺旋を描く記憶の果てに、辿り着いた場所はただひとつの笑顔。


漆黒の髪は夜に溶けそうなほど、切なく見えた。今この指が触れたのならば、すっと消えてしまいそうなそんな感覚。
「―――不知火……」
私が声をかける前に、貴方の方が声を掛けて来た。少しだけ驚いたような顔で、けれども次の瞬間にはひどく子供のような笑顔を向けて。
貴方がそんな顔を見せてくれるようになったのは、何時からだろうか?初めて出逢った時は、きつい瞳で。全てを拒絶する瞳で私を見据えていたのに。何時から貴方はそんな無防備な笑顔を私に預けてくれるようになったのか?
―――それが何よりも嬉しく、そして何よりも苦しい……
「まだ夜は寒いですよ。そんな所にいたら風邪を引きます」
近付いて、そっと。そっとその身体を抱き寄せた。触れた瞬間に身体が一瞬強張るのが分かった。あんな無防備な顔を見せてくれても、いざこうして触れると身体が硬直するのが私には何よりも切なかった。
貴方のそんなところがただ、切なかった。
「私でも、怖いのですか?」
言葉にして後悔をした。声にして、苦しくなった。こんな事を貴方に告げるつもりはなかったのに。こんな事を貴方に言うつもりはなかったのに。貴方の瞳を見たら、どうしようもなく自分が嫌になった。
「怖くなんかねーよ」
ぷいっと視線を外すと、そのまま胸に顔を埋めた。それでも腕の中の身体は完全に力を抜ききっていない。それがまた私をイヤな男にさせる。
「だったらこんなに硬くならないでください」
「なってなんかねーよっ!」
噛み付くような視線。けれども何処か淋しげな視線。貴方の強さが諸刃の剣だと私が一番最初に気付いたのに。気付いたのに、それを直してやる事も、気付かせてやる事もまだ出来ずにいる。
貴方の強さは、自らの傷口を開いて血を流して強くなってゆく。自分自身を傷つける事によって強くなってゆく。貴方の心の傷が糧になり、それを切り開いてゆく事で。でも。でもそれでは本当の意味での強さを手に入れる事は出来ない。貴方は自分を強くする事で、自分を壊してゆくのだから。
―――そんな事…させたくはないのに……
そう思いながらも、何も出来ずにただ。ただ立ち尽くすしかない、自分がここにいる。


貴方を護りたい、と。
傷ついた貴方の心を包み込みたいと。
この両手で貴方を、貴方の心を。
包んでそして癒したいと。
ただそれだけを願い、思う自分。
けれども何時もその先には別の衝動がある。
貴方を壊し、そして。

そして貴方を自分のものだけにしたいと言う、欲望。

どちらも私の中で攻めぎ合い、そして交差する。
どちらも本当の事だった。どちらも真実だった。
どちらも私にとっては嘘偽りない思いで。
そして。そしてどちらも、願いだった。


桜に埋もれて死んでしまいたい。
そうしたら何もかもを消し去る事が出来る。
遠い記憶の果てにあるただひとつの裏切りと。
そして貴方の笑顔と、貴方の涙を。
全てを消し去ってしまえたならば。


「…一馬……」
―――ずっと、貴方が好きだった。
「何?不知火」
遠い過去から、今この現在。そしてきっと未来も。
「…貴方は『一馬』でいてくださいね」
ただ私は『貴方』と云うただひとつの魂を追い続けていた。
「当たり前だろっ俺は俺以外のものにはなれねーよ」
幾千もの螺旋の中で、ただ独り貴方だけを。
「そうですよね、過去は…過去ですよね……」
ただひとり貴方だけを追い続けていた。
「そうだよっ。俺は一馬で…お前は不知火だっ!」
ただ、それだけの事だった。


壊して、しまいたい。
私の過去を、貴方の今を。
私の今を、貴方の過去を。
全て壊して、何もかもなくなって。
本当の剥き出しの何もない。
何もない、私と貴方になっても。
そうなっても、私は。

―――貴方だけを求め続ける……。



とくん、とくんと。耳を澄ませば聴こえてくるお前の心臓の音。命の、音。心地よいその音に包まれ、そして眠ってしまえたらとふと思った。けれども今こうしてお前に全てを預け眠ればきっと。きっと桜が全てを埋め尽してゆくのだろう。
「お前なんか変だ」
顔を上げてお前の顔を見て…見て少しだけ後悔をした。お前の顔がひどく辛そうに見えたから。一緒にいるのに。こうしてぬくもりを感じているのに、何でお前はそんな顔をするのか?
「そうかもしれませんね…色々考えすぎて…」
でもそれ以上の苦しさを、感じて。感じたからそっと。そっとお前の頬に手を充てた。暖かい頬、だった。
「俺達の前世の事か?」
「はい、それもあります。でもそれだけじゃあないです」
ふたりの間に風がひとつ吹いて、桜の花びらを運んだ。はらはらと降ってくる花びら。夜に溶けて、それは不思議な空間を作り出す。
「―――何を、考えている?」
「…貴方の事を…考えています……」
質問をして失敗したと、そう思った。お前は。お前は俺が答えられない答えを、返したから。


