……傍にいて、ずっと。ずっとお前を護りたいと思った。
そしてそれ以上に、傍にいたら何時しかその全てを奪ってしまうと。
全てを奪って食らい尽くして、何もかも自分の中に取り込んでしまうと。
…そう、思ったから……お前を抱くのは、怖かった。
お前が幸せなら、それだけで良かった。
「…やめっ…いぬかっ……」
京一の言葉は最期まで、声にする事は出来なかった。その声は犬神の唇によって奪われてしまったので。
「…んっ……」
強引に割り込んできた舌が、京一のそれを絡めとる。根元から吸い上げると、耐え切れずに京一は犬神の背中にしがみ付いた。
「…ふぅ…んっ……」
何時しか京一の口からどちらのものとも分からない唾液の筋が伝ってゆく。その感触が京一の背筋を、瞼を震わせた。
じわりと、身体の芯から何かが込み上げてくる。
けれども犬神はそんな京一を解放せずに、より深く彼の口内を求めていった。
「…はぁっ……」
やっとの事で唇が、開放される。その頃にはもう、京一は一人で立っている事が出来なかった。
犬神の広い背中にしがみ付き、もつれる足を必死で支える。
そんな京一を抱きとめながら犬神はざらついた舌で、口許から零れる唾液を舐め取った。
「…やめ…くすぐった…い……」
口許から顎そして首筋の滑らかなラインへと、犬神はゆっくりと舌を這わしてゆく。その度に舌と同時に牙が当たって、
京一の吐息を甘くさせる。
…犬神の牙の感触を…知っているのは俺だけだ………
「…蓬莱寺……」
それが犬神の今日初めての、言葉だった。突然唇を奪われて、自分勝手に行動を始めた犬神の。最初の言葉、だった。
「…何だよっ……」
それが悔しくて、上目遣いに犬神を睨んだ。睨んでみて、視線を逸らした。
睨んだ先の犬神の瞳は…行為とは裏腹に……哀しく、見えたから。
「…抵抗、しないんだな……」
何時もの自分だったらきっと。きっとこんな事を許しはしない。それこそがむしゃらになって抵抗しただろう。でも。
でも、今は。
「…しねーよ……」
今の犬神は。何故だかひどく、哀しく見えたから。だから。
「…だってお前、被害者みたいな顔…してんだもん……」
……とても傷ついた瞳を、しているから………。
ずっと分かっていた事だった。
お前とは生きてゆく時間が違うから。
でも。それでももしも叶うのならば。
ずっと傍にいてこの手で護りたいと思った。
でもそれ以上に。それ以上にこの爪が、この牙が、お前を傷つける。
見掛けよりもずっと脆くてそして強いその魂を。
自分の全てで傷つけると、思ったから。
だから、俺は怯えている。
……こうして身体を重ねてゆく事に………。
「…あっ…」
くっきりと浮かび上がった鎖骨にきつく口付けられて、京一は耐え切れずに甘い吐息を零す。
それを確認すると犬神はその牙を立てて、所有の証を刻んだ。
「…バカ…付けんなよっ……」
「何故?」
「…見つかった時…言い訳できねーだろ……」
今にも噛みつきそうな瞳で睨んでくる京一に、犬神は苦笑を隠しきれない。京一のこんな瞳が、好きだった。
何時も真っ直ぐ前だけを見つめて。自分の欲しいものに関しては何処までも貪欲な。そして、何よりも負けん気の強い。
「…何、笑ってんだよっ……」
「いやお前は…素直だなと思って……」
そう言ったかと思ったら、その唇が京一のそれに重なる。そのキスが思いがけず優しくて。
これは、ずるい。そんなキスをされたら自分は何も言い返せなくなる。
「見ていて飽きないよ、蓬莱寺」
耳元で囁かれる低く少しだけ掠れた声。そして軽く耳たぶを噛まれた。その感触にまた京一の身体が鮮魚のように跳ねる。
京一の弱点を知り尽くした犬神の、ささやかな意地悪だった。
「…バカっ…そんな事でおもしろがるんじゃねーよ……」
「…あっ…ん……」
犬神は京一の胸の果実を口に含むと、それを舌先で転がした。
その度に牙が当たって敏感なそこは、それだけでぴんっと張り詰めてしまう。
「…やめ…そこ…あっ……」
空いている方の胸までも犬神の指先に征服されて、京一は喘ぎを堪える事が出来なかった。
何時しか胸の果実は、紅く色づいていた。
「…あぁ…ん……」
最後に長い吐息が零れて、京一は胸の愛撫から開放される。
けれども京一が一息付く間もなく、犬神の指は京一の身体を滑ってゆく。的確な愛撫に京一の身体が跳ねるのを確認しながら。
「あっ!」
偶然に辿りついたとでも言うように、犬神の指が京一自身を捕らえる。
そこは既に先程の愛撫によって、微妙に形を変化させていた。
「…あっ…あぁ……」
何処をどうすれば京一を喘かせる事が出来るかなんて、犬神にはたやすい事だった。
その爪は、その牙は、いとも簡単に京一を追い詰めてゆく。
「…はぁ…あ……」
意識が次第に呑まれてく。もう、どうでもいいと思える程の。それは激しいまでのエクスタシー。
「…あぁ…あっ!」
けれどもその意識はぎりぎりの所で戻される。それは皮肉にも、その状態をもたらした犬神の手によって。
「…あっ…やだっ…いぬが…み……」
