蒼い海
冷たい頬に、口付けた。
冷たい唇に、口付けた。
愛していると、何度も何度も言葉にして。
何度も何度もその冷たい身体を抱いた。
―――お前はもう、俺を見ないのに……
『…ひーちゃん…ずっと一緒に…いたかった……』
そう言って伸ばされた腕の細さに、俺は泣いた。声を上げて泣いた。
骨まで透けて見えるその腕の細さに。
『…ずっと…お前と……』
だったら。だったら傍にいてくれ、京一。俺はお前がいないと、生きていけない。
―――生きて、いけない……
そんな陳腐なセリフを本気で自分が思う日が来るとは思わなかった。どうしてこんな時にこんなつまらない言葉しか、自分の脳裏に浮かんでこないのか?
それでも。それでも今の俺は、それ以外の言葉が浮かんでこない。
『…ごめんな…ひーちゃ……』
謝らないでくれ。謝るくらいなら傍にいてくれ。俺の傍に、傍にいてくれ。愛しているから。愛している、お前だけを。
お前を抱きたい。この腕に抱きたい。その褐色の肌に口付けて、そして。そして、お前の中に欲望を吐き出したい。その身体を無茶苦茶にしてやりたい。
でも。でもそうしたらお前は、壊れてしまう。―――壊して、しまう。
何故運命は俺からお前を引き離そうとする?俺はお前以外何も望まなかったのに。それなのに、何故?何故…俺からお前を……。
『…ひーちゃ…ん…愛し………』
……ピピ……機械の電子音が消えてゆく音だけが俺の耳に届いた。
体温。暖かい、命の感触。
それを。それを分け合いたいから。
分け合いたい、から。
だから俺はお前に口付ける。
冷たい身体を余す事なく、口付ける。
「お前の、足の指」
冷たい白い部屋から、奪ったこの身体。誰にも渡さないお前は俺だけのもの。
「お前の爪の、形」
誰にも…神様さえも…渡しはしない……。
「お前の、足首。お前の、腿。お前の……」
舌を這わし、何度も口付けた。蘇らない体温を、それでも蘇らせたくて。
「…京一…京一……」
どうして。どうして、俺からお前を奪う?
「抱かせて、京一」
こんなにもこんなにも、愛しているのに。お前だけを愛しているのに。
「…ヤラせて…京一……」
愛しているのに。心臓を抉られるほどに。こころを毟り取られるほどに。
全身の毛が逆立って、ぞくぞくした。お前を想うだけで。お前を愛するだけで。
―――そんな想い…誰が、分かるのか?
…誰にも分かりはしないだろう?こんな愛……
犯した。俺は、死体になったお前を犯した。
冷たい身体を、犯した。
冷たいお前の身体の中に、俺の熱い精液を注ぎ込んで。
注ぎ込んで、そして。そしてお前の身体に熱を。
―――命の、暖かさを……。
海が、見える。蒼い海が。
この空と同じ蒼い海が。
お前に何よりも似合うもの。
太陽の光と、蒼い海。
焼けつくほどのその光と。
眩しいほどの海の色。
ああ、全部。全部お前のものだ。
海に還りたいって何時も言ってたよな。
ここじゃない本物の蒼い海のある場所へと。
だったら。だったらその場所を、捜そうか?
ふたりで、捜そうか?
蒼い海と、空と。そして太陽のある場所へと。
「なぁ…京一……」
―――俺、何処でもいいぜ
「蒼い海のある場所へ行こう」
―――お前と一緒なら、何処だって
「ふたりで、行こう」
―――何処だって、構わねーよ、ひーちゃん
「一緒に、行こう…な、京一……」
―――お前と…一緒なら……
――――ふたりで『いる』事が何よりも大事…なんだからよ……。
さ迷い、そして歩き続け。
お前の屍を腕に抱き。
多分その姿は修羅だっただろう。
多分その姿は狂気以外のなにものでもなかっただろう。
でも、それで。
それで構わない。
他人にどう映ろうが、他人にどう見られようが。
この腕に抱くのは、お前なのだから。
だから例え、この屍が腐敗し、溶けても。
溶けて、どろどろになっても。
これは何よりも愛したお前なのだから。
蒼い、海。きらきらと輝く海。
綺麗なものだけを閉じ込めたその蒼。
そこで、ふたり。ふたりで眠ろう。
深海魚のように、深い海の底で。
誰にも邪魔されずにふたりで。
―――水底の透明な時間軸にふたり、閉じ込められよう……。
End