IN THE MOONLIGHT
―――月だけが、知っている。
「…こんなにも私は貴方のことを……」
漆黒の部屋は、もう何も残ってはいなかった。藁を引かれただけの剥き出しの木の床は冷たく、ひんやりとしていた。
「……こんなにも、思っている……」
小さな窓から覗く月だけが、この室内の唯一の照明器具だった。不知火はそれだけを頼りにゆっくりと室内を這い廻る。
折られてしまった右足は自分の意思に従ってくれる事は無い。鉛のように重く立ち上がる事すら不可能だった。
「…一馬……」
例え二度と逢う事が許されなくても。二度と逢う事が出来なくても。この想いだけは、消し去る事は出来ない。この想いだけは。
「…愛しています…一馬……」
一度も本人の前では言えなかった言葉。もしも再び出逢う事が許されるのならば……それは決して有り得ないだろうけれども……言いたい。彼の真っ直ぐな瞳に返したい。
「……愛しています………」
もしも、許されるのならば。この気持ちを伝えたい。
「一馬、また残したの?」
穏やかな笑みを浮かべながら、水貴は一馬に告げた。その視線は透明なまま、ゆっくりと水貴へと移る。
「―――あまり…食べたく…ない……」
一馬は膝の上にある膳に手持ちの箸を置いた。その指先がひどく、細くなっていて水貴の胸を痛ませる。
「一馬、食べたくないのは仕方無いけど…食べないと直る病気も直らないよ」
「…うん……」
答える瞳は虚ろだった。無理もない。一馬は『病気』じゃない。病気なんかではない。
―――記憶障害……彼の記憶には肝心な部分がずっぽりと抜けていた。まるで生まれたての赤子のように、彼には今までの全てが抜けていた。
「僕が、食べさせてあげるから」
水貴はそう言って苦笑すると、一馬の膝の上にある膳から箸を取る。そしてそれで惣菜を掬った。
「…水貴……」
「僕が何でもしてあげる、一馬。何でもしてあげる…だから」
それは全て自分のせい。彼の記憶が抜け落ちたのは自分のせい。そう、彼を監禁し閉じ込め、その身体を犯した。その時の自分を失くしたくて…一馬は今までの全てを忘れたのだ。
「…僕だけの事を、考えて……」
―――許されない罪。それは分かっている…でも地獄に堕ちても彼が欲しかった……。
貴方の為にならば、何だって出来る。
全てから隔離されたこの空間では、下界の音がひどく敏感に不知火には聞こえる。それもそうだろう。それ以外滅多にここでは音が無いのだから。
「……」
立つ事の出来ない不知火は、顔だけを上げて唯一ある扉へと視線を移す。鍵を掛けられ、決して自分では開ける事の出来ない扉を。でもこの扉を自らが開ける事が出来たとしても、決して自分からは開ける事は出来ない。出来る筈が、無い。何故ならば、不知火は。
「……不知火……」
カチャリと鍵が解ける音がして、ゆっくりと扉が開く。そして静かに自分を呼ぶ声が。
「…水貴……」
不知火は、答える。自分を支配する者へと。決して逆らう事の出来ない相手へと。でもそれは。自分が望んだ事だから。
「―――君も、痩せたよね。元々細い方だったけれど。殆ど運ばれた物を食べていないんだってね?」
水貴はせせら笑いを含みながら、言う。不知火は答えなかった。ただ俯いて、その視線を逸らすようにして。
「食べる食べないは君の、勝手だけどもね。死ぬ事は許さないよ。君は僕の物なんだから。そうだろう?」
「―――はい……」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で不知火は言った。理性でいくら納得しても、やはり心は軋んだ悲鳴を上げる。上げて、しまう。
「分かっていればいいよ。君が言った事なんだからね。だから君がここから出たいと言えば、僕には止める権利は無いよ。けれども、そうすれば―――」
水貴は殊更に穏やかに言うと、俯いたままの不知火の髪を引っ張る。そしてそのまま彼を自分へと向かせた。
「―――分かっているよね。君はとても賢い……」
そう、分かっている。自分はここから出る事は出来ない。出来る筈が無い。あの人を護る為に。あの人の為に自分の全てを捨てたのだから。
「―――分かって…います………」
「それなら、構わない。僕だって、彼を殺したくは無いのだから」
