…月が綺麗だね、と貴方は言った…
綺麗な、月。
手のひらの月。
掬ったら静かに消えた月。
柔らかい、月。
哀しい、月。
何処までも、何処までも後を追ってくる月。
「綺麗だから、怖いんです」
そう呟く君の瞳に蒼い月が浮かぶ。
ぽっかりと浮かぶ月を食べてしまいたいと思った。
…君の瞳ごと…食べてしまいたい、と…。
それはどんな味がするのだろうか?
「貴方みたいで、怖い」
綺麗、だから。視線を反らそうとしても、どんなに目を閉じようとしても、それは出来なくて。気になって仕方なくて。見れば恐怖を覚えるのに、どうしても惹かれて。
どうしても惹かれて、貴方を見つめてしまう。
「僕が怖いの?紅葉」
怖いのは、僕の方だよ。
君を壊してしまいそうで。君を破壊してしまいそうで。
瞳に浮かぶ月ごと、君を奪ってしまいそうで。
現実から、現世から君を。
「…怖いです…目が、離せなくて……」
離せない、綺麗な人。
綺麗過ぎて、怖い人。
魅せられて恋焦がれて、どうしようもなくて。
どうにも出来なくて。
こんなにもこんなにも貴方に、狂わされる。
「離さなければいい。君の瞳に映っていいのは僕だけだ」
月さえも、許せない。
君の視界に映るのは僕だけでいい。
僕以外何も、映さなくてもいい。
君の哀しい程の綺麗な瞳に。
もう何も、映し出して欲しくない。
「…そうしたらもう…僕は壊れるしかない……」
壊れたい、壊されたい。限りない破滅への衝動。
全てを無くしてしまえたら。全てを壊してしまえたら。
そうしたら、僕は。
僕はもう何もかもから解放される。
「壊して欲しい?」
壊して、壊して。そして僕だけのものに出来たならば。
君の白い肌も、君の紅い唇も全て。
全て僕だけのものに出来たのならば。
―――そうしたら、なにも、いらない。
「…壊して…ください……」
貴方から、解放されたい。
貴方を愛し過ぎたから。
この執着と独占欲から逃れたい。
貴方を望んで、貴方を求めて。
そして。そして破壊。
―――全てを、壊される、僕。
「壊してあげる、僕が」
月が見せた、悪夢。
月が魅せた、幻想。
こころの底からの欲望。
こころの底からの渇望。
君を僕だけのものにする、その為だけに生きている。
「…如月…さ…ん……」
睫毛の先の壊れた世界。瞳の奥の真実の世界。
そしてそれは互いしか分からない。
互いの瞳にしか映らない。
僕の瞳に貴方の真実が映るなら。
貴方の瞳にしか僕の真実は映らない。
「愛してるよ、紅葉」
今更だけどもその言葉を言う。
一度も君に告げなかった。
でも分かっているだろう?
僕の唯一の執着が君だけならば。
君の唯一の破滅は僕でしかないのだから。
「僕も、です。如月さん」
今更ですね。何を今更優しい愛の告白をしているのだろう?
そんなものなんてとっくに通り過ぎてしまったのに。
そんな優しいものなんて、とっくに。
とっくに置き去りにしてしまったのに。
もっと深くて醜い、そして何よりも正直なものが…ふたりを支配しているのに。
『愛している』
互いの瞳を見つめて。
見つめて、そして告げた言葉。
その言葉の意味以上に深いものが。
深い想いがふたりにはあるのだから。
もうこれ以上…これ以上言葉になんてしたくない。
言葉にして想いを穢したくはない。
手のひらから伝わる、愛。
指先から溢れる、欲望。
そのどちらも僕らにとっての唯一の真実。
誰にも分からない、僕らの真実。
貴方の髪先から月の光が零れる。
綺麗だなと、思った。
君の睫毛から月の雫が零れる。
綺麗だなと、思った。
『…綺麗……』
ふたりで重なり合った最期の言葉はそれだけで。
それ以上の言葉を必要としなかったから。
もう何もいらないから。
月が、綺麗。
綺麗に輝いている。
そして。
そして紅く染まってゆく。
End