感情
無魂性だと、彼は言った。生氣が自分からは発せられないと。だからきっと。きっと自分は何処か感情というものが欠落しているのだ、と。
滅多に笑わないのは、笑えないからだと言った。楽しいと思う感情が自分には沸いてこないからだと。だから笑うという行為が…自然に出来ないのだと。
全てのことが何処かひどく他人事のように思えると言った。どんなに熱い思いが心に芽生えても、常にそれを人事のように見ている自分がいると。心と気持ちが同化出来ない自分がそこに、いるんだと。
後ろから抱きしめて、そのまま首筋に口付けた。その行為に霜葉は抵抗する事無く受け入れる。軽く首筋を噛まれたその痛みに、微かに瞼を震わせながら。
「…奈涸……」
自分を抱きしめる男の名を呼べば、そのまま答えるように指が顎に触れた。そのまま何度か撫でられて、首筋のラインへと指が滑り落ちてゆく。喉仏の膨らみを指が辿れば、霜葉の身体がぴくんっと跳ねた。
「―――月が、綺麗だね…壬生」
言われて開かれた襖の先を見上げれば、漆黒の空に月がぽっかりと浮かんでいた。淡い光を放つその月を『綺麗』だと…霜葉には思えなかった。綺麗と言う言葉の真の意味が、彼には分からなかったから。
「…俺には…分からない……」
ぽつりと呟いた霜葉の言葉に奈涸は口許だけで、微笑う。多分彼が言った言葉は真実なのだろう。感情が欠落している彼には、綺麗と言う本当の意味すら分からないのだろう、と。
「いいよそれで。君はそれで、いい」
分からないのならば分からないままでいい。彼が他に何かに捕らわれるくらいなら、何も知らなくていい。知らないでいて欲しい。自分だけのものにならないのならば、誰のものにもなって欲しくない。
襖を閉めて、その身体を布団の上へと横たえさせた。こうした肌の触れ合いですら、彼は何処か遠い場所で受け入れているような印象を受ける。それでも。
「…奈涸……」
それでも彼は自分の背中に腕を廻す。まるでぬくもりを確認するようにその手を。その行為が何よりも、奈涸には嬉しかった。
「好きだよ、壬生」
囁かれる言葉に霜葉は答える変わりに背中に廻した腕に力を込めた。嫌ではなかった。嫌だとは思わなかった。この男から『好き』だと言われる事が…何時しかひどく心地よいものへと変かしていたから。
「…んっ……」
唇が降りて来る。そのまま舌で唇を舐められた。それに答えるように霜葉は口を開くと、生き物のような舌が口内へと滑りこんでくる。そのまま舌裏を舐められて、ぞくりと背筋が震えた。
「…はぁっ…ん……」
甘い吐息が霜葉の唇から零れる。けれどもそれすらも奪うかのように、奈涸は何度も角度を変えてその唇を奪った。逃げる舌を絡め、そのままきつく根元から吸い上げる。その度に組み敷いた身体が反応を寄越した。びくんびくん、と。
「…んんっ…ふぅっ……」
長いため息と共に唇が開放される。けれどもそれが始まりである事は、霜葉の身体が知っていた。この先にあるのは、眩暈がするほどの快楽だと。
「―――壬生……」
気が付いたことがある。この男に抱かれるようになって、気が付いた事が。貫かれる瞬間、身体を揺さぶられる瞬間、自分がひとつになっている事に。そう…この腕の中でだけは、自分が『ひとつ』になっていることに。
「…奈涸…お前が……」
手を伸ばしてその長い髪に触れた。夜の闇を思わせる漆黒の髪。こうして指先に触れている時、何故かひどく心が落ち着くのはどうしてだろう。どうしてこんなにも、自分は。
「…俺は…きっと…お前が……」
何時も全てが他人事のようで。何時も全てが何処か別世界のようで。自分はここにいるのに。自分はここに存在しているのに、どうしてか。どうしてか、違う場所にいるような感覚。でも。でも彼の。この彼の腕の中でだけは。
――――自分が確かに、ここにいると…実感出来る……
「俺が?どうした、壬生」
額に一つ、口付けられた。そこから広がるのは痛みのような甘さ。それが霜葉の全身に廻り、じわりと溶けてゆく。その言葉にならない心地よさと切なさが、霜葉の心を掻き乱した。
「…きっと俺は…お前のことが……」
その先を言葉にしようとして、何故だか躊躇った。彼が告げてくれるように、そう自分も言えばいいのに。言えば、いいのに。なのに自分にはその言葉がひどく似合わないような、気がして。でも。
「聴きたいな、君の口から」
でも自分を抱くこの男が、微笑うから。ひどく綺麗に、微笑うから…綺麗、に?ああ、そうか。そうかこれが『綺麗』だという事なんだ。
…これが綺麗という言葉の…本当の意味、なんだ……。
手が伸びてきて、髪をそっと撫でられた。その手の感触がひどく霜葉には心地よかった。心地よく、そして。そしてゆっくりと胸に染み込んでくる。一番自分にとって遠い場所である筈のこころ、に。
「…お前のことが…好き…だ……」
そのこころに初めて素直になった。初めてこころが自分の一番近くへとやってきた。あれだけ抵抗のあった言葉を、自分に不似合いな言葉を口にして。口にして、そして。そしてやっと開放された自分がいた。
