愛するひとへ

―――手首を、切ってみた。

ぽたり、ぽたりと、血が零れて。
それが俺の皮膚に塗りたくられてゆく。
生暖かい、血。
そして忌まわしい、血。
俺の血が欲しくて俺に抱かれようとする女達。
俺の血のせいで繰り返される戦い達。
バカらしい。こんなモノで。
バカらしい。俺が『黄龍の器』だからと言う理由それだけで。
それだけでこの血を欲しがる輩を。
そんなモノ俺にはいらない。
俺が欲しいものはそんなものじゃない。
俺が欲しいものは、ただひとつ。
―――ただ、ひとつ。

太陽の匂いのする身体。
陽だまりの匂いのする髪。
その身体を抱きしめて、そして髪に顔を埋める。
お前の体温と、お前の匂いを。
この腕に、この指先に、刻み込んで。
刻み込んでそして瞼を閉じた。

止まらない血を見つめながら死ぬのかと思った瞬間。
お前の泣き顔が浮かんできて、切なくなった。


ひーちゃん。
お前の、螺旋の運命の中で。
俺は、必要だった?
お前にとって俺は、必要だった?
お前にとって俺は、必要な存在だった?
…ひーちゃん……。
身体を重ねた数だけじゃあ、ダメなのか?
唇を重ねた数だけじゃあ、ダメなのか?
それだけでは理由にもならない。
それだけでは答えにならない。
俺は。俺は、知りたいんだ。
緋勇龍麻にとって、蓬莱寺京一は必要な存在なのかを。

知りたいんだ、俺は。
俺はお前にとって迷惑な存在ではないかと。

運命の女を、その存在を捨ててまでも。
俺を抱くお前。俺を愛していると言うお前。
黄龍の器である事よりも緋勇龍麻である事を選んだお前。
その手を差し出した存在が俺で。
俺で本当にお前は後悔していないのかと。


「血、止まらない…京一……」
血まみれの手首をお前の目の前に差し出した。その瞳が驚愕に見開かれ、そして揺れる。綺麗だ、ね。そんな瞳ですら、俺はお前に欲情するよ京一。
「…ひーちゃん…何でこんな……」
今にも泣きそうな怯えた瞳。でも強い光だけは決して失う事のないその瞳。綺麗だ。お前は、哀しいくらいに綺麗だから。
「何となく、手首切りたくなった」
「何となくって…そんな事したら死んじまうだろーがっ!」
怒りに肩を震わせながら、それでも瞳は不安げに泣きそうで。お前のそう言った真っ直ぐな正義感は俺にとって眩しくて、そして羨ましかった。
俺は何時からかそう言った本当に自分にとって必要なものを、失くしてしまったのだろうか?
ただ今は、器用にこなす事だけを考えていた。自分に与えられた役割を上手にこなす事だけを。それだけで充分だろうと。
―――京一…お前のひたむきさが…俺には眩しいよ……。
「そんな事、考えもしなかった」
「…ひーちゃん……」
「考えたのは、お前のことだけだよ」
血まみれの腕のまま、そのままお前を抱き寄せて抱きしめた。暖かい身体。何時でも子供のように体温の高い身体。俺の腕の中で生きている命。大事な、もの。何よりも大切なもの。
「お前の事考えてたら、手首切りたくなった」
「―――どうして?」
「どうしてって、京一」
愛しているからだよ、と言葉にしようとして止めた。お前の瞳を見ていたら、言葉よりも口付けをしたいと思ったから。だから、キスをした。
「…ひーちゃん……」
「お前を俺だけのものにしたいって思ったから」
「…俺は…お前だけのモノじゃねーのか?……」
震える、肩。泣きたいの?泣いてもいいよ。俺のために泣いてくれる涙ならば、俺は幾らでも見たいんだ。だから、泣いてもいいよ。
「…お前だけのっ……」
堪え切れず零れ落ちた涙。俺はそれがどうしようもない程に愛しくて、そっと雫を舌で辿った。

俺を抱くのは、どうして?
俺の身体に刻み込まれた証は。
俺がお前のものだと言う証拠じゃないのか?
違うのか?違うのか?
ひーちゃん…分からねーよ…お前の言いたい事が…分からねーよ…
…ねえ、ひーちゃん…教えてくれよ……

「ごめんね、京一…でも俺は確かめたかったんだ…」
「ひーちゃん?」
「…黄龍の器でない俺を…緋勇龍麻である俺を…必要としてくれるのかって…」
「…ひーちゃん……」
「そんな事を思ったら…この血が忌々しくて手首切ってた」
「…バカっ!!」
「京一?」
「バカっ!おめーなんて知らねーよっ!!」

何で、だよ。何で。
俺と同じ事考えているんだよ。
同じ事考えているならば分かるだろ?
分かるだろ、俺の気持ちが。
手首なんか切らなくったって。
―――分かる、だろ?


「ごめんね…お前を、泣かせるつもりはなかった……」


愛するひとへ。
俺は弱いです。俺は卑怯です。
お前を失う事に怯えている、ただの一人の男です。
お前を試す事でしか、お前の愛を感じる事が出来ない卑怯な男です。
お前があまりにも真っ直ぐで、お前があまりにも眩しいから。
お前の強い存在感と光は、俺にとっては恐怖の対象でしかない。
お前の光は俺には眩し過ぎて。お前の強さは俺には眩し過ぎて。
触れることへの恐怖。汚す事への怯え。
でも。でもそれ以上に手に入れたいと言う欲望。
激しい想い。激しい渇望。
お前は俺にとって永遠の羨望で、そして永遠の欲望だから。

ただひとり、愛するひとへ。俺の血を全部あげるから、俺の傍にいてください。


「…京一…愛している……」
「…………」
「…愛している…お前だけ……」
「…本当、か?……」
「愛している、京一」
「…だったら…」

「…だったら…俺を独りにするなよ………」

「ごめんね、京一」
「…バカ…」
「…ごめんね…京一……」
「謝るくらいなら…こんな事…ニ度とするなよ……」


そう言って、やっぱり怒った目をしながら。
お前は少しだけ、笑った。
愛するひと。ただひとりの愛するひと。

何よりも大切な、ただひとりのひと。




End

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