何時も一緒にいたいな、って思う。
けれどもその反面。
何時もそんな事を自分が考えていると思われるのがイヤで。
…イヤだから……
何時も一緒にいたくないって口に出してしまう。
本当はずっと、見ていたいのに。
「どうした?黒崎」
声を出さなかったのに、こちらに振り返らなかったのに、先生は俺の名を迷わずに呼んだ。それが…ちょっと嬉しかった。
「あ、いや…別にその用事がある訳じゃなく…その…」
ここで素直に顔が見たかったって言えたなら俺も少しは進歩出来るのだが、どうしても言えない。
言ってしまったら先生に何だかバカにされそうな気がして。
「ふ、そんな事聞いてない」
ゆっくりと先生は振り返ると口許だけで笑った。俺はこの先生の笑い方が好きだった。口許だけで器用に笑う唇と。
そして、不意に和らぐその瞳と。何時も何時も眼鏡の奥でただ鏡のように反射している瞳が、ふっと暖かさが灯るその瞳が。
…俺は、とっても大好きで……。
「言い訳は、いい。来い」
それだけを言って腕を広げた先生に、俺は耳まで真っ赤になりながらこくりと頷いた。
初めはなんてバカな奴だろうと思った。すぐに他人に騙されるし、すぐに人を信用する。
生まれたてのガキみたいな瞳をきらきらと輝かせながら、俺を見つめる。そんな瞳がうざったいと。けれども。
けれども何故か放って置けなかった。あまりにも簡単に他人に騙されるから、逆に目が離せなかった。
そして。そして俺が人外の物に変身する姿を見た時、お前はやっぱり生まれたての子供みたいな瞳をきらきらと、させて。
『先生っかっこいいっ!!』
と言った。本当に、純粋な瞳で。
…そんな事を言ったのは、お前が最初で最後だ……。
煙草の匂いが、する。煙草なんて悪しき物は抹殺するべきだなんて昔は思っていたのに。今は。
今は俺、この匂いがどうしようもない程に好きになっている。
先生の、匂い。先生の、香り。今はこの香りに包まれる事がどうしようもない程の安心感を覚えるようになっていた。
「どうした?顔が真っ赤だぞ?」
もう一歩俺が前に進めば、その腕の中に包み込んでもらえる。けれどもそこで俺は情けない事に立ち止まってしまうのだ。
ここぞと言う時に素直になれない。
「あ、熱いからです。この部屋が」
「困ったな、これからもっとお前は熱くなるのに」
「…ど、どう言う意味ですかっ?!先生」
「言葉通りだ」
そう言うと先生は一歩踏み出して、俺を腕の中に包み込んだ。その途端俺は無意識に笑ってしまった。つい、嬉しくて。
でも次の瞬間先生と目がかち合って思わず胸に顔を埋めてしまう。
「何笑ってる?」
「笑ってなんかないですっ!!」
精一杯否定してみても顔を上げる事が出来ない。だって俺…先生の腕の中にいるのが一番幸せなんだから……。
全てを拒んでいるように見えるその腕は、けれども一度その中に包まれてしまえばそこは何よりも暖かくて、
何よりも安心出来る場所だと気付いたから。
だから俺は。俺はこうされるのが何よりも…大好きだ……。
「ならば顔を上げろ」
「…い、今はダメです……」
「何故?」
…顔が真っ赤で恥かしいからです……心の中で呟きつつも、それを言葉にする事が出来なかった。
ただただ、どうしようもない程に恥かしくて。
本当に俺って全然進歩がないなぁと、思う。何時になったら先生と対等になれるんだろうか?
