言葉

―――声は、届くのか?


貴方に僕の声は、届くのか?
言葉ではない僕の声。声にならない僕の声。
けれども僕は叫んでいる、何時も。
何時もこころの底から、叫んでいる。

『…助けて…』と。

自らの力で鎖を解けない臆病な僕は、ただ。ただ貴方に無言で助けを求めるだけ。
どうしようもなく弱くなってしまったのは、貴方のせい。
―――貴方が僕に、優しいから……

僕が弱いのは、僕自身のせい。
僕が弱いのは、僕のこころのせい。
それでも。それでももしも貴方と出逢わなかったならば。
僕はその『弱さ』にすら気付く事がなかった。

…それは…誰の罪でもないのに……


手のひらから零れる水。さらさらと流れてゆく水。その流れに身を任せることが出来たならば。
「…紅葉、風邪を引くよ……」
冬の冷たい海に、足元から浸かった。そこから水が円を描いて輪を作る。その上に手のひらで掬った水を零した。ぽたり、ぽたりと。
手のひらから零れる水。髪先から落ちてゆく水。凍える程冷たい筈なのに、どうしてだろう…不思議と寒さを感じないのは。
「…………」
何も言わずに、貴方を見上げた。今貴方の名前を呼んだならば、何かが少しづつ剥がれてゆくような気がして。ひとつひとつ崩れてゆくような気がして。
「―――紅葉……」
手が、差し出される。僕は濡れたまま手で、その指先に自らのそれを絡めた。暖かい、手。大きな、手。その瞬間初めて、自分は『寒さ』を感じた。その暖かい手に、包まれて。
「そこに来てほしいの?」
繋いだ手を離さずに、貴方は僕の元へと降りて来た。冷たい水。凍える水。貴方が僕に近付くたびに、水は輪を描く。広がって消えて、そしてまた生まれて。
「…如月さん……」
息が掛かる程近付いて、初めて。初めて僕は貴方の名前を呼んだ。その瞬間夜の闇に白い吐息が零れる。それはすぐに消えたけれども。言葉と一緒に、消えたけれども。
「紅葉、死にたいの?」
繋いでいた手が離れて、そして背中に廻される。そのままその腕に抱きしめられて、ただ泣きたくなった。泣きたくなった、一瞬だけ。どうしようもなく泣きたく……。
「でも駄目だよ、まだ」
海も、空気も、夜空も、冷たい。けれども貴方の腕の中は暖かい。どうしようもないほどに暖かい。この暖かさが僕を溶かした。溶かして、溶かして、そして何もかも失くなった。
「…まだ…君の全てを手に入れてない……」
―――全て?もう僕には何もないのに。貴方に奪われ溶かされそして空っぽになった僕。今貴方の目の前にいるのはただの『僕』と言う名の抜け殻でしかないのに。

それでも貴方は僕から何がほしいの?これ以上何が、ほしいの?


言葉にどれだけの意味があるのだろう?

幾千の言葉を並べても、ただひとつの真実には勝てはしない。
どんなに愛していると言葉にしても、ただひとつの想いには勝てはしない。
この瞳で語る真実だけが、本当の事ならば。
言葉の全ては、意味のないものでしかないから。


「君の声が、聴こえる」
見つめあった瞳の先に。言葉に出来ない言葉が、僕の耳に届く限り。僕の心に届く限り。
「…如月さん……」
君を殺しはしない。君を死なせはしない。僕の腕から君を逃がしたりはしない。
「君の瞳は、何時も真実だ」
抱きしめて、髪を撫でて、そっと口付けて。それはただの『行為』でしかない。何も生みだしはしない。それでもそれ以外に人は手段を持たないから。
―――持たないから君を抱きしめ、僕はその唇を塞ぐ。
「…君の声が…聴こえるよ……」

……助けて…、と………


君をここまで弱くしてしまったのは僕のせい。
君を独りでは生きられないようにしたのは僕のせい。
僕が与えた。必要以上の愛を君に与えた。
欲しかったから。君が欲しかったから。君だけが欲しかったから。
ひとはどうしてこんなにも欲に縛られる?どうして俗世を捨てられない?

―――君を愛して、君が欲しくて、君を独占したくて。

ただその僕の身勝手な欲のみが、ここまで突き動かした。
自分でもどうにも出来ない想いが、僕をここまで押しやった。
君の孤独につけ込み、君の淋しさを逆手に取った。
―――僕は、卑怯者だ。
君が僕から離れられないように仕組んだのは、自分自身なのだから。

それでも、愛している。
愛しているから、こうした。
君がどうしようもなく弱くなってしまっても。
それでもそれでも、僕は。
君だけが、欲しかったんだ。


闇夜がそっと壊れてゆく。月の淡い光が頭上を照らす。このまま闇にいたかった。そうしたら僕の罪も貴方の罪も隠されるでしょう?
「…逃れたい…貴方から…けれども逃れられない……」
足元に絡みつく無数の鎖。自ら解けないようにがんじがらめに絡みつけた鎖。貴方から、逃れたくないから。貴方から、逃げたくないから。
「…死にたい…死んでしまいたい……」
胸にナイフを刺して、そして真っ赤な血を流したら。そうしたら死ぬ事が出来るでしょう?そうしたら僕の身体の鎖は解けるでしょう?

――――でもきっと…解けはしない……

解けるくらいならばこんな想いはしない。死ぬことが出来るならこんな想いにはならない。死よりも深い執着心が僕にある限り。それがある限り僕は何処にもいけないのだから。
「…如月さん……」

「…助けて……」


―――紅葉…今の言葉だけが、君の本当のこころだね。
後は全てが嘘だ。ただの『言葉』でしかない。

君の瞳だけが、僕の真実だ。


「僕は君を助けない」
そして僕の言葉も嘘だと言う事が、君には分かるだろう。
「…このまま…ずっと……」

「…ずっと…腕の中に………」


嘘だよ、紅葉。
だって僕は何時しか。

…何時しか君を、愛し過ぎて殺すだろうから……


End

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