どうして生きているのか この俺は
そうだ狂いだしたい 生きてる証が欲しい
癒される事の無い乾き。
喉元を流れる体液、そして血液。
幾ら飲み干しても、幾ら貪っても。
満たされる事の無いこの飢えは。
どうしたら、治まるのか?
神経は落ちてゆくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ
月と同じ色をした、紅の瞳。
そこに映る漆黒の深い闇が。深すぎるその闇が。
俺の全てを呑み込んでゆくようだ。
呑み込んで取り込まれて、そして。そして俺は消えてゆくのか?
…お前の中に…溶け込んで…ゆくのか?……
深い森に迷い お前の名を呼ぶ
「…いぬ…がみ……」
手を伸ばして、お前の髪に触れた。見掛けよりもずっと、ずっと柔らかい髪に。指先に何時しか馴染んだその髪に。
「………」
名前を呼んでもお前は答えない。俺が呼んでいるのに、答え無い事が許せなかった。この俺がお前を呼んでいるのに。
「犬神」
だからもう一度その名を呼んだ。俺の声がお前に届かないのは許せない。そんな事絶対に許せない。
俺が呼んでいるんだから。俺が、お前を。
「…あっ……」
けれどもお前は俺の声に答えずに、その牙を俺の喉元に突き立てた。そのままずぶりと牙が肌にのめり込む。
その鋭い痛みを、けれども俺は不思議と痛いと思わなかった。恐怖も無かった。
ただ牙が肉に食い込むその感触だけが俺の神経を支配した。
「…痛い、か?……」
牙が離れてゆく感触に俺は何故かひどい喪失感を覚えた。お前の牙が俺から抜けてしまう事を。
お前の名の付くものが俺から引き抜かれてゆく事を。
「…痛てーよ、バカ……」
名前を呼んでも答えなかったくせに、こんな事を聞いてくるお前が嫌いだ。
俺が呼んでも答えなかったくせに、変な所で気を使うお前が。
…そんなお前が…嫌いだ……。
逃げ出す事もできない 立ち止まる事も知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに
このまま、飲み干したい。
その首筋から流れる血を。紅い血を。
このまま、食らい尽くしたい。
その柔らかい肉を。甘い肉を。
俺の体内にとり込んで、そして全てを貪ったなら。
俺はこの飢えと乾きから逃れる事は出来るのか?
…ソウシタラ…俺ハ…永遠ニ…オ前ヲ失ウ?……
紅い月が闇に隠されてゆく。
お前の瞳も闇に溶けてゆく。
漆黒の闇、深すぎる闇。
俺が覗いても決してその底を見る事の出来ない闇。
深く沈むその闇の底に。
どうしたら、触れる事が出来る?
…触レテシマッタナラ…俺ハモウ二度ト…戻レナクナル?……
抱いて慰めてくれ そう甘く
だめだ溺れてしまう 優しい君の中
「痛てーよ…犬神……」
それでもお前は俺の髪に絡めた指を外さない。少しだけ唇を尖らせながら、不貞腐れながらそれでも俺から離れない。
「血が出ちまっただろうが」
上目遣いに睨んでくる瞳。それは灼熱の太陽を思わせる。真っ直ぐに見つめ返せば焦がされてしまいそうな強い視線。
「噛み切りたい」
不意に零した言葉は俺の本能から湧き上がる衝動。噛み切ってしまいたい。
俺にとってその瞳は眩し過ぎる。闇に生きる俺にとってその瞳は。
渇望と絶望が紙一重となって、俺を捉えるその瞳。
焦がれた、太陽の光に。眩し過ぎるその光に。恐れた、太陽の光に。強過ぎるその光に。
「何を噛み切りてーんだよ」
「お前の瞳」
「…それは、駄目だ……」
何故だと聞く前にお前の唇が開く。微かに瞼を震わせながら、お前は言った。
『だって俺がお前を見ていられなくなるだろうが』
誰も泣きたいはずだろう 優しくきっとされたいはずさ
何もかもが全て、暗闇の中に。
全てが漆黒の闇の中に塗り潰されて。
そして何もかもが消滅したならば。
そうしたら、この飢えすらも消え去ってくれるのか?
でもお前は闇には堕しない。
お前を闇に堕とす事は出来ない。
どんなにお前をその漆黒に染めようとしても。
強い光は全てを遮断する。全てを弾く。全てを遮る。
闇の中。お前の闇の中。
光を持たないお前。闇に生きるお前。
一緒に、光の中へといけたならば。
俺はこんなにも苦しまずにすんだ。お前と一緒にいけたなら。
一緒に、闇の中へと堕ちれたならば。
俺はこんなにも切なくならなかった。お前と一緒に堕ちれたならば。
どうしてそれだけの事が、俺達には出来ない?
