残月
綺麗な、月。
夜空に浮かぶ月。
紅い、月。
それに魅入られ、そして狂う。
―――君を抱き、僕は狂う……
柔らかい鳶色のその髪を、口に含んだ。そのまま噛み切ろうとして、そして止まった。せっかく手に入れた君を…君を崩す必要は何処にもないのだから。このまま。このまま綺麗な君のままで、僕の手の中に閉じ込めればいい。
髪から唇を離して、ゆっくりとその貌を見下ろす。紅い月の下に映るその貌を。
「…綺麗だよ……」
そう呟いて、その貌を持ち上げた。首から切り落としたその顔を。巧く切れたから何処も崩れてはいない。綺麗なままの、その顔が僕の手の中に今ある。僕だけの手の中に。
「綺麗だよ…蓬莱寺……」
そしてそのまま冷たい唇に口付けた。手のひらにどろりとした血の感触を感じながら。
どうしても自分だけのものにしたかった。
どうしても手に入れたかった。
どうしたら手に入るのか、そればかり考えていた。
―――そればかり、考えていた。
しなやかな野獣のような脚で、君は地上を駆け巡る。
こうやってどんなに手を伸ばしても、僕の腕から擦り抜けてゆく。
君をその場に止めておくにはどうすればいいのか?
君を僕の手元に置いておくためにはどうすればいいのか?
どうしたら君は、僕だけのものになるのか?
―――脚を、切れば、いい……
そうか、簡単な事じゃないか。その脚を切り落としてしまえばいい。そうしたら君はもう何処にもいけないだろう?どこにも行くことが…出来ないだろう?
その後で逃げないように手を切った。
他の誰にも抱かれないように胴体を切断した。
切り刻んで、粉々にして。そして。
そして全てを食らった。この中へと取り込んだ。
誰にも渡したくないから。誰にも奪われたくないから。
君が欲しくて。君だけが欲しくて。
どうしたら僕だけのものになるか、それだけを。
それだけを、考えていた。
ずっと。ずっと、それだけを考えていた。
「…愛しているよ…蓬莱寺……」
綺麗な君の茶色の髪に顔を埋めて。
そしてまだ残る微かな薫りを感じながら。
目を閉じ、その薫りを感じながら。
――――君の残像を…追い続ける……
綺麗な君。前だけを見つめ続ける君。
強い光を放って、そして。そして何よりも綺麗な君。
何時も願っていた、その褐色の肌に。
褐色の肌を犯して、自分だけのものにして。
そして。そして全てを食らい尽くしたいと。
自分だけのものにしたいと、自分だけのものにしたい、と。
ただそれだけを願い、渇望した。
誰からも愛され、そして誰からも自由な君。
君を繋ぎ止めることは、僕には出来ない。
自由な君の脚に枷をつけて、そのまま。
そのままずっと閉じ込めたいと願っても。
君の背中に生えた翼が、幾らでも自由に飛び続けるのだろうから。
だから、切り取った。逃げないように、飛び立たないように。
君を切り刻んで、そして。そして僕だけのものにする。
僕だけの君に、する。誰にも渡したくないから。誰にも、君を。
「…その顔も…唇も…瞳も…全部……」
これが仕上げだからと、君の顔を食らった。
綺麗なままで閉じ込めておきたかったけれど。
けれども誰かに奪われでもしたらイヤだから。
だから全てを。全てを、食らった。
僕の中に君を閉じ込める。永遠に僕の中へと君を閉じ込める。
これでもう誰も。誰も君には触れない。
誰も君に触れることはない。永遠に。
…永遠にこれで、君は…僕だけのもの……
空に浮かぶ月が、紅く染まる。
朱に染まってゆく。まるで。
まるで僕の狂気が静かに満たしてゆくように。
指先から染み込んでくる紅い狂気が、僕をゆっくりと支配してゆく。
その紅に全てを任せながら、僕は祈り願う。君だけを、想う。
…ただ独り…君だけを………
End