水貴は柔らかく笑うと、上に向かせたままの不知火の唇を塞ぐ。不知火は決して、抵抗はしなかった。否、出来る筈は無かった。
「……これは、拷問だよ……死よりも辛い………」
唇を離して水貴はひどく、優しく言った。しかし不知火は知っていた。それがどんなに残酷かと言う事を。そして自分が決して彼に逆らう事が出来ない事を。
―――愛しているのも、傷ついているのも、自分だけじゃない。
「……自分で、やるんだよ……」
穏やかな声でそう言うと、近くに在る木製の椅子に腰掛けた。その下に不知火は、ぺたりと座り込んでいる。
「…………」
ごくりと、唾を飲む音が聞こえた。無理もない。そんな要求は今までされた事が無かったのだから。それに、されるのとするのでは大きな違いがある。今までどんな強要にも耐えてこれたのは、それが水貴からされる事だったから。しかし自分からすると言う事は、自らその行為を望んでいるように思えて。不知火は耐えきれずに、唇をぎゅっと噛み締めた。
「―――出来ないの?」
そんな不知火に水貴は子供をあやすような優しい声で言う。しかしそれは絶対に逆らう事を許さないと、無言で言っていた。そう、許さないと。
「出来ないのなら、僕が手を貸して上げようか?」
そっと椅子から立ち上がって、不知火の前に歩み寄る。そして前をいとも簡単にはだけさせる。
不知火は、逆らえない。水貴のなすがままにされなくては、ならない。
「こうするんだよ」
「…あっ……」
水貴の指先が不知火の胸の突起を捕らえる。そしてそれを人指し指と中指でやんわりと掴んでやる。
「出来るだろう?」
「…あぁ…」
胸をぴんっと指で弾く。そのままぎゅっと、乳首を握り締めた。
「さあ、不知火」
水貴はいつも穏やかに不知火に言う。しかしそれは決してその声は自分を許しはしない。
「………っ………」
不知火は再び唇を噛み締めた。その先から血が零れるのも構わずに。
――そして諦めたように震える指先をそっと、自分の胸元へと滑らせた。
「…くぅ…ん…」
それでも不知火は、些細な抵抗を試みる。声だけは上げまいと。必死で唇を噛み締めた。
「…ふぅ…」
それでも激しい快楽の波は押し寄せる。胸をいじっているだけでこんなにも、感じてしまうのだから。
右手は自らの胸の突起を摘み、それを指の腹で擦ったりして刺激を求める。しかしそれけでは物足りず、開いている方の手で鎖骨や脇腹のラインを愛撫する。
「…う…んっ…はぁ…」
もう、止められなかった。快楽に慣らされた身体は、些細な刺激でも逃すまいと必死だった。それは眩暈すら起こしそうな程の快楽の波。しかし精神だけがそれを必死で否定していた。
「…あっ…」
無意識に不知火は爪を立てる。痛い程に胸の突起を引っ掻くと、遂に声は耐えきれずに口から声が零れてしまう。それを見ていた水貴の目がうっすらと細められた。
「声を抑える事は無いよ。君の声は格別なのだから」
くすくすと今にも笑いが聞こえてきそうな水貴の言葉に、不知火の頬が朱に染まる。しかし自分はこの手を止める事は出来ないのだ。
「…ああっ……」
脇腹のラインを愛撫していた手が遂に、自分自身へと辿り着く。そこは彼が直接手を添える前からすでに、微かに震えながら立ち上がっていた。
「…あぁ…ぁ……」
右手では胸を愛撫しながら、そこを指先で辿る。それはひどく淫乱な姿だった。
―――そうだね、君は淫乱だ。無意識に男の欲を誘い、狂わせる。娼婦の瞳で男に媚びる。
「……見せて、不知火……」
水貴の声で一気に不知火の意識が覚醒する。しかし身体は熱くて、息は乱れていた。
「僕に、全部」
そう言うと動かない不知火の足首を掴み、命一杯開かせる。不知火は羞恥の為にそれを閉じようとしたが、動かなくなった足は自分の意思には従ってくれなかった。
「…くすくす…いい眺めだよ……」
両の手首すら水貴は捕らえて、秘所を暴き出す。不知火は耐えきれずに顔を逸らした。
「…あれだけでもう…こんなになっている……」
「…ああ……」
水貴の手が不知火自身を撫で上げる。他人の手によって触れられたそこは、自分で触れるよりも何倍もの刺激を受ける。
「…あぁ…はぁ…ん……」
