ぼさぼさの髪だって。
よれよれのネクタイだって。
しわくちゃの白衣だって。
俺にとっては。
俺にとっては何よりもカッコイイヒーローなんだ。
「どうした?黒崎」
煙草を咥えたまま、見下ろしてくる漆黒の瞳に不覚にも俺はびくりとしてしまった。
その奥に優しさが含まれているのは知っているけれども…それでもやっぱりちょっとだけ怖いと思ってしまうのは…
どうしてだろうか?
「何でもないです、先生」
強がって言ってみても、ちょっとだけびくびくしている自分が情けなかったりする。ナンか俺ヒーロー失格だなぁ。
「ふ、そうか?」
先生は口許だけで微笑って、口に咥えていた煙草を灰皿に置いた。そして。
「のわりには震えているのは気のせいか?」
き、気のせいですっ!と言う前に。その前に言葉はその口の中に閉じ込められてしまった。
煙草の味のする、キスだった。
皆は冴えないって言う。
あんなのの何処がいいんだ?とも言われた。
それでも。それでも俺にとって先生は。
先生はとっても大事な人だから。
大切な、大切な、俺のヒーローだから。
「ちょっ…先生っ……」
生物室の広い机にそのまま押し倒される。そのひんやりとした感触に俺はびくっとしてしまった。
ちょっとだけ情けないと思いながら。
「ん?何だ」
「…こ、ここは教室ですっ……」
「こんな時間、誰もいない」
「だからって…こんな場所で…」
「お前がここにしかこないからだろう?」
「…先生?……」
「お前に会えるのはここだけだから仕方ないだろう?」
仕方ないとか言われても…それでも流石に教室は恥かしい。こんなトコで…そして万が一誰かに見つかったりしたら?
…そう思いながらも心の何処かで…喜んでいた…。
先生が俺を気にかけていてくれた、事に。なんか俺ってゲンキンなヤツなのかも、しれないな。
「…じゃあ…先生……」
「何だ?」
「……や、優しく…して…ください……」
聞こえないほどの小さな声で言ったのに。それなのに、先生にはちゃーんと聞こえていた。
だって先生は俺の言葉を絶対に聞き逃したりしないから。
「…んっ…ふぅ……」
牙が、当たる。口の中に先生の牙が。先生が人間ではない証拠。何時しか俺に教えてくれた。それも突然に。
『俺は人間じゃないぞ、黒崎』
真面目なのかどうでもいいのか良く分からない表情で。そんな先生に俺は無邪気にカッコイって言った。
そうしたら先生は笑ってくれた。初めて先生の笑った顔をあの日俺は見たんだっけ。
『カッコイイか?ハハハハ…そう来るとはな…でもそれがお前なのかも…しれんな……』
なんて、言って。そしてキスしてくれた。その時初めて先生の牙の感触を知った。
今まではずっと隠していたらしい。隠さなくても構わないけれども、聴かれるのが面倒くさいから隠していたと。
先生は初めて俺に本当の事を教えてくれた。
「…んんっ…ふぅ……」
バカみたいだけど俺、嬉しかった。先生は何も言わないから。先生は俺に何にも言ってくれないから。そんな先生が。
初めて俺に『本当』の事を教えてくれた。だから凄く、嬉しくて。
「…零れてるぞ…」
「…あっ……」
先生の舌が俺の顎先から伝う唾液を舐めとってくれた。ざらついた舌の感触。人とはちょっと違う。
でも俺にとっては何よりも大事な感触。
「…ごめんなさい…先生……」
「ふ、まだまだヒーローにはなれんな。こんなんじゃあ」
冗談ともつかない言葉で先生は言うと、またキスをしてくれた。また牙が当たったけれど。
その感触が何よりも大好きな俺だけのもの、だから。
「…あっ…ん……」
胸に、鎖骨に、足に。牙と唇が当たる。痛みと甘みと快楽と。
その全部が俺の全身を支配して。支配して眩暈と痺れを起こした。
ごちゃごちゃになって、訳がわからなくなるくらいに。それでも俺は必死になって先生の背中にしがみついた。
俺がしがみ付いたら益々白衣がしわしわになっちゃうよな、なんて余計な事を考えながら。
それでも。それでも今、俺が縋る場所はここしかないから。
「…ぁぁ……」
先生の、白衣。先生の、ネクタイ。先生の、煙草の匂い。どれもこれもがとっても俺にとっては大事なもの。大切な、もの。
「お前は何時も声を堪えるな。無駄だと分かっているだろう?」
「…で、でも…恥かしい……」
「恥かしいなら、咥えていろ」
先生は一端俺の身体から手を離すと自分の襟元に持って行き無造作にネクタイを外した。
そしてそのままネクタイを俺の口に咥えさせる。
「これで声が漏れないだろう?」
「…だ、ダメ…です……」
「どうしてだ?」
「…先生のネクタイ…汚れちゃう……」
「構わん。ネクタイくらい…それにこの方が俺も楽しい」
「楽しいって何ですか?」
「言葉通りだ。咥えとけ」
「…んっ…ふぅ……」
俺にネクタイを咥えさせたまま、先生は俺の身体を手に入れていった。
「…ふう…んんんっ……」
先生のモノが入ってくる前に俺はその愛撫だけで達してしまった。
先生と一緒にイキたいと何時も思っているのに、俺の身体はすぐに反応してしまう。
俺は何時も堪え性がないとバカにされていた。でもそれ以上に。それ以上に先生が巧いせいだと…思う……。
「…ふぅ……」
「どうした?黒崎」
潤んだ瞳で先生を見つめたら、先生は尋ねてくれた。
本当は気持ち良くって涙が出てしまったのだけど…先生はなんか誤解したみたいだ。
「苦しいのか?」
そう言って口の中のネクタイを取ってくれた。本当は違うのだけれども。
でも、ささやかだけど俺に向けてくれた先生の優しさだから。俺は。
…俺は無償に嬉しくなって、先生に抱きついた……
「ふ、じゃあこうしよう」
と言って先生は俺の唇を塞いだ。そして塞いだまま、先生は俺の中に入ってきた。
「――――っ!」
先生のは大き過ぎて慣れる事はなかった。何時も入れられる度に痛みが伴って泣きたくなる。けれども。
けれどもそれ以上に俺の身体は知っていた。その後に来る激しい快楽を。
先生のリズムに揺らされて俺は意識が何時も無くなってしまう。
何もかも分からなくなって、必死に先生にしがみついて、何度も求めてしまう。
「…んんんんっ…んん……」
意識が真っ白になってゆく。もう限界が来ている。哀しいけどまだ。まだ先生と一緒にはイケそうにないみたいだ。
…やっぱり今回も…俺が…先に……
俺の好きな、先生。
大好きな、先生。
誰にも分からなくて、いい。誰にも分かってもらえなくて、いい。
俺だけが知っている。
先生がどんなにカッコ良くて、どんなに優しいか。
何よりもカッコイイヒーローだって。
俺が、知っているから。
…俺だけの、大好きな…先生…だから……
「また、気を失ったか」
室内の明かりは月の光だけが頼りだった。その闇の室内に犬神の煙草の火がひとつ、灯る。
「…ふ…まだまだ、だな……」
そして誰も知らない、優しい笑顔をひとつ向けるとそっと。
そっと犬神は黒崎の髪を、撫でた。
それは黒崎だけが知る事になるたったひとつの、笑顔。
End