死神

…静かに僕を、眠らせてくれ……

薔薇のように咲き誇る血の海で。そのむせかえる香りの中で。
僕の死体は微笑っている。口許を自らの血で塗りたくり、冷たいその唇の色を隠した。
路上に捨てられたひとつの、死体。ちっぽけな物体。
ただの抜け殻。命は魂はもうその入れ物には無い。ただの無生物。

ああ、人間ってちっぽけな生き物なんだなぁ……

死ぬ事を怖いと思った事は一度もなかった。
何時も殺すか殺されるかの瀬戸際で、その狭間で生きていたから。だからそれが何時しか当たり前のようになって。感覚が麻痺してゆくのが分かった。
人間らしい心や、気持ちや、魂が。
全てが麻痺して凍り付いてただ時が過ぎてゆくだけの。それだけの事しか僕の心は感じられなくなっていた。
機械のように人を殺して。命令のままに人を殺して。この手を血に塗れさせて。それが本当に自分の『日常』になっていたから。
だから自分の死すらも。それすらも他人事のように思えて。冷たくなってゆく身体と、指先と、唇が。本当に自分の身体の部品にすら思えなかった。
他人のもののように、思えた。

死ぬ時は一番大事な人の顔を思い浮かべようとして…誰も浮かばなかった事がひどく可笑しかった。

『君の、望みはなんだい?』
頭上から声が、降ってくる。そのひどく心地よい響きに僕は目を開けようとした。けれども霞んだ視界では全てを遮断してその声の主の顔を見せてはくれなかった。けれども声はまた、降り積もってゆく。
『死ぬ前にひとつだけ望みを叶えて上げる。君は何がしたい?』
望み?そんなものは持ったこと無かった。希望を持ってもそれは叶う事がないと分かっていたから。初めから全ての物に絶望していれば、何も傷つく事が無いのだから。だから。
『…君の、望みは?……』
けれどももしも。もしも本当に望みをひとつだけ、叶えてくれるのなら。それならば、僕は。僕は、ひとつだけ。ひとつだけ、望みがある。

「…恋が…したい……」

口にしてみてひどく可笑しくなった。人殺しの自分が何を言っているのか。何を最期になってバカな事を言っているのか。けれども僕はただ。
…ただ死ぬ間際に誰かの顔を、思い浮かべたかっただけなんだ……
『分かった、君の望みを叶えよう』
声が近づいて、近づいてそっと唇が塞がれる。それはひどく甘いキス、だった。甘くて苦しくて何処か切ない、そんな口付けだった。

可哀想な、子供だと思った。
人を殺す事しか出来ない、いやそれ以外のものを教えられなかった哀しい子供。それ以外の全てのものを拒絶して…いや拒絶させられた哀しい子供。
そのまま君が死んでゆくのがあまりにも可哀想だったから。だから僕は手を差し伸べた。差し伸べずには、いられなかった。これが。

これが全てのはじまりで、そして終わりだとも気付かずに。

傷ついてぼろぼろになって、そして大声で泣いて。
泣いたら、楽になれるのか?