犬神は京一の限界まで膨れあがったそれを、自らの指で塞いでしまう。
先端からは開放を求めて、先走りの雫が零れ始めていた。
「…やだっ…あぁ……」
塞いだまま犬神はそこへの愛撫を続けた。それはもう京一には、拷問としか思えなくて…。
「…あぁ…もう……」
快楽も限界を超えれば苦痛でしかない。今はただこの状態を開放してほしくて。それしか考えられなくなって。
「…もう…やだ……」
快楽のためなのか苦痛のためなのか、京一の目尻から一筋の涙が零れ落ちる。
そんな京一の涙を犬神はそのざらついた舌で拭った。
「…瞳を、開けろ。蓬莱寺……」
瞼に口付けながら、犬神は呟いた。けれども意識を呑まれた京一にその言葉を理解する事は出来なかった。
出来なかったけれども。
「…あ…いぬが…み……」
でもその声がひどく、切なくて。そしてまるで刃物のように京一の胸に突き刺さるから。だから。
「…蓬莱寺……」
だから、見つめた。快楽に濡れた瞳で。ぼやけた視界で。その突き刺さる声を確認する為に。その瞳を、確認する為に。
「……あぁ……いぬ……」
その深くて暗いその瞳を、見つめる為に。
気が遠くなる程の永い時間の中で、自分が見つけたたったひとつの光。
他に誰も代わりになんて出来はしない。誰一人、代わりになんてなれはしない。
それが瞬きする程の時間でしかないとしても。
確かに自分は、見つけた。
……自分だけのたったひとつの、小さな命を。
「…くぅ……」
濡れた指が京一の最奥へと忍び込む。けれども狭すぎるそこは、中々異物を受け入れようとはしなかった。
「…ふぅ…んっ…」
そんな京一を宥めるに、犬神は彼の唇に口付ける。
舌を侵入させ、意識をこちらへとすり返させると、そのまま一気に指を根元まで引き入れた。
「…んっ…んん……」
何度も挿入を繰り返しながら、京一のそこを馴染ませてゆく。犬神は決して焦らない。何時もそうだ。
性急に自分を求める事は決してしない。
「…んっ…あ……」
唇が開放されたと同時に、京一の口から甘い吐息が零れる。それを合図にして犬神は侵入させる指の本数を増やしていった。
「…あっ…あ……」
それぞれ勝手気ままに動く指に、京一は悩まされる。押し開くように曲げられた指に、ぴくりと京一の身体が跳ねた。
「…はぁ…あ……」
やっとの事で指が引き抜かれる。けれどもその喪失感にすら、京一の身体は反応する。
そんな彼に犬神は口許だけで、微笑って。
「…いいか?蓬莱寺……」
ひどく優しい声で、犬神は尋ねた。それを京一が拒めないと、知っていながら…。
分かっている、これは自分勝手な我が侭だ。
それもかなり子供じみている。
でも。それでも。
自分の事を見ていてほしいと。自分だけを見ていてほしいと。
分かっている、自分とは生きてゆく速度が違う。環境が違う。
それでも。それでも…。
たとえ一瞬でいいから、自分だけを見ていてほしいと。
「ああっ!!」
指とは比べ物にならない大きさに、京一の眉が苦痛で歪む。
その額に口付けながら、犬神は苦痛を和らげる為に京一自身に再び指を絡める。
「…あっ…ああ……」
苦痛と快楽の狭間で、京一は身悶える。それがひどく、犬神の欲情を誘った。
「…ああ…あ……」
何時しか京一の爪が白くなる程に、犬神の背中へと食い込む。けれども犬神は構わずに、京一の身体を征服してゆく。
「…あぁ…あああ……」
ゆっくりとでも確実に、犬神は京一を手に入れてゆく。それはまるで染み込んでゆく、透明な水のように。
じっくりと、この腕の中へと。
「…蓬莱寺……」
犬神は苦しい程、優しい声でその名を呼ぶ。そして。
そして最期の時を迎える為に、最奥まで一気に貫いた。
もしも、こんな俺の願いでも神様が聞いてくれるなら。
こいつからこの暗い瞳の色を消してやりたい。
捕らわれている時間の鎖を解いてやりたい。
こんな顔をさせたくねーのに。
なんでかな、俺はいつもこいつにこんな顔をさせてしまう。
本当は…笑っていてほしいのに。
俺の前では笑っていてほしいのに。
なんでだろーな。何時も何時もお前は俺を苦しそうに抱くんだ。
どうしてなんだろう。
…俺は…お前の腕の中が一番…安心出来るのに……
お前は、違うの、かな?
「…なぁ、犬神……」
気だるい身体を持て余しながら、自分を抱きしめている犬神に声を掛ける。
瞼はひどく重たくて睡魔が襲っていたけれども、それでも必死でそれを堪えながら。
「なんだ?」
「…いや俺…お前のこと…けっこー好きだなぁって…思って……」
京一の言葉に彼にしては珍しい程…いや多分京一が見るのは初めてだった。驚愕の表情を浮かべる、犬神など。
それは本当に一瞬の事で。瞬きする程の時間でしかなかったけれど。でも。
「…お前のそんなトコ……好き…だぜ……」
でも京一は、見逃さなかったから。そんな僅かな変化でも、決して見逃さなかったから。
…だから……
犬神は、微笑った。それは京一が今、一番見たかったものだった。
…願いは、たったひとつだけ。
…お前が幸せで、いてくれるように……それだけが、願い。
End