水葬

…いつしかその瞳に、捕らわれていた。

ゆっくりと静かに水は浸透し、そして全てを埋めてゆく。
髪の先から、足の詰めまで、全て。
…全て埋めてゆく。心も身体もほんのわずかな隙間さえ許さずに。そうして僕は捕らわれる。
この水の中へと。その瞳の中へと…

「…あっ…」
思わず漏れた声の甘さに、壬生の身体がほんのりと朱に染まる。そんな彼の様子に如月はくすりとひとつ、微笑った。その笑みは怖い程、綺麗だった。
「君は本当に何時までたっても、初めてのようだね」
汗でべとついた壬生の前髪をしなやかな指が掻きあげる。それは自分とは違う、綺麗な指。そう、自分とは違う。この両手は無数の血の色で穢れている。哀しいまでの紅の色で。
「…慣れる…わけ…ない…」
「でも、誘ったのは君だよ」
低く耳元で囁かれた声に、壬生の身体がぴくりと跳ねる。そんな壬生の反応に満足したのか如月は、その耳たぶを軽く噛んだ。
「君の身体が瞳が、誘っていたよ。‘淋しい’って」
「…ぼくは…んっ…」
壬生の言葉は声にならなかった。彼の声は如月の唇の中へと閉じ込められてしまった。すべて、閉じ込められてしまった。
「…ん…ふぅ…」
生き物のように蠢く舌が、壬生のそれを捉え絡めとる。きつく根元を吸い上げると、耐えきれずに壬生の口許から一筋の唾液が伝う。それを如月は丁寧に舌で辿る。
「…きさ…らぎ…さん…」
「君はベッドの上でまで‘さん’付けなんだね」
見かけよりも長い壬生の睫毛に軽く口付けて、如月はそう言った。その声はひどく、優しくて。何故か壬生の心に浸透する。ゆっくりと、けれども確実に。まるで、透明な水のように。
「いいよ、僕は気の長い方だから。何時でも、待ってるよ」
…待っているって、どのくらいだろう?快楽の為にぼんやりとした意識の中で、壬生はその事だけを考えていた。

…君の瞳が、淋しいと告げていたから。
だから僕は、君の傍にいる。君が淋しくないように。

初めは自分と同じだと、思った。自分と同じ、大切なものを護る為に生きている。ただそれだけの為に、と。でも、違う。
自分は気付いてしまった。その瞳の奥に隠されている本当の心に。裸のままの剥き出しの魂に、気付いてしまったから。
…だから放って置けなかった。気付かなければ無視できたのかもしれないのに。…いや、出来ない。
出来る訳がない。でなければ、こんなにも惹かれない。こんなにも彼を欲しいとは思わない。飛水の血の呪縛すら断ち切ってしまう程のこの独占欲は。一体どこから来たのだろうか?
「…あっ…やっ…」
薄く色づいた胸の突起を口に含んでやると、壬生の身体が鮮魚のように跳ねた。その瞬間が如月は何よりも愛しい。自分の腕の中で、自分の水の中で跳ねる彼が。
「…あんっ…」
鼻にかかった甘い声が壬生の口から零れる。その反応に満足した如月は空いている方の手で、彼の微妙に形を変えた彼自身に手を這わした。大きくしなやかな手でそれを包み込み、先端に爪を軽く立てる。それだけで壬生のそれははっきりと形を変化させた。
「…あっ…あぁ…」
びくびくと震えながら壬生は押し寄せる快楽の波を必死で耐えた。けれども如月は容赦なく彼を攻めたてる。
「…やだ…」
快楽に呑まれる意識を必死で耐えて、壬生は如月を見上げた。夜に濡れた瞳が、如月を捕らえた。
「…独りじゃ…やだ……」
その瞳は今剥き出しだった。何十にも重ねられたヴェールを外した彼の、最後に残った子供の瞳だった。
「…そうだね……」
そうだ。初めから、分かっていた。自分には分かっていた。一瞬だけ見せた彼の瞳が。この何物にも穢れていない透明な瞳が、自分を射抜いたのだ。初めて出逢ったその瞬間から。
それは見逃してしまうほどの、ほんの一瞬だったけれど。
確かに、自分は、捕らえたのだ。

「ああっ!!」
一気に貫かれ壬生の視界が真っ白に染まる。けれども壬生の中で熱く猛ったそれが、壬生を現実へと繋ぐ唯一の存在だった。
「…あっ…あぁぁ……」
腰を抱かれ最奥まで、抉られる。耐えきれずに壬生の目尻からは、雫が一筋零れ落ちた。
「君が素直なのは、抱かれている時だけだ」
壬生とは対照的に如月は息ひとつ漏らしていない。何時もそうだ。彼はひどく冷静に、自分を抱く。
「…あぁ…あっ…きさ……」
壬生の両腕が如月の背中に廻る。そして無意識に背中に爪を立てた。そう無意識に、彼に縋っていた。
「名前を、呼んで」
しがみ付いてきた壬生の耳元で如月はそう囁くと、限界まで昇りつめた壬生のその出口を指で閉じた。
「…やっ…きさら……」
イケないもどかしさと止まる事のない快楽に、壬生の形よい眉毛が切なく歪む。けども如月は構わずに行為を続けた。
「名前を呼んで、紅葉…」
「…な…まえ…」
「そうだよ、紅葉。僕の名前を呼んで」
その声は。苦しい程に、切なかった。苦しくて、溺れてしまう程。いや、はじめから自分は溺れていた。この透明な水の中に捕らわれて、何時しか身動きすら取れなくなっていた。
…でも、それは……
「…ひ…すい……」
それは、自分が、望んだこと。
「紅葉、好きだよ」
この腕に抱かれ溺れてしまいたいと、思ったのは。
…確かに、自分だった……

何も、いらない。欲しいのは、あなただけ。

「…如月さん…」
行為の後の気だるい身体を持て余しながら、壬生は呟いた。その声はまだ、濡れていた。
「僕の事、好きですか?」
「好きだよ」
その顔は何時もの冷静な表情だった。けれども。けれども…。
「愛していますか?」
「愛しているよ」
その瞳だけは、違っていたから。だから。
「僕もですよ、如月さん」
今だけは、僕も剥き出しの心を見せよう。

浸透した水は僕の全てを埋めてくれた。心も、身体も。だからもう。もう、きっと。
…淋しいとは、思わない…



End

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