「貴方は、誰?」
見上げてくる瞳の思いがけないあどけなさと無防備さが、如月の心に真っ直ぐに突き刺さった。
「翡翠、如月 翡翠だよ。紅葉」
「僕の名前を知っているの?」
「知っているよ、ずっと。ずっと前から君のことを」
そう言ってその頬にそっと手を当てた。暖かく柔らかい頬だった。そのままその頬を包み込んでその瞳に自分の姿だけを映させる。
「知っているよ、紅葉」
「でも僕は貴方を知らない」
「知らなくてもいいんだ。僕が知っているから。僕だけが知っているから」
自分の姿だけを、映させて。その瞳に焼き付けるように。
「…ここは、何処?……」
不意に思い出したように壬生は呟いた。何も無い場所。ここは『無』の世界。色も音も景色も何も無い場所。ただふたりだけ。ふたりだけが、存在する場所。
「何処だと思う?」
「分かりません、だから聞いているんです」
「死の、世界だよ」
如月から知らされた事実に、壬生は顔色ひとつ変えなかった。まるでその言葉を他人事のように聞いているだけだった。そう、他人事のように。
「僕は死んだのですね」
「ああ、そして僕は君の死神」
如月の手が壬生の頬から髪へとそっと移動する。そしてゆっくりとその髪を撫でた。
「死神がこんなに綺麗だなんて思わなかった」
撫でられる指先の冷たさがひどく心地よかった。死んだ筈なのにこんな風に指先の感触や体温が伝わるのを不思議に思いながら。思いながらも心地よさを感じていたから。
「でも綺麗だからこそ『死』は魅力的なのかもしれない」
「君の瞳の方が…魂の方が何倍も綺麗なのに……」
「…口説いてる、みたいですね……」
「口説いているよ、紅葉。だって僕は君の死神。君の魂を昇天させねばならないのだから」
「僕は生まれ変わるの?」
「ああ、死んだものは生まれ変わる。それが自然の摂理だからね。だから僕は君を生まれ変わらせなければいけない」
「だったら何故、僕を口説くの?」
「君の願いを叶える為に」
「…願い?……」
壬生の呟くようなその問いに、如月は綺麗に微笑って。そして。そしてゆっくりと唇を塞いだ。蕩けるような甘い、キス。
「君は恋をしたいのだろう?だから僕としよう」
「…貴方は…死神でしょう?……」
「ああ、そうだよ。でも僕は君がいい」
「……願いが叶ったら…僕は生まれ変わるのでしょう?…」
「そう、君は生まれ変わって何もかもを忘れて。そして誰か違う人間になって誰かに恋をする」
「貴方を忘れて?」
「ああ、僕を忘れて。それでもいい。それでもいいから紅葉」
「…変な人だ……」
「死神だよ、僕は。だから僕に恋をしてくれ」
そっとその両腕が伸びてきて、優しく抱きしめられた。その腕の心地よさと暖かさに、壬生は無意識に目を閉じた。

はじまりと、終わり。

ずっと僕は君の傍にいた。君の死に急ぐ人生を、僕は見届ける為に。生きるか死ぬか分からない君の魂を、拾い上げる為に。
初めは不思議だった。
君は何度も何度もその手を血で染めてゆくのに。顔色一つ変えずにまるで機械のような正確さで、人ではないもののような残忍さで殺人を犯してゆくのに。
それなのに君の魂は何一つ穢れてはいなかったから。生まれたての無垢なままの綺麗な魂で。綺麗な魂、だったから。どうしてだろうと。どうしてだろうと、思った。そして気付いた。
彼は全てのものを遮断していると。全てのものを拒絶していると。拒絶し遮断している君には、魂まで気持ちが届かない。心が届かない。だからこそ、だからこそ穢れていないのだと。だからこそ、穢れる事すら出来ないのだと。
…初めは、可哀想だと思った……。
可哀想だと、哀しい子供だと思った。そして。そして何時しかその気持ちが変化していった。何時しか、想うようになった。
…君を、想うように…なっていた……。
君に恋をした。叶わない恋だと分かっていても。
僕は君に恋をした。君のその遮断された、閉ざされた心の奥を覗きたいと思った。君のその剥き出しの魂に触れて、そこに口付けたいと思った。
綺麗な君の、魂に。僕は恋焦がれた。

そっと手を背中に廻してみた。その途端手に何か硬いものが当たった。それが羽の付け根だと気付くのに壬生には少々の時間を要した。
…ああ、彼は死神なんだな…と、改めて思った。人間とは違う異形のもの。背中の隠された翼。不意に壬生はその翼を見たい衝動に駆られた。
「…どうした?紅葉……」
その硬い部分を何度も壬生の手が行き来する。時にはそっと時には強く、その部分に指先が触れた。
「羽、見てみたいです」
「この羽を?黒いだけのつまらないものだよ」
「それでも、見てみいたいです」
見つめてくる壬生の瞳があまりにも綺麗で、如月はそっと微笑った。そしてその額にひとつ唇を落とすと。
「ああ、それならば見てくれ」
ばさりと音がして如月の背中に黒い翼が広がった。闇よりも深い漆黒の翼。まるで夜に溶けてしまいそうなその色彩。艶やかで黒いその、翼。
「綺麗ですね」
壬生は、微笑った。その顔の思いの外の無邪気さに、逆に如月は戸惑った。こんな無邪気な彼の顔など…見た事はなかったのだから。永い永い間傍にいたにも関わらず。
だからこそ逆にそれを純粋に喜んだ。自分の為に向けられたその笑顔に。自分にだけ向けられたその、笑顔に。
「やっぱり貴方は綺麗だ」
壬生の手がその羽根に伸びて、触れる。その指先を如月は掴むとそのままそっと口付けた。軽く歯を立てると甘い痛みが広がる。
「ならば身も心も僕に奪われてくれ」
「…奪われても…いいですよ…貴方なら……」
広がってゆく甘い痛みが神経を感覚を麻痺させてゆく。そして。そして普段ならば絶対に言わないような事を、自分は口走っていた。
「…貴方に…なら……」

