心臓
このまま、腕の中に閉じ込められたならば。
堕ちてゆく。何処までも堕ちてゆく。
先が見えない。何処にもない。
俺は何処にも行けはしない。
ただ堕してゆくだけ。お前をその腕に抱いて。
―――お前を抱いて、堕落する。
「…京一、京一……」
柔らかい髪を撫でながら、その身体を腕の中に閉じ込める。褐色の滑らかな肌。太陽の匂いのする髪。その全てを愛している。愛し過ぎて、壊れそうだ。
「…俺の…京一……」
何度も髪を撫でて、その唇に口付ける。深く貪って、舌を絡めてもお前からは返って来ない。どんなに深く口付けをしてもその冷たい唇からは。
ぽっかりと胸に開いた穴。
俺が開けた。お前の心臓を抉り取った。
抉り取って血だらけの心臓を、俺は。
俺は食らった。貪り尽くした。
――――これでお前は、俺だけのもの……
見開いたままの目をそっと閉じらせる。見掛けよりもずっとずっと長い睫毛。その先に口付けて、そのまま空っぽの胸に指を這わせた。まだ生暖かい血が溢れている。それは全部、全部俺のものだから。だから、この手のひらで、全てを掬うんだ。
「…甘いよ…お前の血……」
指先に付いた血をぺちゃぺちゃと舐め取る。甘い、血。舌先に広がる甘美な味。脳みそが溶けそうだ。
ああ、俺は。
俺は何処まで堕ちるのだろうか?
堕ちて、堕ちて。
何処に辿りつくのか?
ごめんね、京一。
顔に血が付いてしまったよ。
お前の綺麗な顔に血が。
血が付いてしまった。
それでも、ああ。
―――ああ…お前は…綺麗だね……
「…京一…愛しているよ……」
空っぽの胸から流れる血を舐め取る。胸から脇腹、そして脚へと。
「…愛している……」
この脚が、羨ましかった。この脚が、憎かった。
「…愛している…愛している……」
しなやかに地上を駆け抜けるこの脚は、俺にとって何よりの憧憬で、そして何よりもの恐怖。
何時かその脚でお前が何処かへと旅立ってしまうのではないかと言う恐怖。俺の届かない場所へと行ってしまうのではないかと言う怯え。
―――でも…もう…もう…お前は何処にも行かない…ずっと一緒だ……
つま先に口付けて。
軽く爪を噛んで。
そのまま歯で引き千切った。
そこから覗く肉を食らう。
ああ、これで。
…これでもう何処にも行かないよな……
どうして、こんなにも。
こんなにも俺はお前を求めて狂う?
どうして狂気に身を委ねる?
愛し過ぎて狂うのが、それが俺の運命なのか?
用のなくなった黄龍の器は、後は破滅しかない。
だから俺は、狂ったのか?
―――違う…違う…違う……
もしもそんな理由で狂えるならばこんなに楽なことはない。
不要な器と言うだけで狂えるのならば。けれども。
けれども俺のお前への想いはそんなモノじゃあ足りない。
こんな小さな器では、足りはしないのだから。
「…京一…京一……」
狂えたならば。
「…愛している……」
こんなにも楽なことはない。
「…愛している…お前を……」
狂うことが出来たならば。
―――ああ、俺はこんなに正常だ……
お前を愛して、お前を殺して、そしてお前を食らって。
それでも俺の神経は働いている。動いている。
―――蓬莱寺 京一の名のもとへと……
おれは、しあわせ、か?
その答えは永遠に出ないだろう。
お前を取りこみ、お前を全て食らっても。
俺だけのものになったとしても。
それでも。それでも、俺は。
――――永遠にお前を求め続けるのだから………
End