瞳が、微笑むまで
…幸せって、どういう事をいうのだろう……
自分を取り巻く日常は、何時も無機質に過ぎてゆく。ただ息をして、ただ命令通りに過ごす日々。何も考えず何も感じず、ただ言われた通りに人を殺すだけ。機械のように動いているだけ。だから。
だから貴方が現れた時。無機質で色の無い生活に、光が突然に飛び込んできた。突然モノトーンの風景に、貴方だけが色付いた。
…どうしてだろうと、思った。どうして貴方だけがそう見えるのかと……。
差し出された手を握りかえした時、どうしてだろう?泣きたくなった…
「ほーんと、お前の瞳って何時も泣いてるんだな」
突然無遠慮に言われたその言葉に。何の躊躇いもなく言われた言葉に。胸の奥がちくりと、痛んだ。痛みなんてもう、心が麻痺して感じないと思ったのに。
「…貴方にそんな事言われる筋合いはないですよ…」
「素直じゃねえの。でもお前、綺麗だな」
「…何を…言って……」
「心が、綺麗だな。そーゆーのは俺、分かるぜ」
少しだけ照れながら微笑う彼の瞳は真っ直ぐで。真っ直ぐすぎて、見つめ返せないと思った。自分が見つめ返すには…あまりにも瞳が眩しすぎて。
「どうしたらお前の瞳、笑うんだろうな」
呟くように言われたその声が。その声がひどく真剣で。また胸がちくりと、痛んだ。
最初はただその瞳を笑わせてみたいと、思った。
無表情で他人に全く関心が無いと言った顔で、全てのものを遮断しているくせに。それなにその瞳だけが。その瞳だけが何故か、哀しそうで。今にも泣きそうに見えたから。だから放って置けなくて。放って置けないと気付いたから、だから必要以上に近づいた。そして近づいたら、もっと近づきたいと思って…そして何時しかその想いは、触れたいと。抱きしめたいと想うようになっていた。
…何時しか僕は、彼が来るのを待っていた……。
「驚いた、俺は抵抗覚悟だったのに」
そう言いながらも全然悪びれずに笑う彼は、何だか無邪気な子供みたいだった。
「…抵抗して、欲しいんですか?蓬莱寺さん…」
「して欲しくない、壬生。俺はお前に拒否されたくない」
そう言って広い腕に抱きしめられた。それは何処かぎこちなかったけれど。けれどもひどく、暖かくて。母親以外知らなかった、暖かい腕の中。
「…もう一回、キスしていいか?」
「聞かれなくても…するでしょう?…」
壬生が答えると同時に再び京一の唇が降りてきた。触れるだけの、キス。そのキスに理由も無く壬生は、切なくなった。そう理由など何も浮かんでは来ないのに。
ただひどく、切なくて。この人に触れられる事が、切なくて。
「駄目だな」
「何がですか?蓬莱寺さん」
「やっぱこれじゃあ、お前の瞳笑わせられねーな」
そう言って再び口付けられる。やっぱり触れるだけで。そしてそっと髪を撫でられた。
「俺じゃあ…駄目か?」
「蓬莱寺さん?」
「俺じゃあ、お前の淋しさ消せないか?」
淋しい?そう言われても自分はそんな事を思った事はない。いやそんな事考えすらもしなかった。考えると言う事を想うと言う事を、何時しか自分は止めてしまったから。けれども。
「…僕は淋しく、見えますか?……」
けれども、本当は。本当はきっと……
「見える。俺にはお前が捨て猫みたいに見える。誰かに拾って貰いたくて、小さく震えてる…」
閉じ込めて消し去った心の奥深い部分で。その凍らせて永遠に眠らせたその部分で。自分は、本当は思っていた。淋しいと、独りは嫌だと。誰かにこの手を取って欲しいと。
…この深い闇から引きずり出して欲しいと……
「俺がお前、拾ったら嫌か?」
何時も前だけを見ていて、光だけを見ている人。そんな彼が今、自分という闇に振り返ってくれた。そして今その手を差し伸べてくれている。
「…嫌じゃ…ないです……」
「…壬生?……」
壬生はそれ以上は答えず、京一の手を取った。そしてそっと指を絡める。その指先がひんやりと冷たくて、京一は少し苦しくなった。
この冷たい手を暖めてやりたいと、そう思った。
「…貴方は…前だけを見ている人だと思ってました。自分の信じた道だけを真っ直ぐに進むそんな人だと。だから…」
指を絡めてそして包み込んだ。そうして少しでも体温を分け合えたらと、京一は思った。少しでも自分の熱を与えてやれたらと。
「…だから…嬉しかった…闇の中に生きる僕に振り返ってくれて…そして僕の居場所を作ってくれた。貴方だけが僕に気付いて声を掛けてくれて…そして…そして皆の輪の中へと入れてくれた事が……」
「俺達は仲間だからな、壬生。でもそれ以上にお前は俺にとって」
真っ直ぐな視線が揺るぐことなく、自分を見つめる。壬生はこの時になって初めて。初めて、彼の瞳を見返した。その眩しすぎる光を。
「…大事な…奴、だからな……」
その言葉を聞いて、泣きたくなったのはきっと。きっと自分も彼と同じ気持ちだから…。
冷たい身体を、冷たい心を暖めてやりたいと。それだけを思った。
「…もっとお前に触れても…いいか?…」
京一の囁いた言葉の意味を、理解できない自分ではなかったけれど。けれども拒否する事は、しなかった。いや、出来なかった。