ただ一緒にいたいと願っただけなのに。
熱い肉の軋み お前にこの愛
「お前の自分勝手な所が嫌いだ」
精一杯お前を睨みつけても、何時もお前は簡単にかわしてしまう。お前にとって俺はただのガキでしかないんだろうな。
お前の長過ぎる命の流れの中で俺はほんのひとときの存在でしかない。
そう思う事は自分が惨めになるから嫌だった。自分を否定するようで嫌だった。
けれどもそう思う事で、俺はお前と言う存在を心の中から追い出そうとしていた。
お前の存在が俺にとってこれ以上大きくならないようにと。
「俺の気持ちなどお構いなしに勝手にヤルだけヤって…俺が名前呼んだのに返事しねーし…」
「優しくして欲しいのか?」
その言葉の真意は俺には分からない。お前の瞳は深すぎて、俺には読み取る事が出来ない。深すぎて、その闇は。
「今更優しくされたって気色わりーだけだよ」
「そうだな、今更だ。それに」
「…それに…何だよ?…」
『…優しくしたら…互いに離れなれなくなる……』
生きる事はできる 消えていくすべを知らない
この手伸ばしている お前を愛しているのに
離れる?
口にしてみて意外なほどにそれはすんなりと言葉になった。
そんな選択肢など俺は考えた事が無かった。
お前は必ず俺よりも先に死ぬ。
俺を置いて死んでゆく。それならば。
それならばその前にお前と離れるべきなのか?
…離れる?……
離れるくらいなら、俺が。
俺がお前の肉体をこの中に取り込んでやる。
お前の全てを俺の中に、取り込んでやる。
ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命
離れられる訳ねーよ。
お前が俺から、離れられる訳なんて。
だって俺が離れられない。お前から離れられない。
それなのにお前が。
お前が俺から離れるなんて、そんなの。
そんなの許せない。
そうなる前に俺が…俺がお前に食われてやる。
お前が欲しいものなんて俺には手に取るように分かる。
俺の肉が血が、欲しいんだろう?
だったらやるよ、全部やるから。
だからお前の中に俺をとり込んでくれ。
どうして生かされているのか この俺は
そうだ叫び出したい 生きてる証が欲しい
「離れられる訳ねーよ」
お前はまるで全てを確信しているかのようにそう言った。何時もそうだ。
なんの根拠もないのにお前の言葉は確信に満ちている。そして、それは全て俺の胸に突き刺さる。
「だってお前俺が欲しいだろう?」
髪に絡んでいた指が自らの首筋に移動するとそこにこびり付いた血を掬った。そして俺の目の前に差し出す。
「俺の血、飲みたいだろう?」
差し出した指を舐めた。そこにこびり付いた血を舐めた。そして。そして指を噛み切った。
「そうだな俺は…お前が欲しいんだ…」
噛み切った指先から流れ落ちる血を余す事なく舐めとって。そして血の匂いの消えない唇でお前の唇を塞ぐ。
唾液と血液が交じり合った口内で、互いの舌を弄り合った。
神経は落ちてくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ
生きている、生かされている。
死ぬことは許されない。約束だけが俺を地上に止めている。
けれども今。今俺を地上に止めているのは。
…お前だ…蓬莱寺……
熱い皮膚の裂け目 吹き出すこの愛
生きてほしい。生かされてなんてほしくない。
お前の意思で生きてほしい。約束も何も俺は知らない。
お前を縛りつけている約束なんて俺は知らない。だから。
…だからお前の意思で…生きてくれ……
消える事はできる 生きてゆく意味知らない
この手伸ばしている
「…はぁっ…いぬ…がみ……」
どんな理由でもいい。お前が望むように。
「…蓬莱寺……」
誰のためでもなくお前自身の為に。
「…あぁ…ああ……」
その為に生きて欲しい。
背中に爪を立てた。白くなる程に強く。
身体の最奥にお前の熱を受け入れながら。
その熱い塊を感じながら。
この熱を信じたいと思った。
この生身の感じる熱さを、俺は。
…お前の意思だと…そう……
逃げ出す事もできない 立ち止まる事も知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに
『お前を食らい尽くしたい』
それすらも俺にとっては意味ある事だ。
そうその欲望すらも…俺が生きている証。
俺が生きたいと思った理由。
「逃げてやるよ」
快楽に息を乱しながらも、お前は俺に告げた。
「お前が退屈しねーように。お前が生きていたいと思うように。逃げてやる」
しなやかな野獣のような瞳で。獣のように激しい瞳で。
「だからずっと俺を追いかけろ」
俺に告げる。絶対的な強さを持った瞳で。
ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命
『…俺だけを…見ていろ……』
End