君にあいたい
…たとえばこんな、眠れない夜。
「…うー眠れないっ〜」
ベッドの近くの一番広い窓から、大きな月が部屋中を覗いている。何処か蒼みがかった月がちょっとだけ、怖かった。
「何でこんな眠れないんだよーっ」
龍麻は無性に腹立たしくて、抱かえていた枕を思いっきり壁にぶつける。それはポコッと鈍い音がして、そのまま床に落ちた。そんな枕にもつい、龍麻は理不尽な怒りをぶつけてしまう。
「…何で今日に限って……」
いくら目を閉じても睡魔は襲ってくれないし、深夜TVも放送を終えてしまった。おまけに月の蒼さが…無意識に龍麻を不安にさせる。
それがイヤで強引に布団を頭まで被ると、瞼の裏にいやがおうでも浮かんでしまう、ひとつの顔。幾ら消しても残像のように浮かぶ人。それが龍麻には悔しくて、益々彼を眠れなくさせる。
眠れない夜に電話するよ 僕だけが起きているなんてイヤだね
「何で俺だけがこんなに眠れないんだっ?!」
龍麻は何を思ったのか突然布団をがばっと剥ぎ取ると、そのまま起きあがった。その顔は不機嫌そのものだった。
「そーだっ俺が眠れないのはあいつの顔が頭から離れないのがいけないんだ」
無茶苦茶な論理だったが、今の龍麻の思考はそれだけが支配した。こうなるともう、誰にも止められない。
「責任、取らせてやるっ」
ワザとずかずかと音を立てながら廊下を歩く。板張りの床は素足には冷たかったが、そんな事は今の龍麻には気にもならなかった。
リビングに辿りつくとひったくるように電話を取って、そのまま指が無意識に覚えているナンバーを押した。それすらも何だか龍麻の癪に障る。
「もしもし?」
ピーピーと二回ほど発信音が鳴った後に、聞きなれた…耳にひどく馴染むその声が返って来た。
「……」
何かを言おうとして、一瞬躊躇って言葉が出なかった。いざ声を聴くと何を言えばいいのか…龍麻には分からなくなってしまった。けれども。
「…先生か、どーした?こんな夜中に」
受話器の向こうの人物はいとも簡単に自分を当ててしまう。そしてその声はひどく、優しくて。
「…何で…俺だって分かるの?祇孔……」
「そりゃあね、俺は何時でも先生の事考えているからね」
「…何だよ…それは…」
「言葉通りの意味だよ、先生」
くすっとひとつ笑う声が聞こえた。それだけで今村雨がどんな顔をしているか…龍麻には分かった。あの龍麻だけに見せてくれるとびきりの優しい顔だと。
「で、どーした?先生。淋しいのか?」
「…な、何で…そうなるんだよ…」
「先生がこんな夜中にわざわざ俺の所まで電話をしてくれるなんて、珍しいからな。俺が恋しくなったのかなーって」
「何でそんな自信過剰なんだよ」
全くとんでもない言い草である。龍麻にしてみれば自分を眠らせてくれない原因の張本人なのに。それなのによくもまあぬけぬけと…。
「先生の惚れた男だぜ。当然だ」
「……」
「淋しいなら淋しいっていえよ、先生。俺は先生のためなら何だってするぜ」
「淋しくないっ!ただの退屈しのぎだっ」
…何処までも素直じゃねーな…村雨は心の中で苦笑せずにはいられなかった。けれどもそんな所ですら可愛いと思うのは、やっぱり惚れた弱みだろうか?
「退屈凌ぎかい?先生」
「そうだよ、眠れなくて退屈だったんだ。だからお前に電話したんだよ」
「それだけの事で、俺にわざわざ電話を?」
「だって…眠れないのは…お前のせいだし…っ!」
そう言ってから龍麻ははっと気付いて、思わず手で口を抑えた。が、しかしそれは後の祭でしかなくて…。
「どうして、俺のせいなんだ?先生」
くくくっと村雨の忍び笑いが聞こえて来る。…これだから手放せないのだ…先生を……。
「う、うるさいっお前の顔が頭から離れないんだよっ」
半ばやけっぱちになって龍麻は言った。自分でも絶対墓穴を掘っていると思う。でも、もうそう思っても遅すぎて。
「俺の顔が頭から離れねーのは、どーしてだ?先生」
「…い、いいだろ…別に…」
「何時も俺のこと考えてくれてるからだろう?」
「…ち、違う…もん…」
これが龍麻の今出来る精一杯の抵抗だった。でももう、遅すぎるが。
「まーいいや。先生からそんな言葉を聞けただけで、真夜中に起こされた甲斐も合ったという事だしな」
「…な、何だよ…それ……」
「言葉通りだぜ、先生」
きっと受話器の向こうで村雨は最高の笑顔をしているんだと思う。笑われたのは悔しいけど、そんな顔をさせる事が出来たんなら…ま、いいか。
……何時だって、惚れた方が…弱いんだから……
「…祇孔…」
「何だ?先生」
「…明日俺の家にこい。俺のこと笑った分だけひっぱたいてやる」
「先生が望むなら、何時だって」
「そーゆー事は実行してから言うんだよ」
「実行したら、言っていいのか?」
「……うん……」
この時龍麻がまた、墓穴を掘ってしまった事に気付いていなかった。
あいたいよ!君にあいたい!
いじわるすぎる静かな夜空を 今すぐにも飛び越えて
あいたいよ!君にあいたい!
一秒だって待てない この胸がはりさけてしまいそう
村雨が龍麻の元を訪れた時は、未だ太陽も昇っていなかった。
End