紅の月に抱かれながら、貴方の夢を見る。
鮮やかな紅の色彩と、むせかえる血の匂いだけが。
目覚めた時の、全ての記憶になる。
今日も月は目が覚めるほど、鮮やかな色彩をしている。
「…先生……」
手を伸ばして、貴方の髪に触れる。見掛けよりもずっと柔らかい髪。
その感触が指に馴染んだ頃、僕は『生きる』意味を見出していた。
貴方の闇の色よりも深い漆黒の瞳。その瞳に何時か自分の姿を映し出したいと。
捕らえて欲しいと、それだけを望むようになっていた。
「好きです」
何度も何度も、言葉にして貴方に告げても。貴方に届くことはない、永遠に。届かなくてもいい。
もしもこの想いが届いてしまったのなら、僕は生きる事すら放棄してしまうから。
…永遠に誰のものにもならない貴方が…好き……
「先生だけが、好き」
その唇に口付けようとして、そして寸での所で止めた。
もしも貴方に口付けてしまったのならば、唇が触れてしまったのならば僕はきっと全てを失うのだろう。
永遠に安定しない関係。永遠に結ばれない想い。それがふたりにある『永遠』だから。
「俺の何処が好きなのか?」
全部、と唇の動きだけで答えた。全てが好き。貴方の低い声も、煙草を無造作に吸う姿も、何もかもが好き。
他人を全て拒絶しながらも、惹きつけずにはいられないその瞳も。深すぎる闇も。全て貴方に捕らわれたいとそう願っていた。
捕らわれて、そして全てを奪われて、何もかもを失いたいと。何もかもをなくしてしまいたいと。
…そう僕は、何時しか『自分自身』を失いたいと思っていた。
「先生の腕の中が、好き。先生に抱かれるのが好き」
熱い腕の中で冷たい指先が僕の身体を滑る瞬間が。熱い吐息と冷たい瞳が、何よりも好きだから。
「ふ、要は俺と寝るのが好きなんだろう?」
「先生が望む答えです」
唇だけで微笑うのも、嘘だけで言葉を綴るのも、全部。全部貴方の為に覚えた。
貴方が僕から消えないように、僕を捨てないようにと。
貴方の望む都合のいい『人形』になる為に。
「ならば望み通り…抱いてやるよ…」
貴方の腕の中に堕ちて、そして初めて知った。幸せと狂気が紙一重だと言う事を。
貴方の、夢を見る。
漆黒の闇の中で、光る瞳。獣の瞳。
ぎらぎらと野獣のように光るその視線に。
何時しか貫かれたいと思った。
心臓を抉って、傷つけて、透明な血を流して。
そして、そして。
貴方に残酷に殺される夢を見る。
そんな光景を、僕は心の底で夢みている。
首筋に口付けられただけで、睫毛の先が震えた。
「…あっ……」
首筋のラインをざらついた舌が辿る。野獣のような舌。背筋がぞくりとする程、それは甘い陶酔。
「…はぁっ……」
貴方に抱かれるようになってから声を殺す事を忘れた。拒絶する心を、羞恥心を忘れた。
貴方の指先は、腕は鋭い刃物となって僕を暴いてゆく。僕の身体を、心を。そして魂を。
全てを暴き出し、僕はただの『生き物』になった。
理性もモラルも何もかもがなくなって、自分を覆い尽くす孤独も淋しさも冷たさも狂気も何もかもが剥ぎ取られて。そして。
そして僕は『僕自身』だけになる。何かも奪われた僕は、ただの『自分』以外何も持たなくなっていた。
ただ欲望のみに生きる、ケダモノになっていた。
「…あ…んっ……」
唇が鎖骨に辿りつく。その窪みに牙を立てられた。
普段は見えないその牙を今自分が味わっているのかと思うと、どうしようもない程の歓びが生まれる。
このまま抉られてそして、そして肉までも食らい尽くされたい。
「…先生…もっと…」
甘い声でねだるのも、背中に回した腕で爪を立てるのも。全部、全部貴方の為に覚えた。
こうやって媚びる事を貴方の為に、覚えた。
「…もっと噛んで……」
「血が出るぞ」
「構わないです、もっと僕の中に来て」
頭を抱かえて強く鎖骨に押し当てた。その瞬間ずぶりと音がして、牙が肉に食い込んだ。
その鋭い痛みが僕にとっての甘い陶酔だから。
…眩暈がする程の……しあわせ……
「…あぁ…先生……」
「このまま肉を抉り取ってやろうか?それとも血を飲み干すか?」
「…どちらも…どっちも…貴方の望むままに……」
血の、匂い。むせかえる程の甘い匂い。自分の血が甘い匂いがするなんて今まで知らなかった。
僕にとって血は、ただ生と死を判別するものでしかなかった。それ以外の何も意味を持たないものだった。
けれども今。今この血の匂いに満たされる事が、どうしようもない程の歓びになる。
鎖骨から溢れ出る血が僕の身体を滑ってゆく。その跡を舌で辿られる度に、僕の身体はぴくりぴくりと震えた。
このまま。このままもっと僕の中まで来て、抉って欲しい。
貴方の夢だけを見ている。
夢などみた事などなかった僕が。
僕が初めて見た夢は、貴方に食らい尽くされる夢。
この腕も足も首も頭も、全部。
全部貴方が食らい尽くす夢。
もう二度と目覚めたくないと思った。
紅の月。貴方の背中越しに見える月。
貴方と同じ、色。紅の夢。紅の幻。
「ああっ!!」
貫かれた瞬間、意識が一瞬真っ白になる。けれども次に訪れたのは激しいまでの快楽の波。
「…あぁ…ああ…」
鎖骨から流れる血は止まらない。止まらないまま、血まみれの僕を貴方は抱く。
僕が傷つこうが、死のうがきっと貴方にはどうでもいい事なのだろう。
それでももしも。もしも少しでも貴方が僕を気にかけたのならば、それは僕にとっての幸せになるのだろうか?