人込みは、好きだった。
自分のちっぽけな存在が隠されるから。
人の輪の中は、嫌いだった。
自分が孤独だと言う事を感じてしまうから。
何処にも居場所がなくて、何処にも行けなかった。
故郷をなくし、家族をなくした俺に。
居場所なんて何処にもなかった。
ただ流浪し続ける以外何もなくて。それ以外何もないから。
だからずっと。ずっと居場所なんてなかった。

差し出された、手。
癒しの、手。ただひとつの、手。
この手に指を絡め、そして。
そして目を閉じ、腕の中で丸まって。
初めて俺は自分の居場所を手に入れた。
たったひとつの場所を、手に入れた。

―――たったひとつ、俺が俺でいられる場所。


「貴方が、好きです」
改めて言われて、どきりとした。不覚にも顔がかああっとなるのが分かる。
「…あ、ああ……」
そんな顔を見られたくなくて俯けば、その手が俺の頬に掛かった。掛かってそのまま上に向かされた。
「誰よりも好きですよ」
真剣な瞳に射抜かれて、耐えきれずに瞼を閉じた。その瞬間降りてくる唇の暖かさに、睫毛を揺らしながら。
背中に腕を廻して唇を受け入れた。こんな風に他人に触れられるのは怖かった。ずっと怖かった。俺の幼い記憶に刻み込まれた恐怖が、何時まで経っても俺を怯えさせていたから。でも。
でもなんでかな?お前にだけは平気なんだ。お前にだけはもっと。もっと触れていて欲しいと…思う…。
「―――不知火……」
微かに潤む視界でお前を見上げれば覗くのは、怖いほどに真剣な瞳。痛い程に俺の心に突き刺さる瞳。
「貴方だけが好きです」
きつく抱きしめられてその場に押し倒されても、俺は背中に廻した手を解く事は出来なかった…。



―――桜に埋もれて死んでしまいたい。
このままこの腕の中に貴方を抱いたまま。
貴方を貫いたまま、永遠に。
永遠にこの降り続ける桜の下で。
埋もれてそして死んでしまえたら。

桜が、散る。さくら、散る。
散ってゆく花びら。
埋もれて、埋め尽くされて。
そしてなくしたい。

―――影朧としての記憶も、不知火としての記憶も。

何もかもなくして、そして。
そして貴方と二人だけになって。
ただふたりだけになって。
降り注ぐ花びらに埋もれて。
ふたり、漂えたならば。
ふわりと、漂えたならば。

……いいのにね…一馬………


降り注ぐ花びらの下、ふたり抱き合った。
貴方の身体を貫き、欲望を吐きだし。
熱い身体と、凍える指先を絡め合って。
甘い吐息と、痺れる唇を繋ぎ合って。
夜の闇に溶けながら、花びらの雨に打たれながら。
ただひとつの事を考えていた。

―――貴方を愛しているんだと…ただそれだけを……


「…どうして…こんな事が…必要なんだろうな……」
「……一馬………」
「…身体なんかなかったらさ…確かめなくてもいいのにな……」
「でも私達は生きている…これからもずっと…生きてゆく…」
「…そうだな…不知火……」


身体なんか、なかったらと。想いなんか、なかったらと。
そうしたら苦しさも切なさも何もかもなくなるのにね。

―――それでも私達が生きている以上、それは逃れられない事なのだから……。



ひらひらと、花びらが溶けてゆく。夜の闇に溶けてゆく。俺はぼんやりとそれを見ていた。まだ熱の残る身体を持て余しながら、落ちてゆく花びらをただ見つめていた。
「…一馬?……」
背中に廻していた手を不意に伸ばした俺に不思議そうに不知火が尋ねる。俺はその問いには答えずにただ。ただ少しだけ笑って。
―――落ちてくる花びらを手のひらで捕まえた。


手のひらに落ちてくる花びらを見つめて。
その桜色の花びらを見つめて。
―――ふと、思った。

このまま花びらに埋もれて死ぬのも、悪くないなと。


「綺麗ですね、でも儚い」
「…そう言うの…嫌いだ…」
「儚いのが、ですか?」
「…うん…嫌いだ…なんか淋しい…」
「そうですね」


空を見上げれば何時しかぽっかりと月が浮かんでいた。
淡い光を放つ月が。それを瞼の裏に焼き付けて、俺は目を閉じた。
そうしてお前の鼓動だけを感じる。命の音を、感じる。
とくん、とくんと聴こえてくる命の、音を。

……俺達は生きているんだな…と思った……。


もしも螺旋を巡る俺達の記憶が、何処か違う場所へと俺達を導いたとしても。
それでもこの胸に宿る想いと、刻まれる命の音はきっと永遠で。
俺達の入れ物も、俺達の記憶も、何もかも及ばない場所で繋がっていると。
こころは繋がっていると、信じているから。



この桜の花びらの下、それだけがただひとつの本当の事だから。




END

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