月夜


……紅い月夜が、全てを狂わせる。

「…あっ…やめっ……」
褐色の肌が月の光に照らされて、妖しく蠢く。そんな京一の姿を犬神はくすりと一つ笑いながら、見下ろした。
「…止めて、欲しいのか?蓬莱寺……」
胸の突起を口に銜えながら、犬神は囁いた。そのたびに京一の敏感なそこに歯が当たり、彼の身体をぴくりと震わせた。
「…やだ…人が…来たらっ……」
「来たら、見せてやるだけだ。俺に抱かれてるお前の姿をな。そして…」
身体中を滑る犬神の指が、舌が、京一の理性を奪ってゆく。奪って…そして……堕ちてゆく……。
「お前が俺のものだと、知らしめてやるだけだ」

……どうしても、欲しいと、思った。
手に入れたいと、自分だけのものにしたいと。
閉じ込めて、繋いで。そして。
……そして、離さない。 

人気の無い教室内に、響くのは自分の淫らな声だけだった。それが嫌で京一は瞼を閉じる。
しかしそんな京一を犬神は容赦無く攻め立てた。
「…あっ…あぁ……」
先走りの雫を流し始めた京一自身に犬神は舌を這わす。
どくんどくんと脈立つそれは、先端に歯を立てただけで、あっけなく果てた。
「…早いな……」
くすりと口許だけで微笑う犬神が憎たらしくて、京一はその頬を叩こうとする。
しかしその手は犬神のそれに掴まれて、目的を果す事が出来なかったが。
「じゃじゃ馬なのもいいが…飼いならすのが、大変だな」
「俺は、馬じゃねーよっ!!」
「お前は、俺のものだ」
それだけを言うと犬神は噛みつくように口付けた。舌を絡めると、牙があたる。
その痛みに慣れてしまった自分は、何時しかその感触が無いと物足りなくなっていた。
……犬神以外の口付けを…受け入れられなく…なっていた……。
「…んっ…ふぅ……」
身体に馴染む指。的確な愛撫。肌にあたる不精ひげの感触も。どれもこれも、自分の全てが記憶している。
どうしてこんな風になってしまったのか。
……何時から自分はこの手を離せなくなっていた?
「…ふぅ…んっ…あっ……」
透明な糸を引きながら、唇が離れた。それが顎から鎖骨へと伝う。犬神はそれを舌で綺麗に舐め取った。
そのたびにぴくりと京一の身体が揺れる。
「…何で……」
快楽に潤んだ瞳が犬神を見上げてくる。その瞳を食べてしまいたいと、犬神は思った。
そうしたらその網膜に焼き付いている最後の姿は自分になる。
「…何で、あんた…なんだろう……」
京一の両手が犬神の髪を掴むと、自らへと引き寄せた。その手には痛い程強い力だった。
「……あんたの手が…いいんだろう………」
京一の言葉に。犬神は答えなかった。答える変わりに……抱きしめた………。 

…きっとお前には、分からない。
永遠とも思える時を独りで生きて行く事の虚しさに。
愛する者が先に死んでゆくその宿命の哀しみに。
分からないだろう…お前だけが年を取り屍になってゆく。
それを見届ける以外何も出来はしない自分の無力さに。
……今だけでいい。この腕の中に閉じ込めたいと思うのは。 

俺の勝手な我が侭なのか? 

「…あああっ……」
深く抉られて、京一の口から悲鳴とも取れる喘ぎが零れる。何かに捉まっていないと崩れてしまいそうで京一は手を伸ばす。
しかしここは何時ものベッドの上ではない…。
掴まれるのは、犬神の背中だけ。この広い背中だけが…自分の唯一縋れるもの。たったひとつ、自分が…縋れる、ひと。
「…あっあぁ……もぅ……」
目尻から零れる快楽の涙をざらついた犬神の舌が舐めとった。その瞬間また、牙があたる。
その感触だけが呑まれてゆく意識の中で、京一の意識を引き止めていた。
「…蓬莱寺…このままお前を貫き殺してしまいたいな……」
「…い、いぬ…かみ……あぁっ………」
もしも貫かれたまま、死ねたら?ぼんやりとする意識の中で京一は思った。そうしたら?
「…あぁ……あ……」
そうしたら、自分はもしかしたら幸せなのかもしれない………

「…お前は、残酷だな……」
意識を失ってしまった京一の汗でべとついた髪を撫でながら、犬神は呟いた。
「俺がどんなにお前を求めているのか気付かないくせに…無意識に俺に縋る……」
多分愛していると囁いても。その本当の意味の半分も理解していないだろう。それでも。
「…俺がどんなに…お前を……」
…それでも……。

……紅い月だけが、全てを見ていた。 



End

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