「ああ、壬生…俺も…君だけが好きだよ」
何に開放されたのかは分からない。何から解かれたのかは分からない。けれども自分は今確かに。確かに、自分を縛っていた鎖から…解かれたのだ。
他人にこころを奪われるという事が。誰かがこころに住むという事が。
本当に自分には分からなかった。本当に自分には必要なかった。
戦いの中でしか生きられない自分にとって、他のものが。その他のものが。
必要とせずに、いやむしろ持つことすら許されないものだったから。
だからこんな風に。こんな風に、暖かで優しい想いが自分を包み込むという事が。
自分を包み込み、満たされるという事が…自分には分からなかった、から。
胸元が肌蹴られ、薄い胸に口付けられる。そのまま舌先で胸の果実を転がされ、霜葉の睫毛が小刻みに震えた。
「…あっ…あぁん……」
口許から零れる甘い吐息に、奈涸は満足げに微笑む。自分の舌と指が彼にその声を出させる事が…何よりも嬉しかった。
「…はぁっ…あぁ…奈…涸……」
手が伸びてきて、奈涸の髪をくしゃりと乱す。その指先が震えていて、それが奈涸には愛しかった。震える指先が、何よりも。
胸の果実を口に含みながら、舌で何度もソレを嬲る。開いたほうの胸も指の腹で転がし、彼の性感帯を煽った。小刻みに痙攣する身体を抱き寄せながら、舌を、指を下腹部へと滑らせてゆく。
「―――ああっ!!」
びくんっ!と身体が、跳ねた。奈涸の口が霜葉自身を含み、そのまま舌で形を辿る。指は広げられた脚の付け根を辿り、何度も行き来を繰り返す。その間にも自身は生暖かい口中に含まれ、痛いほどに張り詰めた。
「…あああっ…ああん…奈涸……っ」
とろりと奈涸の口中に先走りの雫が零れて来る。それを感じて、一端霜葉自身から唇を離した。そしてそのまま顔を上げ、ゆっくりと霜葉の身体の中に割り込む。
「…奈…涸っ……」
中途半端な状態で愛撫を止められた霜葉がもどかしげに彼を見上げた。その瞳は快楽に潤み始めていて、ひどく綺麗だった。夜に濡れた瞳が、綺麗だった。
「―――綺麗だね、壬生」
腰を掴まれて、脚を開かされる。入り口に硬いモノが当たった感触に、一瞬霜葉の身体が竦んだ。幾ら行為を慣らされても、入れられる痛みは中々消えることがなかったから。それでも。それでも霜葉は奈涸の背中に腕を廻し、そしてその拡張を受け入れようと腰を浮かせた。
「…綺麗だよ…俺だけのものだ……」
そして。そしてひとつ唇を塞ぐと、そのまま奈涸は霜葉の腰を自らに引き寄せた。
「―――あああっ!!!」
貫かれる痛みに、喉を仰け反らせて喘いだ。そのくっきりと浮かび上がる首筋に流れは一つ唇を落とすと、霜葉の身体が痙攣した。それを確認しながらゆっくりと、奈涸は自らをその身体に進める。ズズズと濡れた音と共に、霜葉の中に彼の熱い塊が入ってきた。
「…あああっ…あぁっ!…奈…涸っ!……」
「…壬生……」
「…ああっ…ああんっ…!……」
ぐちゃぐちゃと繋がった個所から濡れた音がする。その音すら霜葉の身体に火を付けた。全身が性感帯になったように、快楽を逃さないようにと求め続ける。何もかもが分からなくなるくらいに。
そう、何もかもが分からなかった。今はこの熱を感じることしか、この腕を肉を、感じることしか。
それは確かに自分自身が『今』感じていることだった。遠い場所から見ているのではなく、今自分が。この身体が、この心が、感じていることだった。
「…好きだよ…壬生…俺は君を……」
「…ああああ…ああ……」
自分が今感じていること。この腕に抱かれ身体を貫かれ、そして。そして重ねあう鼓動を感じていること。それが。それが何よりも。何よりも今、自分自身が想っていること。
「愛しているよ、壬生」
「ああああっ!!!」
他の誰でもない、自分自身のこころが、感じていること。
ここにいると、この腕の中にいると。気が付くことがある。気付くことが、ある。
それは今まで自分が知らなかったもので、自分が必要としていなかったものだった。
けれどもそのぬくもりを、その優しさを、与えられて。与え、られて。
…本当は自分が、それをこんなにも求めていたことに…気が付く……
抱きしめられて眠る心地よさを、知ってしまったから。髪を撫でられ抱きしめられるぬくもりを、知ってしまったから。
「…奈涸……」
見上げればそこにある漆黒の瞳が。そこにある穏やかな瞳が、何よりも。何よりも自分の心に降り積もるのだと。自分の心に降ってくるものだと。
「どうしたんだい?」
だからもう。もう自分は…この腕を、手放せない…手放せないと気付いてしまったから…。
「…いや…ただ……」
―――ずっと…そばにいてくれ……
声にしようとして言葉にならずに。ただ自分を見つめる霜葉に、奈涸はそっと微笑って。微笑ってそして。そしてひとつその額に唇を落とした。
…ずっと君のそばにいると、こころで呟きながら……
End