「…蓬莱寺…さん……」
答える変わりにその名を呼んで、彼の広い背中に腕を廻した。それだけで伝わるはずだから。
「…名前で呼んでくれよ、壬生……」
耳元で囁いたその声が、少し照れているようで。壬生はくすっと一つ笑う。そして背中に廻した腕に少しだけ力を込めて。
「……京一…さん……」
聞こえないほど小さく、けれども京一だけには聞こえるようにその名を呼んだ。
きめ細かな白い肌は、京一の指先に極上の感触を与えた。その透明なほど白い肌が自分が触れる事によって赤く染まってゆくのが、その肢体に体温を与えているのが自分だと言う事が、ひどく嬉しかった。
「…はぁっ…ん…」
甘く少し鼻に掛かる声。普段の彼からは想像できない程の。甘くて官能的な、声。
「…壬生……」
「…んっ…ふ…」
胸元の果実を指で弄びながら、その唇を声を奪った。痛いほどに張り詰めたそれは彼の身体と同じく赤く色付いていた。
「…あっ……」
京一の唇が壬生のそれから顎へ首筋へ、そしてくっきりと浮かび上がる鎖骨へと移る。その窪みを舌で辿るとぴくりと壬生の身体が反応した。
「…ここ、弱いの?」
尋ねられてもはいそうですとは、壬生には言えなかった。ただ京一の背中に廻した腕に力を込めるだけで。でもそれで京一には充分だった。
「お前って、すげー可愛いな」
ご褒美とばかりに京一は壬生に軽くキスして。そして再び壬生の身体に指を這わす。その真珠のような極上の感触の肌に…。
夜に濡れた瞳が、京一を見上げた。熱に浮かされた視線は正確に定まっていなかったが、それでも京一を見つめていた。
「最期まで、してもいいか?」
その視線の全てを受け止めて、少しだけ戸惑いながら京一は聞いた。壬生の乱れた姿を見せられて自分は限界に近かったが、それでも彼の身体の負担を思うと無理に奪う事は出来なかった。
「…そんなこと…改めて聞かないで……」
微かに頬を染めながら、それでも壬生は答えた。彼に言われた時からこうなる事は分かっていた。分かっていてそして、自分は同意した。もう答えなんてとっくに出ているのに。
「…出来るだけ、優しくするから…我慢してくれよ…」
そんな京一の言葉に壬生は、微笑った。その笑顔はもう、淋しくはなかった。
「ああっ!」
元々その為に作られている訳ではないその部分は、侵入してきた異物を中々受け入れてはくれなかった。形良い壬生の眉毛が苦痛に歪む。
「大丈夫か?壬生」
そんな壬生をいたわるように京一は、その額に口付ける。そして先ほど果てたばかりの壬生自身に指を絡めた。
「…くぅ…あぁ……」
苦痛の中にも次第に壬生の声が艶めいてくる。そして手のひらの中の壬生自身も次第に形を変化させていた。
「…はぁ…あぁ…んっ…」
完全に喘ぎが快楽に摩り替わるのを確認すると、再び京一は自身を壬生の身体に埋め込んでゆく。その瞬間身体が強ばったが、前を愛撫する京一の指のお陰で全部飲み込む事が出来た。
「…くんっ…ふぅ……」
「…大丈夫か?……」
心底心配そうな声で京一が尋ねるとその声に弾かれたように、壬生は瞼を開いた。その痛い程の優しい視線が、壬生には嬉しかった。
「…僕は…平気…です…だから…」
懸命にその背中にしがみ付いて、痛みから逃れる。けれどもその痛みをもたらしているのがこの人だと言う事が、何時しか壬生の身体に痛み以外のものを埋め込んだ。
「…だから…きょう…いち…」
「…分かった……紅葉…」
初めて京一は、壬生の名を呼んで。そして、二人で最期の時を迎える為に、最奥まで彼を貫いた。
髪をそっと撫でてくれる指のその感触だけが、自分の世界の全てになっていた。その世界を壊したくなくて、しばらく壬生は意識が戻ったのを京一に知らせなかった。
「…無理させたよな…悪りーな…壬生……」
出来るだけ優しく抱いてやりたかったのに、最期の方は自分の押さえが効かなくなってしまった。気付いた時には彼は意識を失っていた。
「でもお前だから…お前だから我慢出来なかった…」
何度も何度も髪を撫でながら、京一はそっとキスをした。すると意識の無い筈の唇がそのキスに答えてくる。そして。
「…僕は…大丈夫ですよ……」
「…壬生……」
くすっとひとつ笑って壬生が京一の首に腕を廻す。そしてそのまま抱き付いてきた。
「僕がこうなる事を望んだんだ。だから大丈夫です」
「…やっと、笑った……」
「…え?…」
「…やっとお前の瞳、微笑った……」
太陽のような笑みが壬生を捕らえる。そして京一は本当に嬉しそうな顔をして、壬生を力の限り抱きしめた。
「い、痛いです…京一さん……」
「やったっ!やっと笑ってくれたっ!!」
壬生の控えめな訴えを無視して、更に京一は強く抱きしめる。そんな京一に壬生は訴える事を諦めた。諦めて、そして。
「…貴方のせい…ですよ……」
その広い腕の中でそっと、呟いた。
その時初めて、壬生は幸せの意味を知った。
お前の瞳が、微笑むように。
それだけをずっと、ずっと思っていたから。
その瞳が、微笑ってくれる、ように。
「幸せになろうな、壬生」
京一の言葉に壬生は、頷く。その顔は生まれたての子供みたいに、無邪気だった。
End