ゆっくりと指先を滑らせて、先端を抉ったり側面をなで上げたりした。そうして不知火を追い詰めていく。
「…はぁぁ…も…う…」
水貴の愛撫は巧みで、正確だった。どこをどうすればいいのか、自分の身体を知り尽くしている。
「…ゆる…し……」
その事実が不知火には、辛かった。この行為が愛の無い物なのは、一向に構わない。けれども思い知らされる。自分は彼の所有物だと言う事実に。もう、戻れない事に。
「…みず…き…あぁ……」
不知火のそれは限界まで膨れ上がり、先走りの雫までも流している。後少しでそれは満たされる所まで辿り着いていた。しかし。
「―――駄目だよ」
「…ああっ……」
ぐいっと不知火の髪が引かれ、それは水貴の股間の辺りへと持ってゆかれる。
「イキたければ、僕を満足させる事だね」
―――不知火はその言葉に、逆らうことが出来なかった。
「…ふぅ……」
口一杯に水貴のそれを銜えて、不知火は苦しそうに眉を顰める。しかしその顔は却って水貴の欲情を誘い、より一層口の中で主張をするのだった。
「…ぅ…く……」
多分不知火はこんな事をするのは初めてなのだろう。決して巧みとは言えない愛撫はそれを充分に物語っていた。
「…いいよ、不知火…君は本当に娼婦のようだ……」
だから、穢してやる。もう二度と彼の前に現れる事が出来ないくらいに。穢してやる。男が無くては生きていけない身体へと変えてやる。
「―――うぐっ」
不意に水貴の手の力が強くなって、不知火は押さえつけられる。彼の中で限界まで膨らんだそれは、喉元まで届く程で。口元からは飲みきれない唾液が伝っていた。
「…んっんっ……」
ぐいぐいと抑えつけられて、不知火はそれを飲み込ませられる。それがあまりにも苦しくて瞳から涙がうっすらと滲む程だった。
「…はあっ……」
やっとの事で開放された不知火は、思いっきり空気を吸い込む。しかしそれも水貴の噛みつくような口づけで塞がれてしまう。
「…んん…ふ……」
強引に舌を絡めて、根元まで吸い上げる。不知火は耐えきれずにがくがくと身体を震わしながら、崩れていく。水貴が唇を離したと同時に、その身体はその場へと崩れ落ちた。
「…不知火…」
「…あっ…」
しかし水貴は決して不知火を許さなかった。崩れ落ちた肢体を仰向けにさせて、腰に手を当てると四つん這いの恰好にさせる。そしてその指先が不知火の秘所を暴いてゆく。
「…やっ…やめ…みず…き……」
獣の態勢を取らされ、あまつさえ恥かしい場所を全て余す所無く水貴の目に暴かれる。そんな行為に耐えきれずに全身を紅く染める。しかし彼はそれを許す筈が無い。
「悪いけど、不知火。言葉よりもココの方が正直だ。こんなにも震えている」
「…ああ……」
水貴の舌先が不知火の蕾へと触れる。それだけなのにそれは、貪欲にもひくひくと震え出す。
「欲しい?ここに僕が」
入口の部分を指先で辿りながら水貴は囁く。しかし不知火は首を横に振るだけだった。いくら何でもそれだけは、言えない。
「…くすくす…嘘つきだなあ……」
「…はぁぁ…あ……」
わざと水貴はゆるやかな愛撫だけをそこに繰り返す。しかし不知火の身体はそれだけでは満足出来なかった。そう自分は知っている。この先にある狂わんばかりの快楽を。
「…あっ……」
不意に水貴の指先が不知火の放って置かれたままの自身を弾く。それだけで身体は鮮魚のように震えた。
「欲しい?ならば僕にそれを態度で示してごらん」
それは命令だった。水貴はそこまでして、不知火を陥れようとする。最後のプライドまでも決して許しはしない。そう、彼は決して自分を許さない。一馬の心を全て奪っている自分を。
彼に唯一愛されている不知火を。水貴は決して許さない。
「…さあ、やるんだよ……」
水貴の腕が不知火の指先へと持ってゆかれ、それを口中へと強引に入れる。それは不知火に水貴の意思を明確に伝えていた。彼が自分に何を望んでいるのかを。そしてそれに逆らう事は出来ない事を。
「…ん……」
不知火は観念したように、自らの指先を唾液で濡らした。そしてそれを確認した水貴が、強引にそこから引き離す。そして。
「……誘うんだよ、自分から……」
―――ひどく優しい声で、命令した。
「…あっ……」
ひどく濡れた声が、不知火の口から零れた。
「…あぁ…はぁ…ん……」
