夢のあとさき

何処にも…いかないで、と。
ひとりにしないで、と。
声に出して言えたらならば、良かった。
 
…初めて貴方の腕の中で、眠りについた時。
これが夢なのではないかと思って眠る事が出来なかった。
何度も何度もそっと目を開けて、貴方の存在を確認した。
 
…貴方の腕の中が幻でないように…
 
「…起きたのか?…」
「…あ……」
自分のいた場所に…驚かされた。貴方の腕の、中。
今まで幾度と無くこうした夜を過ごしてきたけれども、その腕の中に抱かれて眠る事など一度も無かった。
「…先生…どうして?…」
「何をそんなに驚いている?」
「だって…」
何時も行為の後はまるで他人のように醒めた顔で、自分から離れて行ったのに。
そしてそんな貴方に僕は妙な安心感と安定感を覚えていたのに。
「お前が離れなかったたらだ。ガキみたいに泣きじゃくって、そのまま眠ってしまったからな」
「…そのまま…眠った?」
「あまりにも深く眠っていたから、起こすに起こせなかった」
どんなに身体を重ねても、例えその場限りの関係でも。
僕は他人と共に過ごした夜をぐっすりと眠れる事がなかった…あのひとの、腕の中でさえ……。
僕の髪を飽きる事なく撫でてくれたあの指先も。何度も口付けをくれたあの唇さえも。
僕は不安で眠る事が出来なかったのに。
どうして、貴方の腕の中で僕はこんなにも安らかに眠れたの?
…どうして、こんなにも。
「また泣くのか?」
手が伸びてきて、髪を撫でられた。その瞬間何故か僕の身体は、構える事がなかった。
人に触れられる瞬間、僕は必ず警戒をしてしまうのに。何故か今は自然にその手に身を、委ねた。
「そんなに僕は泣いていましたか?」
「ああ、手におえなかった」
相変わらず醒めた顔で無関心な顔で、貴方はそう言った。
でも何故だろう…今の貴方のそんな顔が、僕にとって不思議と何処か優しく見えたのは…
…気のせい、だったのだろうか?

ふと、思った。
このままこの腕の中で永遠に眠れたらと。
そう思う事が、許されない相手のはずなのに。

壊れた身体と壊れた心。
何もかもが壊れている。それでも必死でこいつをこちら側に繋ぎとめているのは。
…繋ぎとめているのは……
やっぱり『愛』なのだろうか?

「先生」
呼んで、みた。何時ものように。そして見返す瞳は何時もと変わらない。深い深い闇。
その奥底を覗きこもうとしても、決して自分には捕らえる事の出来ない闇。
「何だ?」
「先生、好き」
「それは嘘だろう?」
「嘘じゃないかもしれませんよ」
「本気ならばお前はもう壊れている」
「まだ壊れてはいませんか?」
「…まだお前は愛を信じているだろう?」
「貴方を好きになる事は、愛を信じない事なのですか?」
「……俺が信じていないからだ………」
そうなのかもしれませんね。とそう言おうとして、止めた。心の何処かで貴方にも愛があると思いたかったのかもしれない。
でも…でもどうしてそんな事を思ったのだろう?
「先生が誰かを愛したら…壊れますか?」
「俺が壊れると思うか?」
その言葉が何だか可笑しくて、笑った。そして拒まない唇に口付けた。相変わらず煙草の匂いのする口付け。
でもそれが今は…今はひどく安心する。
「やっぱり僕は先生が好きです」
「うそつき、だな」
それ以上ふたりは何も言わなかった。背中に腕を廻して、互いを求める。それが全てだとでも言うように。

この腕に抱かれている時だけが。
…自分の全てを曝け出せると気付いたのは…何時だった?

「…あっ…あぁ…」
貫かれた痛みと快楽に壬生の目尻から涙がひとつ零れ落ちる。それは闇の中でひとつだけ光るものだった。
「…せんせぇ…あんっ…」
背中に廻した指が爪を立てる。広い、背中。強くて全てを包み込んでくれる広い広い背中。
でもこのひとの背中は自分を包み込んでくれる事は絶対にありえない。
このひとが他人を優しく包み込むことは。このひとが誰かに愛を囁く事は。
でもそこが好き。誰も誰も好きじゃないから。僕も好きじゃないから。
僕の事もどうでもいいと思っているから。だから、好き。
僕の存在をただのちっぽけなものにしてくれるから好き。
「…もっと…もっと…」
誰にも、誰にもこんなに激しく求めた事はなかった。自分から求めた事など。
ただ何も考えずこうして自分の欲望のままに貫かれたいと思うのは。
…そう思うのは、貴方の腕の中だけで。
「…ああ…あ……」
舌を伸ばして犬神のそれに壬生は自ら絡め取った。犬神はそれに答えるように淫らに吸い上げる。
「…んっ…んん…ふぅ…」
何も考えずに、何も考えられずにただ。ただ快楽だけを貪るただの獣。でもそれが自分の本来の姿なのかもしれない。
こうして淫らに雄を求める姿が。
「…名前…」
「ん?」
「…名前で…呼んで…先生…」
「呼んだらお前はまた泣くだろう?」
「…呼んで…せんせぇっ……」

「…紅葉……」

何故、名前を呼んだのだろう。
最初はただの暇つぶしだった。
暗殺者として俺を殺しに来た男。そして俺を殺せなかった男。
こうして捕らえて、退屈凌ぎに抱いているだけなのに。
それだけの筈なのに。
どうしてお前の望みを叶えてやった?

「…先生……」

腕の中で、お前は微笑った。
初めて俺の前でお前は。
本当の子供のような笑顔を見せた。

夜の闇。夜よりも深い貴方の闇。
「ずっと貴方の傍にいたいといったら、信じてくれますか?」
この闇に何時しか安らぎを覚えていた。不思議なほどの安らぎを。
「…今は、信じてやる……」
貴方の、匂い。煙草の匂い。この香りに包まれる事が。
「お前が闇に堕ちたいと、本気で思い始めたとな」
こんなにも落ち付くものだと、気づいたのは?

そして僕は貴方の隣で眠りに落ちる。初めて手に入れた安心して眠る事が出来る場所に。



End

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