CANDY

……それはふたりにとっては、当たり前の日常。

「…隼人、隼人…そんなトコで寝ていたら、風邪引くで」
鮮やかな緑の芝生の上で子猫のように丸まって眠る黒崎の髪を、そっと撫でてやりながら劉は彼を眠りの淵から呼び戻そうとする。
「…う…ん…」
しかし黒崎はそんな劉に全く取り合わないとでも言うように、ごろんと寝返りをうった。
「…全くしゃあないな、隼人は……」
劉は軽くため息を付くと髪に触れていた手を頬に滑らせ、ぺちんとひとつ叩いてみた。
「…ん…やだ…もう少し…」
黒崎はその手が煩わしいらしく、顔をいやいやと振ってその手から逃れようとした。
「もう少しったって…隼人…ほんまに風邪引くで」
そう言うと劉はもう一度、今度は少し強めに黒崎の頬を叩いた。劉の嘆きが通じたのか、黒崎はその大きな瞳を閉ざされた瞼から少しずつ覗かせる。
「…りゅ…う?……」
まだ意識がぼんやりしているらしい。目の焦点が全く合っていない。それでも真っ先に劉の名を呼ぶのは、無意識の習慣。
「何ぼけてんや?おはようさん」
黒崎を起こそうと、劉の手が伸ばされる。黒崎はそれに素直に従った。こんな時の黒崎は普段の彼からは想像も出来ない程、素直なのだ。特に、寝起きは。
「…おはよう…劉…」
「おはようさんと言いたいトコやが…今はあいにく夕方や」
「…俺は…未だ寝ぼけているんだ……」
劉の言葉にいささか機嫌を損ねたらしい。黒崎は唇を尖らせて拗ねてしまう。しかしそんな黒崎の仕草ひとつひとつが…劉にとっては堪らなく可愛くて。可愛くてつい、口許を綻ばせてしまう。
「そうか。なんならわいが目、さまさせてやるで」
「…え?…」
黒崎の疑問符は最後まで形を持たなかった。劉の形良い唇が、黒崎のそれを塞いでしまったので。
「…なっ何するんだっ?!」
唇が離れたと同時に慌てた黒崎の声が飛ぶ。その顔は耳まで、真っ赤になっていた。
「何って?わいはただ、隼人を目覚めさせただけやん」
「…め…目覚めさせるって…もっと他の方法があるだろうっ?!」
「でも隼人にはこれが一番、効くやろう?」
悪戯が成功した子供のような瞳を向けながら劉は言ってのけた。その妙な余裕と自信が黒崎は何だか悔しくて。凄く、悔しくて。
「…お前が…したかっただけだろう?……」
精一杯の反撃をしてみたりする。しかし黒崎の墓穴掘りは今に始まった事ではない。もう既に…この時点で勝敗は決していた。
「なんや。わいはただ隼人がして欲しそうな顔してたから、しただけや」
「………」
劉の言葉にただ黒崎は脱帽するしかなかった。ああ言えば、こう言う。本当にこいつは要領がいい。だけど不覚にもそんな所も、自分は惚れてしまっていたりする。
「…お…俺は欲しそうな顔など…してないぞ…」
まだ目尻をほんのり赤くさせたまま、黒崎は上目遣いに劉を睨んだ。その顔がひどく、子供っぽくて。劉にはそんな黒崎の表情ひとつひひとつがどうしようもない程に、愛しかった。
「そうか、そんならわいの欲目ゆうコトか」
そう言うと劉は盗むようにそっと、黒崎の頬に口付けた。今度は前ほどに黒崎は驚かなかった。驚かなかったけれど。
「…何だよ…それは……」
けれども…劉を正視出来なくて…俯いてしまった。そんな黒崎がまた劉にとってはどうしようもない程に可愛くて。そっとその頬に、手を当てる。
「わいには何時も隼人がわいを欲しそうに見えてしまうということや」
何か反論を言おうとして、言おうとして開かれた黒崎の口が閉ざされる。そして諦めたようにため息を一つ付いて。そしておずおずと劉の手に自分の手を重ねて。そして。
「…外れて…ないぞ……」
それだけを言うと再び、俯いてしまった。俯いても耳が真っ赤になっていたから、どんな表情だか劉には手に取るように分かったけれども…。

…確かに劉の言う事は…当たっている。
自分でも無意識に劉を目で追ってしまっているから。何時でも劉を捜しているから。そして何時もそれに気付いた途端、誰に見られている訳でもないのにどうしようもなく恥かしくなってしまうのだ。
恥かしくて悔しくて…でも…でもやっぱり気付くとまた目が追っていて。そんな事を繰り返してばかりいるから。
…繰り返してばかりいるから…気付かれてしまったみたいだ…。

「…だけどキスして欲しいなんて絶対に思っていないからなっ!」
それでもこれだけは反論する。だって悔しいから。やっぱり凄く、悔しいから。
「憶えておくで」
けれどもさっきの黒崎の言葉で満足してしまった劉は、その反論を意に返さず最高に幸せそうな笑顔を自分へと向ける。
…黒崎が、一番大好きなその笑顔で。
だから機嫌が悪いのも悔しい気持ちも、何処かへ飛んでいってしまった。
「それよりも劉、何で起こしたんだよ」
「さっきから言っているやろ。こんなトコで寝てたら風邪引くって…それよりも隼人、お腹空かへんか?」
「…す、空いたかも…」
劉の言葉に空腹を訴えていたお腹が反応したらしく「ぐぅ」とひとつ鳴った。それがまた恥かしくて黒崎は真っ赤な顔で俯いてしまう。
そんな黒崎に劉は苦笑しながらも、とびっきり優しい瞳を向けて。
「どっか食べにいこうや」
手を差し出して黒崎を促す。黒崎はその手を取って、恥ずかしそうに笑った。
「俺やっぱお腹減っていたみたいだ」
「わいはそんな正直な隼人が好きや」
劉の言葉にまた、直りかけていた黒崎の顔が真っ赤になる。
本当に何時も自分はこいつには全敗している。けれども。
けれども本当は俺の方がわざと負けてやっているんだ、と。一人で納得してみたりする。
…これくらい思うぐらい、いいよな。

これも一種の幸せのかたち、だから。




End

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