一瞬の、恋。ただ一度だけの、想い。

この綺麗な死神に魅せられて。
魅せられて、自分が自分でなくなる。
…自分で、なくなる?
変なの、僕はもう死んでいるのに。死んでいるのに。
それでも僕にはまだ『自我』があって、そして『意識』がある。気持ちがあって、心がある。
そして心が言っている。
…綺麗、だと。このひとが綺麗だと。
綺麗だから魅せられて、そして。そしてどうなるのか?
ただ分かっている事は。

僕がこの人を好きになったら。僕は二度とこの人に逢えなくなると言う事。

柔らかい唇が素肌に触れた。その度に壬生の身体はぴくりと、震えた。
「…んっ……」
胸元の突起に指で触れて、人差し指と中指で摘んだ。そしてぷくりと膨れ上がった所を舌で舐めた。
「…あっ……」
ぴちゃりと淫らな音が壬生の耳に届く。それが逆に羞恥心を煽って彼の身体は紅く染まった。
「…あぁ……」
「君の声は、可愛いね」
胸元をやっと開放した唇が、柔らかく言葉を紡ぐ。その響きに壬生の意識が次第に溶かされていった。
「…如月…さん……」
「君は何時も感情のない声でしか言葉を言わなかった。でも今の声は違うから」
「…可愛いなんて…男に使う言葉じゃ…ないですよ…」
「いやかい?」
「…分からない…言われた事なんて…なかったから……」
生まれてから死ぬまで、そんなこと言われた事なかったから。自分を『可愛い』と言ってくれる人は…幼い頃、から。
「…でも貴方に言われるのは…悪くない……」
快楽に潤み始めた瞳で、壬生は微かに微笑んだ。その笑みに答える変わりに如月は唇を塞ぐ。愛しいと、思った。
どうしようもない程、愛しいとそう思った。

「…ああっ」
身体を貫かれた痛みが壬生の全身を支配する。けれどもそれは次の瞬間には激しいまでの快楽に擦りかえられていた。その痛みと快楽に、壬生の意識が飛ばされてゆく。
「紅葉、腕。背中に廻して」
「…あぁ…ん……」
如月の言葉に答えるように壬生の手が背中に廻る。指先に当たる、硬い感触。隠された羽根の跡。この人は、死神。
僕の、死神。僕だけの、死神。
「…如月…さんっ……」
僕が生まれて死んで、それを繰り返して。繰り返してそして、また生まれ変わって。生まれ変わっても。このひとはずっと僕の、死神。
ずっとずっと僕の傍にいて、くれる。
……傍にいて、くれる?
「…僕は…独り…じゃない……」
「紅葉?」
「…貴方が…いて…くれるんですね…」
「いるよ、ずっと。ずっと僕は君の傍に」
「僕が生まれ変わっても」
「ああ、生まれ変わっても」
「僕が誰かに恋をしても」
「僕はそれでも君が好きだよ」
「貴方以外に恋をしても」
「…傍にいる…紅葉……」
白い欲望が体内に注がれる。それを感じながら壬生は、この人を好きだと思った。

…このひとが好きだと、思った。

「さよなら、如月さん」
腕の中の身体が幻になってゆくのを、如月はただ静かに見つめた。その綺麗な瞳で。
「さよならじゃないよ紅葉。僕は永遠に君の傍にいるのだから」
「…それでも…貴方を好きな僕はこれで消えるから…だから……」
「それでも君は君だから。僕にとっては何も変わらないから」
「…如月さん……」

「…貴方が…好き……」

今僕は、貴方の顔を思い浮かべてる。
貴方の瞳を。貴方の姿を、思い浮かべている。
その残像を永遠に閉じ込めながら、僕はまた違う人生を歩むのだろう。

けれども貴方にまた、逢えるから。
貴方が僕の傍にいてくれる限り、また。

さよなら、僕の死神。



End

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