不知火の濡れた指先はスムーズに蕾へと埋もれてゆく。貪欲なソレは刺激を逃すまいと、指先を痛い程締めつけた。
「…あぁ…あ……」
くちゃくちゃと淫らな音を立てながら、不知火の指先は自分の体内で蠢く。もう自分には止める事すら出来なかった。
「…ああ…ぁ…」
耐えきれずに指を二本に増やす。そしてそれを勝手に中で行き来させる。けれども。
「……足りないんじゃないの?それじゃあ……」
「…あっ…あぁ……」
水貴の言うとおりだった。抱かれる事になれてしまった身体は、こんな指では満足出来ない事を。もっと大きな快楽を、知っている。
「…君のココは、とても欲張りだね……」
「…あぁ…ぁぁ……」 水貴の手が不知火の手に重なって、彼の指先をそこから引き抜いてしまう。その感触ですら、甘い喘ぎを洩らした。
「…欲しいだろ?僕が…それならば…そう言って……」
「…みず…き……」
「言うんだよ、不知火。君が僕の物だってね」
最後の警告とばかりに、耳元で囁く。不知火は目の前が一瞬、真っ暗になった。でもそれは仕方が無い。自分は全て彼の物だから。この髪も瞳も身体もそして、ここも……。
「…し…い……」
彼の命と引換えに自分の全てを捨てたのだから。彼の未来の為に。だから。
「…欲しいです…水貴…が…ここに……」
彼の望む言葉を、自分は言わなければならない。
「―――ああっ!!」
水貴は不知火の言葉を聞くと、一気に貫いた。やはりその瞬間は鋭い痛みが襲ったが、それはすぐに深い快楽へと擦り代わってしまう。
「…あっ…ぁぁ……」
貪欲な不知火の蕾はやっと望んでいたものが満たされた悦びに、痛い程にソレを締めつける。
「…君は淫乱だね…こんなにも僕を締めつける……」
「…あぁ…ぁぁ……」
不知火の細い腰を掴むとそれを揺すり始める。最初は緩く、次第に激しく。
「あっあぁ」
その度に悲鳴じみた声を不知火は上げる。乱暴な程強引に中から引き抜いたり、再び貫いたりして、無茶苦茶なリズムを彼は刻む。
「…あああ……」
がくがくと不知火を揺すり、狂わせてゆく。遂に耐えきれずに手を床へと落としてしまう。そうする事でより一層水貴へと腰を突き出す恰好になってしまったが。
「…そろそろ許してあげようね……」
水貴の手が放って置かれたままの不知火自身へと移り、思いっきり彼を扱いてやった。
「ああっ―――」
甲高い悲鳴が飛んだと同時に、それは弾けた。そしてその瞬間に不知火の肉壁は水貴を千切れる程に、締めつけ。そして彼も、果てた。
最初に言ったのは、不知火だった。
「一馬を助けてほしい」と。その為ならば自分は何でもすると。
だから、閉じ込めた。誰の目にも触れる事が出来ないように閉じ込めて。
そして彼が最も嫌悪するであろう事をした。
―――他の男に抱かれると言う……。
それでも不知火は抵抗をしなかった。時には器具を使ったり、他の男達に廻させたりしたが、決して逃げなかった。一馬の為ならば、こんな事何でも無いと言うように。
それが、水貴には許せなかった。不知火が一馬の事を諦めてくれれば、自分はすぐにでもここから彼を出してやろうと言うのに。それなのに、不知火は一馬を愛していた。
―――そして、一馬も。いくら全て記憶を消し去ってしまっても。彼は不知火を覚えている。
その瞳で、その声で、そして心で。『不知火』と言う存在を忘れてしまっても、彼は不知火の全てを、その身体全てで記憶していた。
不知火以外の男に抱かれたという恐怖と、そして罪悪感が…彼の記憶を消した。そう、結局は全て、彼のせい。
どんなに自分がそばにいても、どんなに記憶を摩り替えようとしても。
―――でも本当は、知っていたのかもしれない。
愛するが為に全てを引換えにした不知火と。不知火を愛するが為に自分の全ての記憶を失った一馬と。愛するが為に全てに残酷になった自分と。本当はどれもが同じだと言うことを。
本当は、自分は知っていた。
「…でも僕は…諦めない……」
例えあの瞳が自分に決して向く事は無くても。彼が自分を拒絶しても。
「……君には渡さないからね……」
激しい行為のせいで気を失ってしまった不知火には、水貴の言葉は決して届く事は無かった。
―――それは月だけが、知っている。
END