牙を、立てた。背中に立てて、そのまま引き裂いてみた。
そしてそこから滴る血に、舌を這わす。
「止めろっ犬神…やだっ」
お前が暴れるからだ。俺の手から逃れようとするからだ。だから俺は…牙を立てた。
「…もう俺に触れるなっ!」
力の限り俺を振り払い睨み付けるその瞳。灼熱の太陽の瞳。俺は…その瞳にどうしようもなく焦がれた。
焦がれて、そして狂わされた。
「…もう俺に……」
太陽から、零れる雫。お前の涙。何故、泣く?俺から逃れたいのだろう?俺から逃げたいのだろう?それなのに何故泣く?
「…俺に……」
泣くな。お前の瞳が曇るから。お前のその澄んだ瞳が。太陽の光全てを吸収してそして輝くその瞳が。
……その瞳が……曇るから………
「俺に…触れるな…」
触れるな、これ以上。俺に触れないでくれ。俺の心に入ってこないでくれ。
お前が俺の心臓を掴んで、お前が俺の魂を掴んで鷲掴みにするから。だから。
だからもう、俺に触れないでくれ。掴んで離さないお前の腕が、俺を苦しめる。その冷たい無機質な腕の感触が。
「…触れる…な……」
涙が、零れる。自分でもいやになるくらいに、熱い涙が。これが俺の気持ちなのかと思うと、益々自分が惨めになった。
こんなにも俺だけがお前を想っている…そんな惨めな自分が。
零れ落ちる涙。
お前の瞳から零れる光。
零れ落ちてゆく光の粒子。
その全ては俺のものだ。俺だけの。
…俺の…俺だけの…太陽…
「…痛い……」
お前はそれだけを言った。背中に広がる紅の華とむせ返る匂いの中で。それだけを。
ただ一言だけ、そう。それだけを、言った。悲鳴も上げずに驚愕もせずにただ。そして。
そして俺の背中に腕を廻して…廻して、笑った。
「…蓬莱寺…」
何よりも眩しいその瞳で、お前は笑った。太陽のように…いや太陽よりも眩しい笑顔で。
「いてえよ、犬神」
笑った。今まで見たどんな笑みよりも綺麗な笑みでお前は俺に向かって笑った。
ねっとりと絡みつく血の中で、おまえの笑顔だけが、俺の光になる。
「すまん」
背中に舌を這わせ、その傷口を舐め取った。お前の、血。俺が飢えを憶える程渇望
したお前の血。今それに、触れている。
…初めて…初めて…お前は俺に対して態度を見せてくれた。
何時も俺だけがお前を追いかけていたから、俺だけがお前を追い続けていたから。
だから。だから今、こうやって。
お前が俺に対して見せてくれた「欲」が嬉しかった。
「構わねーよ」
…俺は、幸せだと…今本気で、思った。
幸せだと、お前に愛されていると。お前に求められていると。それが。それが何よりも。
俺が一番欲しかった、もの。
「犬神、もっと」
俺が、欲しかったもの。
「もっと噛めよ。血、欲しいんだろ?」
お前が求めるのが俺の血ならば。他の誰でもない俺の血、ならば。
「血よりもお前が欲しい」
「俺の何が欲しい?」
「全てが欲しい」
全て、お前の全て。
その手もその髪もその瞳も、その身体も爪も何もかも。
血も肉も器官も光も魂も全て。全てお前と名の付くものは。
俺のものに…俺だけのものに…
「愛してるか?俺を。だったら奪えよ、全部。そうしたらお前のものになってやる」
そのお前の相変わらずな言い方に俺は声を出して笑った。
こんな風に笑う日が来るとは二度とないと思っていた。もう二度とないと。でも俺は今。今、心底笑っていた。
…ああ、どうしようもない程に俺はお前に惹かれている。
「奪ってやるさ、すべてな」
お前の笑った顔を俺は初めて見た気がする。お前がこうやって自分の『本当』を曝け出してくれるのを。
俺は、初めて今お前の真実に触れた。
「ああ、いますぐ奪えよ」
…お前の真実に…触れた……
End