もしも貴方が僕に少しでも優しくしてくれたのならば、僕の心は満たされるのだろうか?
…きっと…僕は幸せになれない…僕は満たされはしない……
見たくない。貴方が誰かを愛する姿を。貴方が誰かに心を許す瞬間を。貴方が誰かに優しくする瞬間を。
僕は見たくない。例えそれが僕自身であろうとも。
貴方は誰の手にも届かないで欲しい。貴方は誰のものにもなって欲しくない。貴方の愛を誰かに注いで欲しくはない。
…貴方は誰のものにもなって…ほしくない……
「…あ…ああ…もっと…先生…もっと…」
熱い楔に撃ち抜かれる度に、眩暈を覚えそうになる。遠ざかりそうになる意識を必死で繋ぎとめて、貴方の熱を追った。
「…もっとぉ…いっぱい…いっぱい…ちょおだい…」
「欲張りなヤツだ」
「あああっ!」
もっともっと奥まで入ってきて。もっともっと深い部分まで僕を抉って。
身体がふたつに引き裂かれるくらい、僕を激しく貫いて。
「…せんせぇ…あぁ…全部…せんせぇ……」
好き。大好き、どうしようもない程に。貴方を愛している。愛している?愛??これは愛なの?
ううん、愛なんかじゃない。愛なんてそんな優しいものじゃない。そんな暖かいものでもない。
そんなもので満たされるような想いじゃない。
そんな生易しいもので片付けられるのならば、魂まで抉られたりしない。
違う、違う。もっともっと深くて醜くて、穢たないもので、そしてもっと正直なものだ。
もっと生々しくて、もっと本能的な。綺麗なものなんて何一つない。
だからこれは『愛』なんて生ぬるいものじゃない。
「…僕を…埋めて…もっとぉ…あああ…」
遠ざかる意識、零れてゆく記憶。その中で僕の血だけが瞳に鮮やかに映った。
そして甘い香りが、僕を包み込む。
「ああああっ!」
どくんっと音がしたと同時に体内に熱い液体が注ぎ込まれる。その全てを僕の浅ましい器官は飲み干そうとしていた。
「…はぁっ…あぁ……ん…」
一度欲望を吐き出してもその楔が僕を許すことはなかった。適度な硬度を保ち僕の中を引き裂いている。
「まだひくひく言ってるぞ、お前のココは。浅ましいな」
繋がったまま貴方の指が僕の双丘の入り口を撫でた。その度に僕の内壁は埋められた肉を締めつける。
「…だって…先生のだから…先生のだったら幾らもらっても…足りない…」
「ならばこのままお前が果てるまで貫くか?」
「…果てるなんて…そんなの甘いですよ」
「ならば」
「ならば死ぬまで、貫くか?」
…死ぬまで?…いいえ…死んでも…。
屍になっても貴方で満たされていたい。
そうしたらきっと。
きっと僕は『幸せ』になれるから。
でも貴方は屍になった僕を、たやすく捨て去るでしょうね。
そしてそれを僕はまた心の何処かで望んでいる。
「貫いて、そして。そしてこのまま僕を食らい尽くして」
貴方の中に入っていけたなら。
貴方の肉となり血となり骨となれたなら。
貴方の体内に永遠に組み込まれたならば。
…貴方と…ひとつになれたならば……
「お前の最後の望み、叶えてやろう…紅葉……」
初めて、名前を呼ばれた。
初めて貴方の口から、貴方の声で。
僕の名前を呼んでくれた。
それはどな言葉よりも激しい呪縛。
貴方から逃げられない、逃げることの出来ない、強い呪縛。
「…せんせぇ……」
貴方は誰のものにもならないから。だから僕を貴方のものにして。
貴方の中に取り込んで、貴方の一部にして。
もしも貴方が僕のことを忘れてしまっても、傍にいられるように。
『僕』と言う存在が永遠に貴方とともにいられるように。
…貴方の傍を僕が漂えるように……
「…貴方のモノに…なりたい……」
腕を、伸ばして。貴方の髪に、触れて。
触れて、そして。そして、初めて。
貴方の唇に、触れた。
最初で最後のくちづけ。
それは。それはむせかえる程の血の匂いにまみれながら。
切なくなる程に甘いものだった。
End