deep sea

闇から零れる小さな、光。
その光に手を、伸ばしてみる。
伸ばしてそして。
そして触れたと思った、瞬間。
…その瞬間に、光が消えた……

『共に闇に堕ちるかい?』

差し出された手に、僕は手を伸ばした。
触れられない光ならば、触れることが出来ない光ならば。
それならば、僕は。

僕は闇に堕ちようと、思った。

「貴方は抱かれるたびに、綺麗になるね」
口でそう言いながらも語る瞳は冷たかった。でもその冷たさが熱い身体には心地よい。全身に降り注ぐ冷たさが…気持ちよい。
「貴方にそんなセリフは似合いませんよ、御門さん」
幾ら抱かれても、幾ら貫かれても、冷たい身体。まるで血すら通っていないような、そんな身体。その身体が、心地よい。何よりも、誰よりも。
「そうだね、私もそう思うよ…壬生…」
微笑いながら、口許だけで微笑いながら貴方は言った。貴方が心から微笑う事などきっとないのだろう。貴方が誰かに向かって心から微笑む事など。
…きっと…ないのだろう……
「それよりも、御門さん。もっと」
手を伸ばして貴方の綺麗な顔に触れた。冷た過ぎる綺麗な顔。触れただけで凍えてしまいそうに綺麗な顔。あのひとと、違うなと…思った。
綺麗なのに、綺麗なのに違うなと思った。あの人には何処か、優しさが…光があったから。
「貴方は本当に淫乱だね」
被さるように貴方の唇に口付けた。冷たい唇。冷たい口付け。でもそれが。それが何よりも心地よく感じる僕は、もう壊れているのかもしれない。

深い海の底にいるようだ。
深い深い海の底。
そこから光はほんの僅かだけ。
僅かだけが、差し込んでいる。
けれども。けれども、もう。
その光すら僕の瞳には映らないのかもしれない。

瞼の裏の残像はもう…闇以外に見えない。

「…はぁっ…んっ…」
喉を仰け反って、恥じらいもなく喘いだ。ただの獣になって、本能のままに。
「…あぁ…あっ…」
喉元に歯を、立てられる。その痛みが快楽へと摩り替わるのは一瞬で。本当に一瞬の事で。
後はただただその快楽の波に呑まれてゆくだけで。
その指先の動きに、その舌の感触に、その冷たい視線に。
「…あん…もっとぉ……」
全ての自分の淫らを暴かれてゆく。全ての自分の穢れを暴かれてゆく。
堕ちた、魂。堕ちた、瞳。壊れた、こころ。
「貴方は本当に、淫乱だ。生まれながらの娼婦ですよ」
「…ぁ…あぁ…」
言葉にすら反応する浅ましい身体。ここまで自分を落とし入れて何が楽しいのだろうか?
何も残らないのに。何も残せないのに。ただ堕ちのだけで。
それでも。それでもこうやって貴方とのセックスを望むのは。

僕が闇に堕ちる事を、望んだから。

深い、海。深すぎる、海。
もがいても、もがいても。
何処にも逃げられない。何処にも行けない。
深い、海。
その蒼い闇に呑まれて、壊れてゆく瞳と心。

『貴方を深い闇へと堕としてあげますよ。もう二度と戻れないように』

貴方が、望んだ事だ。
闇に生きる貴方に光は眩し過ぎる。
目を開けていられない程に。貴方の身体を焦がしてしまう程に。
だから堕としてあげた。闇へと。
二度と戻る事が出来ない場所へと。
私の手、で。私の手で。
深い闇の底へと。

でもそれは…貴方が望んだ事だから。

「暗殺者にも、龍麻の魂の双子にも、何も戻れない」
髪から零れる汗の雫が、貴方をひどく綺麗に見せた。私に抱かれるたびに、綺麗になってゆく。闇に染まって闇色の化粧をしながら。
「戻れませんよ、壬生さん。もう何処にも。貴方は私の闇に堕ちたのだから」
「…戻りたいなんて…思いません…」
「本当に?」
その問いに、貴方は微笑う。驚く程綺麗な顔で。
ああ、そうですね。全てのモノに絶望した、何もかもを捨てた人間は何よりも綺麗になる。
今まで持っていた全てを捨てて、縋るものも拠り所も何もかも捨てて。何も持っていない人間の絶望から生み出される、その美しさ。
私は貴方にそれをさせたかった。何もかもを捨てさせて、何もかもを堕とさせて、そして。
…そして、私だけのものに……。

このまま綺麗なまま。
誰にも触れさせず、誰にも見せずに。
からっぼの。からっぽの人形のままで。

私だけの、ものに。

「貴方の『人形』になりたい」
考える事も。想う事も。愛する事も。愛される事も。生きる事も。生かされる事も。
何もかもを捨て去って。何もかもを無くして、そして。
そしてただ呼吸をしているだけの。ただそこにいるだけの。
「してあげますよ、壬生さん。それこそが私の望み」
何も何もない時間軸で。何も何も残らない場所で。そこが。
そこが最後の場所。僕が堕ちた最後の場所。
「もう何も考えずに貴方は私の快楽に溺れていればいい」
差し出された冷たい腕の中に抱かれながら、僕はこころがひどく落ちつくのを感じた。この場所が。この場所だけが、僕が楽になれる場所。
…僕が、堕ちた海の中……

深い、深い、海の底。
そこから何も見えなくなって。
そこから何もかも失って。
何もかも、何もかも。
そして残ったものは。

『自分自身』だけだった。

「貴方を何よりも綺麗な『人形』に……」
耳元で囁かれる言葉が胸に染みて、そして溶けていった。




End

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