…って一生ムリな気も…するけれども……
「まあいい。お前の口から聞けないのなら他の言葉を吐いてもらうからな」
そう言うと先生はそのまま俺を冷たい机の上に押し倒した。
こうやって先生と会えるのはこの生物室だけ。
この小さな部屋だけが先生と俺の場所。
こうして生徒のいなくなった他校に忍び込んで、先生に俺が会いに行く事だけが。
それだけが、俺と先生を繋ぐ唯一のもの。
…少し…淋しいと…思った……。
「…あっ…先生……」
唇から零れるのは甘い吐息と、俺を呼ぶその声だけ。
必死に背中にしがみついて、跳びそうになる意識を堪える姿は見ていてそれなりに楽しめる。
「…あぁ…あ……」
入れる前の愛撫だけで、こいつは時々意識を飛ばしてしまう。まだまだだなと思う反面、その慣れてなさが逆に新鮮だった。
こいつの性格をそのまま現しているようで。
「もうイクのか?」
びくびくと震えながら先端に先走りの雫を零し始めた自身を、わざと柔らかく愛撫してやる。
するとこいつは堪らないと言ったように唇をしかめるのだ。
「あ…やだ…先生……」
「イヤなのはこうされる事か?それともイケない事か?」
答えられるわけのない質問を俺はわざと聞いてやった。すると予想通りにこいつはいやいやと首を振るだけで答えられない。
何時までたってもこいつは素直にならない。どうして、一言を言わないのか?
…言えば、いいのに……
何が欲しいのか?何がしたいのか?どうして欲しいのか?
「…ぁ…あぁ…もぉ…先生……」
「どうして、欲しいか言え」
聞きたいと、思った。お前の口から聞いてみたいと。その口から、聞いてみたいと。
あの時のように。あの瞬間のように。
子供のような瞳で俺に『かっこいい』と言った、あの瞬間のように。
一緒に、いたい。
何時も一緒にいたい。
何時も先生を見ていたい。
先生に見つめてもらいたい。
俺からだけじゃなくて。先生からも。
先生からも、俺に。
俺に会いに来て、貰いたい。
それって俺の…我が侭…かな?
「…先生…俺…欲しい……」
飛びそうになる意識と、混濁する中で俺は。俺は何時しか言葉を零していた。
言えなかった、言葉を。どうしても言えなかった言葉を。
「…先生が…欲しい…」
「やっと、言ったな」
俺が覚えているのはそこまでだった。先生の言葉と、そして。そして何よりも優しい先生の笑顔が降って来る。
唇が塞がれたと思った瞬間に。
俺が望んでいるモノを先生は与えてくれた。
「…あああっ…あっ……」
喉元を反り返して俺の中で喘ぐ姿に。どうしようもない程の愛しさを感じた。
こんなガキに俺は何を思っているのだろう。こんな子供に。それでも。
それでもこんな子供だからこそ。俺の乾いた心を潤してくれたのかもしれない。
「…はぁ…あんっ…あ……」
俺が拘っていた重たい闇を。お前はそのきらきらとした瞳で全部ふっ飛ばしてしまったから。
俺が縛られているものですら、お前にとっては『かっこいい』の一言で。
全部、全部くだらないモノへと代えてくれた。
…先生と…一緒に…いたい……。
俺は夢の中で呟いた。夢の、中で。
こんなにも夢の中でなら俺は素直になれるんだなあ、なんて。
なんて他人事のように思いながら。そして少しだけ。
少しだけ素直になれた自分に喜びながら。そして。
そしてちょっとだけやっぱり恥かしいなぁ…と思いながら。
「聞いたぞ、ガキ」
腕の中ですやすやと眠る黒崎を見つめながら犬神はぼそりと呟いた。そしてそっと、黒崎の髪を撫でてやると。
「寝言で言うくらいなら、俺に直接言えよ」
それだけを言って犬神は視線を窓の外へと移そうとして、その視線が不意に止まった。
何時しか黒崎の手がしっかりと犬神の髪を掴んでいたのだ。
「おい?」
けれども犬神が声を掛けても黒崎は答えることはない。聞こえてくるのは微かな寝息だけだったから。
「ふ、しょうがないな」
犬神は誰にも見せる事のない笑みを浮かべると、そっと黒崎を抱き寄せた。そして。
そして、言う。誰に聞かせる訳でもなく。けれども聞かせたい言葉を。
「…やっと…お前の口から…聞けたな……」
End